21日夜にパソコンを開いたら、Yahooニュースに「漣さん、21日のドラマは放送」みたいなトピックスがあり、不審に思ってその上段を見たら、「大杉漣さん、急死」の言葉があった。
「ウソだろ!? いやウソだろこれ!!」
私は叫んだ。Yahooに載ったのだから間違いではないが、その事実を受け容れることにしばし時間がかかった。いや、今でもどこか疑っている自分がいる。だって大杉漣は今も連続ドラマに出ていたし、健康にも問題はなかった。世界のみんなが、私をかついでいるのではないかと訝ったのだ。
大杉漣は1951年9月27日、徳島県生まれの66歳。明治大学在学中に劇団に入ったがなかなかメジャーになれず、若かりし頃はピンク映画にも出演した。
ピンク映画は1988年、岸加奈子主演の映画に出演したのが最後らしいが、私はその映画をたまたま見ている。これはピンク映画五指に入る名作と信じているが、それに大杉漣が出演していたとは感慨深い。今思い返すと、あの敏腕プロデューサーが大杉漣だった気もする。
そんな大杉漣をメジャーにしたのは1993年、北野武監督の映画への出演である。ここで大杉漣は好演し、名前が知られるようになった。
以降、大杉漣はテレビ、映画、舞台に引っ張りだことなり、芸能界に欠かせないバイプレイヤー(脇役)となった。
大杉漣は映像を見る限りいつも穏やかで、優しいまなざしだった。
2006年、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」の1コーナー「食わず嫌い王決定戦」に出演した際、石橋貴明に「漣(さざなみ)っていう避妊具ありましたよねえ」とからかわれたが、大杉漣は笑って済ました。そんな大らかさがあった。
ある年は学生の自主製作映画にも出演したが、その頃すでにキャリアがあったにもかかわらず、学生監督の指示に素直に従う姿があった。自身が苦労人だったこともあるが、年齢に関係なく相手の立場を尊重する、というポリシーを持っていたのだろう。
昨年6月、テレビ朝日「ぷっすま」で草なぎ剛やユースケ・サンタマリアと共演した時は、千葉県九十九里の別荘(合宿所)に招待し、裏庭でサッカーをプレイした。仕事から離れて、実に楽しそうだった。
10月にTBS「ぴったんこカン☆カン」にビートたけしと出演した時は、楽しそうにギターを弾いていた。
私は、齢を重ねてもこうして飄々と人生を謳歌できるのは素晴らしい、と感じたものである。
大杉漣が亡くなった夜は、テレビ東京で「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活をしたら~」第3話の放送があった。私は第1話を観たのだが、そのシュールな展開についていけず、第2話は見なかった。今回は追悼の意味でも観るべきだったのだが、ドラマの大杉漣があまりにも元気で、私はいたたまれず、チャンネルを変えた。
翌22日の日本テレビ「ぐるナイ・ゴチになります!19」もほぼ同様で、私は最後の成績発表のところだけチラッと見た。
昨年は2週連続ピタリ賞という離れ業をやってのけたが、最終出演は「自腹」。最後にみなにご馳走するなど、これもまた大杉漣らしかったというべきか。
また23日のテレビ東京「所さんのそこんトコロ!」でも、ドラマの番宣で元気な姿を見せていた。
それらを見るたび、私は混乱するばかりだった。
現在放送中の「相棒Season16」では警視庁副総監・衣笠藤治役でセミレギュラー出演していたが、この後の展開はどうなるのか。私はドラマでも、衣笠副総監の急死、という形で進めていく気がする。
大杉漣の死因はよく分からない。もう、急死というより突然死で、もはや防ぎようがない感じである。西田敏行が「人の命の終わりは寿命なんだと自分に言い聞かせるしかありません」と文書で綴っていたが、たしかにそう考えて自分を納得させるしかない。
人生の晩年は、何年も病に伏して苦しんで逝くより、ポックリ逝くのが理想ではあるのだろう。しかしあまりにもアッサリ逝くと、周りの人の心の整理がつかない。
神様はときに残酷な悪戯をする。どう考えても世の中に必要のない人間が偉そうに天下を牛耳るかと思えば、誰からも愛される善人がある日突然、天に召されてしまう。
