元日本将棋連盟会長で、将棋ペンクラブ名誉会長の二上達也九段が亡くなった。享年84歳。
北海道出身の二上九段は入門から八段までわずか6年で駆け抜け、その端正な顔立ちと所作で「北海の美剣士」と呼ばれた。またカラオケが好きでマイクを離さないことから、「マイク二上」の異名もあった。
棋風は居飛車党で、猛烈な攻め将棋といわれた。…が、私は攻守にバランスが取れていたように思う。
二上九段を語るうえで欠かせないのは大山康晴十五世名人との対局である。162局戦って、45勝116敗1持将棋。タイトル戦は20回戦って、2勝18敗。二上九段はタイトル5期、A級在位27年の超一流棋士だが、大山十五世名人には最後まで勝てなかった。
その二上九段の大山戦会心局を選べば、大山五冠王を崩した第12期王将戦や第8期棋聖戦が挙げられようが、私は1980年に指された第37期棋聖戦挑戦者決定戦を挙げたい。
ここで二上九段は勝ち、米長邦雄棋聖に挑戦。3勝1敗で奪取した後、中原誠名人、加藤一二三九段の挑戦を退け、3連覇を果たした。40代後半における、人生最大の輝きだった。
これらはすべて、挑戦者決定戦で大敵大山十五世名人に勝ったから。第24期棋聖戦挑戦者決定戦で大山十段が中原名人に勝ち、棋聖7連覇を果たしたのと似た構図である。
では、対大山戦の記譜を載せよう。
1980年12月1日
第37期棋聖戦 挑戦者決定戦
▲九段 二上達也
△王将 大山康晴
於:東京「将棋会館」
持ち時間:4時間
第1図までの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二銀▲3六歩△7一玉▲5八金右△4三銀▲2五歩△3三角▲6八銀△6四歩
▲3七銀△3二金▲7七銀△6五歩▲9六歩△9四歩▲4六銀△8二玉▲1六歩△5四銀▲5五歩△6三銀▲3七桂△4三金(第1図)
この当時、大山十五世名人は王将を保持していた。この年もよく勝っており、本局の二上九段、タイトル保持者の米長棋聖に勝って、7年ぶりの二冠を目指していたのは想像に難くなかった。
大山王将は、十八番の四間飛車に振る。二上九段は▲3六歩と突いて得意の急戦の構え。その後▲3七銀と棒銀?の意思表示をしたが、▲7七銀がよく分からない。先受けの△3二金に呼応し、開戦場所をシフトしたものだろうか。
第1図以下の指し手。▲5七金△6四銀▲5六金△6二飛▲6八飛△3五歩▲同銀△5四歩▲同歩△同金▲3四銀△5五歩▲5七金△5一角▲2八飛△6三飛▲6八金△7四歩▲2四歩△同歩
▲2二歩△3三桂▲2一歩成△4五桂▲同桂△同歩(第2図)
二上九段は力強く▲5七金と上がる。二上九段は形にこだわらない指し手がよくあった。
△6二飛に▲6八飛も力強い。先の▲5七金もそうだが、大豪相手にまったく怯んでいない。
大山王将は△5四歩▲同歩△同金。△3二の金が5四まで来た。
▲2八飛に△6三飛と浮いた。左辺を軽くながし玉頭で勝負するハラで、いかにも大山王将らしい指し手だ。
▲2一歩成に△4五桂と捌いて、これは大山王将が十分に見えたのだが…。
第2図以下の指し手。▲3一と△3三歩▲2三銀成△8四角▲2四飛△4四桂▲3二と△5六歩▲5八金引△5五銀▲8六桂△6四飛▲3三と△5三金▲9七角△6三金▲4三と△3六桂(第3図)
▲3一とがすごい。この対局の約2年後、永世棋聖がかかった森けい二八段戦で、森八段がソッポのと金を活用したのがあったが、あれを思い出した。
▲2四飛と飛び出た手が金取り。大山王将の△4四桂は辛いが、すぐに△5六歩と突きだしてムダ駒にしない。
二上九段はと金を引き、寄せる。大山王将は金を引き、寄せ、ついに左金を6三まで寄せてしまった。
△3六桂は二段活用だが…。
