鶴我裕子著『バイオリニストは弾いてない』(2016年11月20日河出書房新社発行)を読んだ。
鶴我裕子さんは1975年から2007年までN響の第1バイオリン奏者であった人。この本は、エッセイスト・デビュー後のバイオリニストシリーズの第3弾。
「オーケストラのあいうえお」
(「あ」~「を」まで45項目でオーケストラのあれこれを語る)
(カワイ音楽教育研究会の機関誌『あんさんぶる』の連載記事を加筆訂正)
ドヴォルザークの新世界交響曲で、コールアングレ(イングリッシュホルン)奏者(たいていは第2オーボエ奏者が持ち替えて演奏)は第2楽章の有名なメロディだけを演奏して終わる。バイオリニストの鶴我さんは、曲の最初から最後まで演奏しっぱなしなので羨ましかった。
日本人は見てくれを重視するので、客席から遠い人が譜をめくる。ガイジンは無頓着でコンマスがめくったりする。一斉に譜をめくって、一瞬音が途絶えても、観客は自動的に音を補って聴いているので、どこで譜をめくったのかわからない
鶴我さん、初出勤の5月5日、初めてサバリッシュを見て憧れた。大きな声で怒鳴りまくり、完全にオーケストラを支配し、オケはどんどん良くなっていく。毎日が上等なレッスンと同じだった。鶴我さんは本気で「5月の給料は要りません」と言って、組合の委員長に怒られた。
「おつるの講演録 振り返れば ロハ の人生」
(竹門会(竹中工務店による竹中育英会奨学生のOB・OG組織)の講演録)
鶴我さんが東京で姉と下宿していた高校生時代、お金がなく退学の危機に竹門会の、アルバイトをしなくても良いように高額な奨学金を受けられた。メッセージには「貴方のような優秀な人を援助するのは我が社の誇りである」とあった。恵んでもらったと思わせない配慮をして、余るほどのお金をくれる。
結果、東京芸大に入学し、N響にも就職できた。
N響の弁明
1. 助成金は全予算の2割に過ぎない。大幅赤字でも、遠方の地方公演を続けている。
2. 何年かに一度凄いオペラを演奏会形式でやる。一流のソリスト、合唱団を使う公演は大変な出費だが、日本文化向上に役立っている。
3. 楽員が弾いているときに無表情という批判がある。難曲を3日で完成させ、全国放映される。皆、緊張して息をつめて演奏している。100人の人間が、小さい頃から必死でやってきた事をさらに必死でやっているのだ。
おつるの相談室 8つのQ&A
Q:並んで弾いているベテランさんは、悪い人ではないのですが、弾き方も性格も何もかもが合いません。仕事がいやになりそうです。(女)
A:はて、自分のオケ人生を振り返ってみて、「いい人」と並んだ事なんてあったかな?・・・相手も私をガマンしていたに違いないし。なにしろ定年の日に、隣の人に「いじめてくれて有難う」とあいさつしたら、「お互いさまですよ」とあっさりかえされましたから。
わが心の伴侶たち
お気に入りのレコードやCDの紹介、特別編:ハンス・クナッパーツブッシュ
組曲「東台寮フォーエバー」
東京芸大時代の女子寮の思い出話
おつるとN狂仲間の「お久しぶり!」―オケマンはいつも一所懸命&一発即発
NHK交響楽団の内輪話
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
音楽家には変人、向こうっ気強い性格の人が多いというが、著者はまさに音楽家。直截的な語りも、ユーモアに包まれ、たのしく読める。「四つ星」としても良いのだが、 クラシックファンではない私には、オーケストラやマエストロの実状、裏話を知っても、「へ~」と思うだけなので「三つ星」とした。
鶴我裕子(つるが・ひろこ)
1947年2月27日福岡県生れ。東京芸術大学卒。
1975(昭和50)年にNHK交響楽団に入団する。第一バイオリン奏者(バイオリンはファーストとセカンドの2集団に分かれている)を32年間務めた。現在は人前ではバイオリンをまったく弾いていないという。
著書『バイオリニストは目が赤い』、『バイオリニストに花束を』、本書『バイオリニストは弾いてない』。