「われら63歳 朝焼けを生きる」七つ森書館、2008年4月発行を読んだ。終戦の年、1945年生まれの落合恵子、佐高信、それぞれの講演記録と対談集だ。
二人は13年前の50歳の時にも“50歳われらの戦後”という本を出した。戦争を知らない世代の先兵として、虐げられた人たちの代弁者として体制に抗議してきた。とくに、戦前のような動きがある現在、「63歳で“夕焼けを生きる”ではなく、“朝焼けを生きる”気持ちで抵抗していかなければならない。それが“戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ”わたくしたちの務めだ」と落合さんはまえがきで語る。
第1章は、“格差社会と子どもたち”と題して、それぞれの講演と対談。
佐高さんは、「まず社会をよくすべき政治家が教育を語るのは間違っている」、「わたしは権力者に対する強烈なバイ菌でありたい」と語る。
落合さんは、シングルマザーの母は、「生まれたとき、お母さんは本当に「わたしのところに来てくれて、ありがとう」、「差別される側といっしょにいるあなたであってほしい」」と言ったという。
第2章は、“63歳 われらの抵抗人生”と題し、二人の生い立ちや青春時代を語り、“時代の申し子”として、戦前、戦中の抵抗者からのバトンは最終コーナーで自分が持っていると語る。
1945年に生まれた二人は「七ヶ月の戦争体験」などと言っているが、戦争体験より戦争になだれ込んでいく過程の戦前体験を語って欲しい」という。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
戦争のむごさを語り、「どんなことがあっても戦争はだめ」と語る人は多い。終戦時2歳だった私は、戦争直後の記憶、周辺の人の話から戦争の残酷さは幼い時から感じとっていた。しかし、戦争に至る過程を語り、戦争にならないために現在どうするかを述べる人は少ない。安直に、「軍部が。指導者が。マスコミが」と言って済ましてはいけないと思う。ほとんどの国民も彼らと一緒に戦争になだれ込んで行ったのだから。
二人のいつもの主張がいろいろな形で語られている。お二人を良く知らないで、戦後民主主義的意見に興味のある人は、そんな人がいればだが、一度読んでみて欲しい。
お二人のファンの人には、それほど特別の内容があるわけでもなく、いつもの主張と言ってしまえばそれで済んでしまう内容だ。しかし、二人の子ども時代、青春時代の話や写真が楽しめるだろう。
それにしても、気が強く、おかしいと思うことにはどうしても抗議の声を抑えることができない落合さん、権力者をあからさまに口汚くののしる佐高さん。その主張には納得しても、私などは、身近にこんな人がいて、意見が違うことがあったら、どうしようと考えてしまう。まあ、落合さんはレモンちゃんのイメージがあるし、実際はやさしそうなのだが。
佐高信が中学のとき、成績がすごく良いのに家庭の事情で就職しなければならない女の子がいた。教師が就職か進学か希望をとったとき、彼女は具体的に就職の話が進んでいたにもかかわらず進学に手を挙げた。
担任はびっくりして、「君は・・・」と言った。彼女は、「だって、希望でしょ」と言った。
「だって、希望でしょ」という言葉は、「社会とはこういうものなんだ」という佐高にとっての原体験になったという。
私には、この話は身にしみた。私自身も「工業高校へ行ってくれないか」という親の頼みをどうしてもと拒否し、奨学金をもらって都立の普通高校へ通った。毎月千円の奨学金を窓口で係員の人から受取り、隣の窓口に移動して同じ人にそのまま月謝として千円を渡した。幸いなことに、特別奨学金月7500円をもらえたので、大学も卒業できた。幸運に恵まれない人も多かった時代なのだ。
二人は13年前の50歳の時にも“50歳われらの戦後”という本を出した。戦争を知らない世代の先兵として、虐げられた人たちの代弁者として体制に抗議してきた。とくに、戦前のような動きがある現在、「63歳で“夕焼けを生きる”ではなく、“朝焼けを生きる”気持ちで抵抗していかなければならない。それが“戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ”わたくしたちの務めだ」と落合さんはまえがきで語る。
第1章は、“格差社会と子どもたち”と題して、それぞれの講演と対談。
佐高さんは、「まず社会をよくすべき政治家が教育を語るのは間違っている」、「わたしは権力者に対する強烈なバイ菌でありたい」と語る。
落合さんは、シングルマザーの母は、「生まれたとき、お母さんは本当に「わたしのところに来てくれて、ありがとう」、「差別される側といっしょにいるあなたであってほしい」」と言ったという。
第2章は、“63歳 われらの抵抗人生”と題し、二人の生い立ちや青春時代を語り、“時代の申し子”として、戦前、戦中の抵抗者からのバトンは最終コーナーで自分が持っていると語る。
1945年に生まれた二人は「七ヶ月の戦争体験」などと言っているが、戦争体験より戦争になだれ込んでいく過程の戦前体験を語って欲しい」という。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
戦争のむごさを語り、「どんなことがあっても戦争はだめ」と語る人は多い。終戦時2歳だった私は、戦争直後の記憶、周辺の人の話から戦争の残酷さは幼い時から感じとっていた。しかし、戦争に至る過程を語り、戦争にならないために現在どうするかを述べる人は少ない。安直に、「軍部が。指導者が。マスコミが」と言って済ましてはいけないと思う。ほとんどの国民も彼らと一緒に戦争になだれ込んで行ったのだから。
二人のいつもの主張がいろいろな形で語られている。お二人を良く知らないで、戦後民主主義的意見に興味のある人は、そんな人がいればだが、一度読んでみて欲しい。
お二人のファンの人には、それほど特別の内容があるわけでもなく、いつもの主張と言ってしまえばそれで済んでしまう内容だ。しかし、二人の子ども時代、青春時代の話や写真が楽しめるだろう。
それにしても、気が強く、おかしいと思うことにはどうしても抗議の声を抑えることができない落合さん、権力者をあからさまに口汚くののしる佐高さん。その主張には納得しても、私などは、身近にこんな人がいて、意見が違うことがあったら、どうしようと考えてしまう。まあ、落合さんはレモンちゃんのイメージがあるし、実際はやさしそうなのだが。
佐高信が中学のとき、成績がすごく良いのに家庭の事情で就職しなければならない女の子がいた。教師が就職か進学か希望をとったとき、彼女は具体的に就職の話が進んでいたにもかかわらず進学に手を挙げた。
担任はびっくりして、「君は・・・」と言った。彼女は、「だって、希望でしょ」と言った。
「だって、希望でしょ」という言葉は、「社会とはこういうものなんだ」という佐高にとっての原体験になったという。
私には、この話は身にしみた。私自身も「工業高校へ行ってくれないか」という親の頼みをどうしてもと拒否し、奨学金をもらって都立の普通高校へ通った。毎月千円の奨学金を窓口で係員の人から受取り、隣の窓口に移動して同じ人にそのまま月謝として千円を渡した。幸いなことに、特別奨学金月7500円をもらえたので、大学も卒業できた。幸運に恵まれない人も多かった時代なのだ。