第3図以下の指し手。▲5三と△2四飛▲6三と△同銀▲2四成銀△4八桂成▲5三飛△6二金▲5五飛成△5八成桂▲同金△2八飛▲5六竜△2四飛成▲5五桂△7二銀打▲6三桂成△同金▲5四歩△5二歩
▲6五竜△2八竜(第4図)
▲5三と。2一のと金がついにここまで来た! △5三同金は▲7四桂だろうか。よって大山王将は△2四飛だが、二上九段は▲6三とと、ついに金を取った。
そこで△2九飛成には▲7四桂で、やはり後手玉がもたないのだろう。黙って△6三同銀と取り、二上九段はゆうゆう▲2四成銀と飛車を取り返した。
以下、めまぐるしい駒の取り合いとなる。先手は▲2四成銀が哀しい存在だったが、取ってもらってせいせいした形だ。
第4図以下の指し手。▲6八金打△1九竜▲7四桂△同金▲同竜△7三歩▲8四竜△同歩▲6二銀△6一金(第5図)
二上九段▲6八金打。手順に固めて盤石になった。ここで△6四歩の竜取りは歩切れになるうえに▲7四桂があるので、無意味と見たのだろう。後手は黙って△1九竜と香を補充した。
二上九段は▲7四桂と、待望の王手。以下ほぼ必然の手を経て、▲6二銀。
ここまできて、私はようやく先手よし、と判断できた。
第5図以下の指し手。▲7一銀打(投了図)
まで、113手で二上九段の勝ち。
▲7一銀打と平凡に迫ってヨリである。私はまったく見えなかった。
投了以下は、△7一同金▲同銀不成△同玉▲6二金△同玉▲5三角打以下詰み。かくして二上九段が棋聖戦の挑戦者に躍り出たのだった。
二上九段は現役晩年に連盟会長に就任し、それは14年に及んだ。大山十五世名人のそれは12年で、二上九段は任期期間を越えたことに誇りを持っていた。
私は将棋ペンクラブの交流会などで、何度かお目にかかったことがある。すっかり好々爺然としていたが、何かのときにふっと見せる眼差しは、紛れもなく勝負師のそれであった。
二上九段のご冥福をお祈りします。
北海道出身の二上九段は入門から八段までわずか6年で駆け抜け、その端正な顔立ちと所作で「北海の美剣士」と呼ばれた。またカラオケが好きでマイクを離さないことから、「マイク二上」の異名もあった。
棋風は居飛車党で、猛烈な攻め将棋といわれた。…が、私は攻守にバランスが取れていたように思う。
二上九段を語るうえで欠かせないのは大山康晴十五世名人との対局である。162局戦って、45勝116敗1持将棋。タイトル戦は20回戦って、2勝18敗。二上九段はタイトル5期、A級在位27年の超一流棋士だが、大山十五世名人には最後まで勝てなかった。
その二上九段の大山戦会心局を選べば、大山五冠王を崩した第12期王将戦や第8期棋聖戦が挙げられようが、私は1980年に指された第37期棋聖戦挑戦者決定戦を挙げたい。
ここで二上九段は勝ち、米長邦雄棋聖に挑戦。3勝1敗で奪取した後、中原誠名人、加藤一二三九段の挑戦を退け、3連覇を果たした。40代後半における、人生最大の輝きだった。
これらはすべて、挑戦者決定戦で大敵大山十五世名人に勝ったから。第24期棋聖戦挑戦者決定戦で大山十段が中原名人に勝ち、棋聖7連覇を果たしたのと似た構図である。
では、対大山戦の記譜を載せよう。
1980年12月1日
第37期棋聖戦 挑戦者決定戦
▲九段 二上達也
△王将 大山康晴
於:東京「将棋会館」
持ち時間:4時間
第1図までの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二銀▲3六歩△7一玉▲5八金右△4三銀▲2五歩△3三角▲6八銀△6四歩
▲3七銀△3二金▲7七銀△6五歩▲9六歩△9四歩▲4六銀△8二玉▲1六歩△5四銀▲5五歩△6三銀▲3七桂△4三金(第1図)