今回大杉漣の訃報を聞いて、改めて痛感した。
心よりご冥福をお祈りします。
「ウソだろ!? いやウソだろこれ!!」
私は叫んだ。Yahooに載ったのだから間違いではないが、その事実を受け容れることにしばし時間がかかった。いや、今でもどこか疑っている自分がいる。だって大杉漣は今も連続ドラマに出ていたし、健康にも問題はなかった。世界のみんなが、私をかついでいるのではないかと訝ったのだ。
大杉漣は1951年9月27日、徳島県生まれの66歳。明治大学在学中に劇団に入ったがなかなかメジャーになれず、若かりし頃はピンク映画にも出演した。
ピンク映画は1988年、岸加奈子主演の映画に出演したのが最後らしいが、私はその映画をたまたま見ている。これはピンク映画五指に入る名作と信じているが、それに大杉漣が出演していたとは感慨深い。今思い返すと、あの敏腕プロデューサーが大杉漣だった気もする。
そんな大杉漣をメジャーにしたのは1993年、北野武監督の映画への出演である。ここで大杉漣は好演し、名前が知られるようになった。
以降、大杉漣はテレビ、映画、舞台に引っ張りだことなり、芸能界に欠かせないバイプレイヤー(脇役)となった。
大杉漣は映像を見る限りいつも穏やかで、優しいまなざしだった。
2006年、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」の1コーナー「食わず嫌い王決定戦」に出演した際、石橋貴明に「漣(さざなみ)っていう避妊具ありましたよねえ」とからかわれたが、大杉漣は笑って済ました。そんな大らかさがあった。
ある年は学生の自主製作映画にも出演したが、その頃すでにキャリアがあったにもかかわらず、学生監督の指示に素直に従う姿があった。自身が苦労人だったこともあるが、年齢に関係なく相手の立場を尊重する、というポリシーを持っていたのだろう。
昨年6月、テレビ朝日「ぷっすま」で草なぎ剛やユースケ・サンタマリアと共演した時は、千葉県九十九里の別荘(合宿所)に招待し、裏庭でサッカーをプレイした。仕事から離れて、実に楽しそうだった。
10月にTBS「ぴったんこカン☆カン」にビートたけしと出演した時は、楽しそうにギターを弾いていた。
私は、齢を重ねてもこうして飄々と人生を謳歌できるのは素晴らしい、と感じたものである。
大杉漣が亡くなった夜は、テレビ東京で「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活をしたら~」第3話の放送があった。私は第1話を観たのだが、そのシュールな展開についていけず、第2話は見なかった。今回は追悼の意味でも観るべきだったのだが、ドラマの大杉漣があまりにも元気で、私はいたたまれず、チャンネルを変えた。
翌22日の日本テレビ「ぐるナイ・ゴチになります!19」もほぼ同様で、私は最後の成績発表のところだけチラッと見た。
昨年は2週連続ピタリ賞という離れ業をやってのけたが、最終出演は「自腹」。最後にみなにご馳走するなど、これもまた大杉漣らしかったというべきか。
また23日のテレビ東京「所さんのそこんトコロ!」でも、ドラマの番宣で元気な姿を見せていた。
それらを見るたび、私は混乱するばかりだった。
現在放送中の「相棒Season16」では警視庁副総監・衣笠藤治役でセミレギュラー出演していたが、この後の展開はどうなるのか。私はドラマでも、衣笠副総監の急死、という形で進めていく気がする。
大杉漣の死因はよく分からない。もう、急死というより突然死で、もはや防ぎようがない感じである。西田敏行が「人の命の終わりは寿命なんだと自分に言い聞かせるしかありません」と文書で綴っていたが、たしかにそう考えて自分を納得させるしかない。
人生の晩年は、何年も病に伏して苦しんで逝くより、ポックリ逝くのが理想ではあるのだろう。しかしあまりにもアッサリ逝くと、周りの人の心の整理がつかない。
神様はときに残酷な悪戯をする。どう考えても世の中に必要のない人間が偉そうに天下を牛耳るかと思えば、誰からも愛される善人がある日突然、天に召されてしまう。
今回大杉漣の訃報を聞いて、改めて痛感した。
心よりご冥福をお祈りします。