「勧請縄」は滋賀県の湖東・湖南地方に多い民俗行事で、村に悪いものが入って来ないように村の辻や神社に吊ったりして結界の役割を果たしているという。
勧請縄の形や吊るし方は集落によって違いがあり、主縄の中心に吊るすトリクグラズは集落それぞれの独創的な形が受け継がれてきたとされます。
滋賀県では年初の民俗行事としては湖北地方では“オコナイ神事”、湖東・湖南地方では“勧請縄”と形は違いますが、五穀豊穣や災厄が入ってこないようにと願う祈願として根は同じところにあるのかもしれません。
「勧請縄」は「道切り」とも呼ばれて村の辻に勧請縄を吊るしていたとされますが、安土町内野では今も集落の道に勧請縄を吊るして魔除けとしています。
トリクグラズには“天下泰平 村中安全 五穀豊穣”と書かれた祈祷札が吊るされてあり、道切りの先は八幡神社に通じている。
勧請縄は見てきた範囲では神社の境内や山への入口などありますが、道切りの名の通りかつては集落の出口や境に吊るされていたとされています。
内野町の勧請縄は昨年も訪れましたが、今年の湖東地方は道路にも雪が残っています。
車を停められる場所もなく、道も細いので対向車が来たら困るところでしたが、結局集落内を走行する車は当方だけだったのは幸いでした。
勧請縄を内側からも眺めてみます。
祈祷札には月の上に大・小と書かれており、この大・小と月の組み合わせは昨年と同じでしたので何か決め事があるようです。
勧請縄の近くには「愛宕大神」の石碑があり真新しい紙垂が掛けられています。
内野集落は岩戸山や赤神山(太郎坊山)・箕作山などが連なる霊山の麓ですから山の神を祀る自然信仰や密教・神道の影響が強く残る集落なのでしょう。
内野集落を出た後、近江八幡市の老蘇周辺の勧請縄を訪れるつもりでしたが、反対方向になる東近江市方面へ気まぐれに向かう。
蛇溝町という看板が見えて集落の神社を通り過ぎようとした時、蛇のように長い勧請縄を見つける。
蛇溝町という如何にも蛇にまつわる話がありそうな町名に加えて、勧請縄が吊るされているのは長緒神社といい、そのまま読めば“細長いものを結びとめる”となる。
地名や神社名には由来があると思われますので関心深い集落です。
主縄の頭の部分は蛇の頭となるのでしょう。
かつて蛇溝の勧請縄は集落の四方に吊っていたのが、長緒神社の境内に4本吊るすようになり、その後1本の長い勧請縄になったといいます。
(勧請縄ー個性豊かな村境の魔除けー 西村泰郎より)
小縄は12本束ねられた小縄がさらに12本の小縄にまとめられており(本数は推定)、造るにも相当な手間がかけられていると思うが、重量がありそうなので吊るすのも大変そうです。
いずれにしてもこんなにも長い勧請縄は初めて観ることになりました。
トリクグラズはサイズが大きく、杉の枝葉が盛り上がるように付けられており、中に祈祷札が吊るされる。
祈祷札には祈念のお経(浄土宗系の経文とのこと)と安寧を祈念する言葉が書かれ、最後に村中安全の言葉で締められている。
次に南東へ進み石塔寺の近くを越えて平林町まで来ると、もう日野町との境になります。
平林集落の中心部を外れて山裾に沿って進んで行くと和田神社があり、鬱蒼とした参道を山麓に向かって進んで行くと平林町の勧請縄がありました。
石段の途中に吊るされた勧請縄は、12本の小縄が吊るされた中央部にトリクグラズが吊るされたものでトリクグラズには神札が付けられているという少し変わった形式です。
和田神社のある平林集落は布引山(261m)山系の山麓にあり、北東には山を挟んで石塔寺とは対角に位置していることもあってか、人里離れた神秘的な神社の印象を受けます。
勧請縄が吊るされた参道は樹木が鬱蒼と茂っていてるせいで、樹上に残った雪が融けて落ちてきて参道は雨降り状態でかなり濡れてしまうことになりました。
撮影するにもレンズに水が落ちてくるためバンダナを被せて写真を撮る羽目になる。
トリクグラズは杉の枝葉が巻かれた円の中に半分に割られた竹が縦2本横3本付けられており、中心部には和田神社の御札が付けられた独特の形式になっています。
祈祷札や絵馬が吊るされていることは多々ありますが、神札が付けられているのは平林集落のトリクグラズしか見たことはありません。
和田神社の本殿に参拝しましたが、滋賀県の神社は村社にも関わらず立派な社殿が多いことに改めて驚きます。
御祭神には「大己貴命・宇賀魂命」を祀り、配祀神には「天照大神・応神天皇・神武天皇」を祀る。
参拝を終えて石段を降りる時、雪解け水で滑りやすくなっていた石段で足を滑らせて大転倒。
体のあちこちをぶつけたので骨折しなかったか不安でしたが、打ち身のみで済んで助かりました。
では、旧蒲生町まで来たのでもう少し勧請縄を探してみようと思います。...続く。