この当時、大山十五世名人は王将を保持していた。この年もよく勝っており、本局の二上九段、タイトル保持者の米長棋聖に勝って、7年ぶりの二冠を目指していたのは想像に難くなかった。
大山王将は、十八番の四間飛車に振る。二上九段は▲3六歩と突いて得意の急戦の構え。その後▲3七銀と棒銀?の意思表示をしたが、▲7七銀がよく分からない。先受けの△3二金に呼応し、開戦場所をシフトしたものだろうか。
第1図以下の指し手。▲5七金△6四銀▲5六金△6二飛▲6八飛△3五歩▲同銀△5四歩▲同歩△同金▲3四銀△5五歩▲5七金△5一角▲2八飛△6三飛▲6八金△7四歩▲2四歩△同歩
▲2二歩△3三桂▲2一歩成△4五桂▲同桂△同歩(第2図)
二上九段は力強く▲5七金と上がる。二上九段は形にこだわらない指し手がよくあった。
△6二飛に▲6八飛も力強い。先の▲5七金もそうだが、大豪相手にまったく怯んでいない。
大山王将は△5四歩▲同歩△同金。△3二の金が5四まで来た。
▲2八飛に△6三飛と浮いた。左辺を軽くながし玉頭で勝負するハラで、いかにも大山王将らしい指し手だ。
▲2一歩成に△4五桂と捌いて、これは大山王将が十分に見えたのだが…。
第2図以下の指し手。▲3一と△3三歩▲2三銀成△8四角▲2四飛△4四桂▲3二と△5六歩▲5八金引△5五銀▲8六桂△6四飛▲3三と△5三金▲9七角△6三金▲4三と△3六桂(第3図)
▲3一とがすごい。この対局の約2年後、永世棋聖がかかった森けい二八段戦で、森八段がソッポのと金を活用したのがあったが、あれを思い出した。
▲2四飛と飛び出た手が金取り。大山王将の△4四桂は辛いが、すぐに△5六歩と突きだしてムダ駒にしない。
二上九段はと金を引き、寄せる。大山王将は金を引き、寄せ、ついに左金を6三まで寄せてしまった。
△3六桂は二段活用だが…。
第3図以下の指し手。▲5三と△2四飛▲6三と△同銀▲2四成銀△4八桂成▲5三飛△6二金▲5五飛成△5八成桂▲同金△2八飛▲5六竜△2四飛成▲5五桂△7二銀打▲6三桂成△同金▲5四歩△5二歩
▲6五竜△2八竜(第4図)
▲5三と。2一のと金がついにここまで来た! △5三同金は▲7四桂だろうか。よって大山王将は△2四飛だが、二上九段は▲6三とと、ついに金を取った。
そこで△2九飛成には▲7四桂で、やはり後手玉がもたないのだろう。黙って△6三同銀と取り、二上九段はゆうゆう▲2四成銀と飛車を取り返した。
以下、めまぐるしい駒の取り合いとなる。先手は▲2四成銀が哀しい存在だったが、取ってもらってせいせいした形だ。
第4図以下の指し手。▲6八金打△1九竜▲7四桂△同金▲同竜△7三歩▲8四竜△同歩▲6二銀△6一金(第5図)
二上九段▲6八金打。手順に固めて盤石になった。ここで△6四歩の竜取りは歩切れになるうえに▲7四桂があるので、無意味と見たのだろう。後手は黙って△1九竜と香を補充した。
二上九段は▲7四桂と、待望の王手。以下ほぼ必然の手を経て、▲6二銀。
ここまできて、私はようやく先手よし、と判断できた。
第5図以下の指し手。▲7一銀打(投了図)
まで、113手で二上九段の勝ち。
▲7一銀打と平凡に迫ってヨリである。私はまったく見えなかった。
投了以下は、△7一同金▲同銀不成△同玉▲6二金△同玉▲5三角打以下詰み。かくして二上九段が棋聖戦の挑戦者に躍り出たのだった。
二上九段は現役晩年に連盟会長に就任し、それは14年に及んだ。大山十五世名人のそれは12年で、二上九段は任期期間を越えたことに誇りを持っていた。
私は将棋ペンクラブの交流会などで、何度かお目にかかったことがある。すっかり好々爺然としていたが、何かのときにふっと見せる眼差しは、紛れもなく勝負師のそれであった。
二上九段のご冥福をお祈りします。