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しかし無知なのは恐るべし、琵琶湖の水面標高は海抜ゼロmではなく、海抜でいうと水面標高は約85mの高さにあるのだといいます。
海抜85mという琵琶湖の表面標高は、なんと大阪城天守閣の高さに匹敵するらしく、そんなに高い場所に水面があるのかとびっくりしている次第です。
水は高い所から低い所へ流れますから、琵琶湖が高く大阪湾が低いのは当然のことなのですが、日常そんなことは考えたことはなく見ている世界の狭さを痛感します。
従いまして、海抜ゼロmから山の山頂は諦めまして、琵琶湖の水面タッチから山頂三角点タッチになりました。
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礒崎神社は米原市の南端、彦根市との境にある琵琶湖に面した磯山の麓にあり、御祭神に日本武尊を祀ります。
この神社には日本武尊にまつわる伝説が伝わり、下記のような伝説が残るそうです。
・日本武尊が伊吹山の神を討伐するため伊吹山に入った時、神の使いである白猪の毒を受けて瀕死の状態となる。
・醒井の居醒の清水で正気を取り戻したものの、再びこの地で倒れ亡くなり、磯山に陵を築き葬られた。
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そんな伝説があるせいかちょっと怖い感じのする石段を登っていくと、石段の途中に金毘羅社が祀られている。
境内社は6社あったと思いますが、村社としては非常に立派な神社で、「磯武者行列」という奇祭が行われます。
隣村の筑摩神社では「鍋冠まつり」という奇祭が同日に行われるといいますので、歴史深い曰くのある地域といえます。
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さらに石段を登って行くと稲荷社の鳥居が並ぶ場所に出る。
麓の鳥居の近くに祀られていた大祓社から始まり、金刀比羅神社・後宮稲荷神社・日本武神社・佐太神社・幸福神社に本殿と社が多い。
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境内社の祠が3つ並ぶ奥に拝殿と本殿が祀られ、左に御神木、右に磐座が祀られる。
磐座は本殿を包むかのように、あるいは琵琶湖方向に向かってせり出すような形の大きな磐座です。
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礒崎神社の本堂があるやや広い場所からは琵琶湖の景色が一望でき、琵琶湖の彼方には長浜の市街地や山本山や奥琵琶湖の山が見られます。
手前にある岩場は「烏帽子岩」といい、日本武尊が磯山の近くで亡くなって葬られた時に墓印に置いた岩が烏帽子岩とされています。
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ベタ凪の琵琶湖の水は透きとおるように綺麗で、山の上から見ても湖底が見える。
烏帽子岩の辺りは元々は半島の先端だったといい、湖岸道路の開設によって消滅したものの、「磯崎古墳群」と呼ばれる複数の古墳が存在したようです。
古墳の形状から渡来系氏族との関係が考えられているといい、かつて琵琶湖の湖水運を使って渡来人が行き来して交流していたことが伺われます。
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磯の突き出した部分にだけ巨石群があるのは不思議な光景ではあるものの、本堂にも大きな磐座があったことを思うとそういう地盤の土地なのかもしれない。
琵琶湖の水質も随分良くなったので、山の上から見ても湖底が見えるほど水は透きとおっている。
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烏帽子岩と呼ばれる岩のもっとも北側には男岩・女岩の2つの岩がひとつに重なっているように見える岩があり、「結びの岩」とも呼ばれている。
岩の左側にはシラサギがいて、右側にはアオサギが留まっているのが見える。
岩は大きな方の岩がおんぶされているようにも、後方からのしかかっているようにも見えます。
琵琶湖を見降ろすことができる山は多いですが、直下に琵琶湖が見降ろせる山は珍しいですね。
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本殿・拝殿・境内社が祀られる境内にある鳥居から先は、磯山の山頂である虎ヶ城跡元宮方向へ進むことができます。
鳥居から先は、稜線沿いに磯山城跡や礒崎神社の奥宮へと通じており、稜線歩きが楽しめる。
磯山城は浅井氏に従った松原氏の居城だったといい、六角定頼が北近江侵攻の際に陣所にしたといいますので、浅井氏と六角氏の戦いの最前線だったといえます。
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歩くのが勿体ないような苔の道をしばらく歩いていくと、磯山城の主郭(北城)と礒崎神社の奥宮がある山頂に辿り着く。
尾根を進むと南のピークに南城があるようだが今回は北城の山頂のみ散策する。
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超低山とはいえ山ですから山頂までの道は木段登りになります。
木段登りとはいえ上方の空がひらけており、山頂は近い。
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木段を登り切った山頂広場にはコンクリート製の奥宮がひっそりと祀られています。
周辺が草ぼうぼうではなく、よく整備されているので定期的に草を刈ったり掃除に来られる氏子さんや世話方がおられるのでしょう。
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磯山の三角点は奥宮から北東に進んだところにあり、人が歩ける程度の幅で草が刈られているので助かります。
三角点のある場所から見えるのは鎌刀城跡や醒ヶ井や霊仙山のある方向だと思います。
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山頂表示も掛けられています。「磯山 159.5m」。
標高からしても超低山なんですが、琵琶湖の表面標高を85mとすると、海抜75mの山になるのでほぼ岡みたいな山です。
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北側の展望の良い場所から見えるのは、手前に入江集落、左後方に伊吹山があり湖北の山々が連なっている。
琵琶湖のこの辺りは極端に湾曲していますので、連なる山々は奥伊吹や金糞岳や小谷山の辺りなのでしょうか。
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では山頂から琵琶湖岸まで戻って、烏帽子岩のある砂浜に下りて水面タッチ!
烏帽子岩は北から見ると烏帽子に見えると言うが、さて如何に。
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山頂からと同じアングルの写真を湖岸からも撮ってみた。
湖面は穏やかで波もほとんどない。空も琵琶湖もブルーで思わず水に浸かりたくなりますね。
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この烏帽子岩は1291年に描かれてその後複写されたという絵図にも描かれているといいますが、当時の地形と現在の地形とは随分と違います。
絵図には琵琶湖側に2つの集落が描かれているが、1325年の大地震で湖底に沈んでしまったと伝わり、尚江千軒遺跡と呼ばれて湖底には遺物が沈んでいるという。
琵琶湖には約100の湖底遺跡があるとされ、湖辺にあった村が突然湖底に没したと伝えられる「水没村伝承」が約12村あるとされます。
人間の生活の痕跡が確認される時代の遺物が湖底から発見されるのですから、琵琶湖は生きながら変化し続けているということになります。
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