“♪商売繁盛で笹もってこい!♪”の掛け声が笛や太鼓い鐘の音と一緒に聞こえてくると、ワクワクとした晴がましい気持ちになってしまいます。
カレンダーの都合上、十日戎の本戎・残り戎には行けませんので9日の宵戎に参拝しました。
長浜豊国神社は太閤 豊臣秀吉をお祀りする神社で、長浜市(旧城下町)の町衆の「秀吉愛」の神社といえます。
豊臣秀吉は1573~1576年に長浜城の城主として長浜城下の基盤を作られたことから、曳山祭りとともに豊国神社は町衆の手によって守られてきた遺産とされています。
鳥居の先の参道に人の姿が見えますが、これは福餅まきが始まるのを待って後方に陣取っている人です。
巫女さんが壇上から福餅を惜しみなくまいてくれるのですが、これは十日戎の楽しみなイベントとなっていて当方ももちろん参加致しました。
到着したのが開始のギリギリだったため、場所取りに失敗して結果はいまいちでしたが、福餅はなんとかゲットすることが出来ました。
福餅まきなので全部が福餅なんですが、“福”のシールの貼った“福餅の中の福餅”ってのがあって、これが取れたのはラッキーでした。この福餅はお札所へ持っていくと“おたね福銭”がいただけます。
餅まきが終了すると皆さん一斉に参拝に向かわれて本殿は大行列となっていましたので先に出世稲荷神社に参拝です。
出世稲荷神社には、足軽から長浜城主になり最後は太閤にまで登りつめた秀吉の出世物語にあやかろうと参拝される方もおられるようです。
拝殿には七福神の置物が置いてありましたが、さて恵比寿さんはどの方でしょう?
おそらく一番上が「大黒天」。2列目は左から「恵比寿天」「毘沙門天」。
3列目は左から「福禄寿」「弁才天」「寿老人」で一番下には「宝袋尊」かな?
出世稲荷神社には回廊があり一周出来ますので、本宮の裏側からも参拝することが出来ます。
本殿へ戻ってみるとまだ長い行列が続いていました。並んでる間に雨がパラついてくる中での参拝です。
この豊国神社は江戸時代になると幕府によって秀吉信仰が禁じられ、社殿も取り壊されたそうですが、町衆は恵比寿神を祀る神社としてカモフラージュしながら裏で秀吉公を祀っていたようです。
豊国神社の社号が復活したのは明治維新後で、再建されたのは秀吉の300回忌にあたる1898年だったそうです。
秀吉信仰を取り締まっていたのは彦根井伊藩ということになりますが、近隣市でありながら旧長浜の町衆には「秀吉愛」があり、彦根城下では「井伊の殿様愛」のようなものが感じられるのが面白いですね。
夜の豊国神社も雰囲気があって好きなので宵々戎の夕暮れ後にパチリ!
昨年から御朱印蒐集を始めたのですが、2枚目の御朱印を頂いたのがこの豊国神社でした。
いつまで神社・仏閣熱が続くことやらと思っていましたが、まだ当分の間は熱は冷めそうになさそうだったりする。
おまけは残り戎のお焚き上げ!
これで新しい年がスタートやね。
カレンダーの都合上、十日戎の本戎・残り戎には行けませんので9日の宵戎に参拝しました。
長浜豊国神社は太閤 豊臣秀吉をお祀りする神社で、長浜市(旧城下町)の町衆の「秀吉愛」の神社といえます。
豊臣秀吉は1573~1576年に長浜城の城主として長浜城下の基盤を作られたことから、曳山祭りとともに豊国神社は町衆の手によって守られてきた遺産とされています。
鳥居の先の参道に人の姿が見えますが、これは福餅まきが始まるのを待って後方に陣取っている人です。
巫女さんが壇上から福餅を惜しみなくまいてくれるのですが、これは十日戎の楽しみなイベントとなっていて当方ももちろん参加致しました。
到着したのが開始のギリギリだったため、場所取りに失敗して結果はいまいちでしたが、福餅はなんとかゲットすることが出来ました。
福餅まきなので全部が福餅なんですが、“福”のシールの貼った“福餅の中の福餅”ってのがあって、これが取れたのはラッキーでした。この福餅はお札所へ持っていくと“おたね福銭”がいただけます。
餅まきが終了すると皆さん一斉に参拝に向かわれて本殿は大行列となっていましたので先に出世稲荷神社に参拝です。
出世稲荷神社には、足軽から長浜城主になり最後は太閤にまで登りつめた秀吉の出世物語にあやかろうと参拝される方もおられるようです。
拝殿には七福神の置物が置いてありましたが、さて恵比寿さんはどの方でしょう?
おそらく一番上が「大黒天」。2列目は左から「恵比寿天」「毘沙門天」。
3列目は左から「福禄寿」「弁才天」「寿老人」で一番下には「宝袋尊」かな?
出世稲荷神社には回廊があり一周出来ますので、本宮の裏側からも参拝することが出来ます。
本殿へ戻ってみるとまだ長い行列が続いていました。並んでる間に雨がパラついてくる中での参拝です。
この豊国神社は江戸時代になると幕府によって秀吉信仰が禁じられ、社殿も取り壊されたそうですが、町衆は恵比寿神を祀る神社としてカモフラージュしながら裏で秀吉公を祀っていたようです。
豊国神社の社号が復活したのは明治維新後で、再建されたのは秀吉の300回忌にあたる1898年だったそうです。
秀吉信仰を取り締まっていたのは彦根井伊藩ということになりますが、近隣市でありながら旧長浜の町衆には「秀吉愛」があり、彦根城下では「井伊の殿様愛」のようなものが感じられるのが面白いですね。
夜の豊国神社も雰囲気があって好きなので宵々戎の夕暮れ後にパチリ!
昨年から御朱印蒐集を始めたのですが、2枚目の御朱印を頂いたのがこの豊国神社でした。
いつまで神社・仏閣熱が続くことやらと思っていましたが、まだ当分の間は熱は冷めそうになさそうだったりする。
おまけは残り戎のお焚き上げ!
これで新しい年がスタートやね。
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