勧請縄の形や吊るし方は集落によって違いがあり、主縄の中心に吊るすトリクグラズは集落それぞれの独創的な形が受け継がれてきたとされます。
滋賀県では年初の民俗行事としては湖北地方では“オコナイ神事”、湖東・湖南地方では“勧請縄”と形は違いますが、五穀豊穣や災厄が入ってこないようにと願う祈願として根は同じところにあるのかもしれません。
「勧請縄」は「道切り」とも呼ばれて村の辻に勧請縄を吊るしていたとされますが、安土町内野では今も集落の道に勧請縄を吊るして魔除けとしています。
トリクグラズには“天下泰平 村中安全 五穀豊穣”と書かれた祈祷札が吊るされてあり、道切りの先は八幡神社に通じている。
勧請縄は見てきた範囲では神社の境内や山への入口などありますが、道切りの名の通りかつては集落の出口や境に吊るされていたとされています。
内野町の勧請縄は昨年も訪れましたが、今年の湖東地方は道路にも雪が残っています。
車を停められる場所もなく、道も細いので対向車が来たら困るところでしたが、結局集落内を走行する車は当方だけだったのは幸いでした。
勧請縄を内側からも眺めてみます。
祈祷札には月の上に大・小と書かれており、この大・小と月の組み合わせは昨年と同じでしたので何か決め事があるようです。
勧請縄の近くには「愛宕大神」の石碑があり真新しい紙垂が掛けられています。
内野集落は岩戸山や赤神山(太郎坊山)・箕作山などが連なる霊山の麓ですから山の神を祀る自然信仰や密教・神道の影響が強く残る集落なのでしょう。
内野集落を出た後、近江八幡市の老蘇周辺の勧請縄を訪れるつもりでしたが、反対方向になる東近江市方面へ気まぐれに向かう。
蛇溝町という看板が見えて集落の神社を通り過ぎようとした時、蛇のように長い勧請縄を見つける。
蛇溝町という如何にも蛇にまつわる話がありそうな町名に加えて、勧請縄が吊るされているのは長緒神社といい、そのまま読めば“細長いものを結びとめる”となる。
地名や神社名には由来があると思われますので関心深い集落です。
主縄の頭の部分は蛇の頭となるのでしょう。
かつて蛇溝の勧請縄は集落の四方に吊っていたのが、長緒神社の境内に4本吊るすようになり、その後1本の長い勧請縄になったといいます。
(勧請縄ー個性豊かな村境の魔除けー 西村泰郎より)
小縄は12本束ねられた小縄がさらに12本の小縄にまとめられており(本数は推定)、造るにも相当な手間がかけられていると思うが、重量がありそうなので吊るすのも大変そうです。
いずれにしてもこんなにも長い勧請縄は初めて観ることになりました。
トリクグラズはサイズが大きく、杉の枝葉が盛り上がるように付けられており、中に祈祷札が吊るされる。
祈祷札には祈念のお経(浄土宗系の経文とのこと)と安寧を祈念する言葉が書かれ、最後に村中安全の言葉で締められている。
次に南東へ進み石塔寺の近くを越えて平林町まで来ると、もう日野町との境になります。
平林集落の中心部を外れて山裾に沿って進んで行くと和田神社があり、鬱蒼とした参道を山麓に向かって進んで行くと平林町の勧請縄がありました。
石段の途中に吊るされた勧請縄は、12本の小縄が吊るされた中央部にトリクグラズが吊るされたものでトリクグラズには神札が付けられているという少し変わった形式です。
和田神社のある平林集落は布引山(261m)山系の山麓にあり、北東には山を挟んで石塔寺とは対角に位置していることもあってか、人里離れた神秘的な神社の印象を受けます。
勧請縄が吊るされた参道は樹木が鬱蒼と茂っていてるせいで、樹上に残った雪が融けて落ちてきて参道は雨降り状態でかなり濡れてしまうことになりました。
撮影するにもレンズに水が落ちてくるためバンダナを被せて写真を撮る羽目になる。
トリクグラズは杉の枝葉が巻かれた円の中に半分に割られた竹が縦2本横3本付けられており、中心部には和田神社の御札が付けられた独特の形式になっています。
祈祷札や絵馬が吊るされていることは多々ありますが、神札が付けられているのは平林集落のトリクグラズしか見たことはありません。
和田神社の本殿に参拝しましたが、滋賀県の神社は村社にも関わらず立派な社殿が多いことに改めて驚きます。
御祭神には「大己貴命・宇賀魂命」を祀り、配祀神には「天照大神・応神天皇・神武天皇」を祀る。
参拝を終えて石段を降りる時、雪解け水で滑りやすくなっていた石段で足を滑らせて大転倒。
体のあちこちをぶつけたので骨折しなかったか不安でしたが、打ち身のみで済んで助かりました。
では、旧蒲生町まで来たのでもう少し勧請縄を探してみようと思います。...続く。
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