明治期に入って佐伯郡の医会では医療技術の向上を図るために死体解剖をしており、明治25年(1892)に建立された被解剖者の遺志碑が蓮教寺墓地に残されている。
碑文によると執刀者広島病院長匹田復次郎、同医長秦巌、主任医田坂機作・杉山唯次郎とあり、廿日市で開業していた医師の解剖によって医療技術の向上を図っていたようである。
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