我が将棋ペンクラブの7部降級が確定し、今年の対局は終了。個人的には、2年連続の降級となった。
打ち上げに行くべく、Kan氏がとある居酒屋に電話を掛けた。が、そこは16時からの営業だった。時はまだ15時前後である。
とりあえず表へ出てぶらぶらしていると居酒屋があったので、入った。テーブルが横に長く、それが何列かある。私たちは現在9人だが、全員座るためにはそこにいる外国人カップルに移動してもらわねばならない。そこは店員がお願いして、替わってもらった。
なお私が店長だったら、そのカップルにワンドリンクをサービスするところ。
ではここで、席の配置を記しておこう。
出入口
山本 阿部 Osa Aku A
壁
奥さん 藤宮 山野 一公
Kan氏は業務中で、後から来る。またOsa氏が今回も特別参加である。私はA氏といろいろ話したいので、向かい合わせに座った。別に大したことをしゃべるわけではないが、話していて楽しく、勉強になることも多い。彼のような存在は貴重である。
とりあえずビールを頼むが、オリンピック生という特大サイズがあり、Akuさんらがそれを頼んだのには驚いた。とりあえず乾杯。
このチームは自己紹介や今日の成績を述べる儀式はなく、普通におしゃべりが始まる。
私とA氏は将棋ペンクラブの活動を中心に、話に花を咲かせる。聞くと最近幹事会があったそうで、将棋ペンクラブ大賞の選考方法の変更や幹事の交代など、いろいろ議題はあったらしい。
また会報については、秋号に載せる大賞最終選考会のテープ起こしをA氏がやったのだが、これも相当難儀だったようだ。つまり一言一句正確に記せばいいというものではなく、取捨選択の重要さが求められる。この辺の匙加減が難しいのだ。でもこういう作業は楽しいのではないかと思う。もちろん仕事上での話だが。
A氏の隣のAkuさんは浮かぬ顔で、2回戦は勝てた将棋だったのに、と悔やむ。ここが彼女の素晴らしいところだ。すなわち2回戦は全員が負けたので、Akuさんがその将棋に勝ったところで大勢に影響はなかったわけだが、それには関係なく、おのが勝敗に貪欲なのだ。
聞けば昨年は6部でも何勝かしたが、今年は勝ち星に恵まれなかったらしい。この辺はA氏が、昨年は7部がなかったから、初級者のチームも6部に混じっていたのだろう、と推測した。とはいえ純正6部の七将でも勝てないとは、社団戦のレベルはどれだけ高いのだろう。
また山野氏も、2回戦は優勢の将棋を反則で負けたという。聞くと、成れない四段目に角を成ってしまったというのだ。
2回戦も私は、分のいい将棋を負けた。2回戦は0勝7敗だったが、個々の話を聞くと、数字ほど実力差はなかったことになる。
その山野氏、殺気は「来年昇級するにはどうすればいいんです?」と初心者みたいなことを言っていた。
もちろん上位3~4チームに入るしかないのだが、それにしたって難しいことである。
山本氏の向かいにはヒトがいないので、何となく手持無沙汰のようである。私がA氏にそれとなく言うと、A氏が気を利かせて、山本氏の前に移動した。A氏はこういう気配りができる人である。
しかし私の話相手がいなくなってしまった。というところで、Kan氏が現れた。最初に電話した居酒屋は予約を入れたわけではないので、そのままここで飲んで構わないようだ。
Kan氏もアルコールを頼み、乾杯。Kan氏は元学校の教師で、現在は退職されている。将棋ペンクラブの幹事にはうってつけの人材で、私も全幅の信頼を置いている。
そのKan氏にも幹事ならではの苦労話や歴史を聞いた。聞けば設立当初からの会員だったそうで、当時一般会員(当時は購読会員といったらしい)は会報に投稿できなかったらしい。それが可能になったのは湯川博士氏が幹事になってからで、ここで現在の将棋ペンクラブの基本スタイルが確立された。生みの親が河口俊彦氏なら、育ての親は湯川氏、ということだ。
さらに大賞贈呈式などの苦労話も多く聞いたが、私などでは全然務まらないと唸った。ただ投稿しているだけの自分が申し訳ない気がした。
Kan氏はいつもゲラゲラ笑い、いい酒だ。いつも後ろを振り返りグズグズしている私とは対極で、そのパワーを頒けてもらえればと思う。
そのKan氏に、近く「魚百」で行われる将棋会の案内をいただいた。以前渡部愛女流王位の就位式の後、ライオンでした話を憶えていてくれたのだ。当日は私も参加させていただく予定である。分からないが。
Akuさんは酒が強いらしく、焼酎を中心にガンガン行く。Osa氏は日本酒をチビリチビリ、というところ。
山野氏はすっかり酒が入って、ベロンベロンである。典型的なヨッパライで、この手合いは久しぶりに見た。
その後も楽しい時間が続き、永久に終わらなければいいと思ったが、19時を過ぎ、ついに散会となった。この居酒屋は食べ物も美味く、女子店員も美人で、とても好感が持てた。
会計は飲み代4,000円に、今日の社団戦の参加費が1,300円となった。Osa氏あたりは、参加費はまとめて徴収しちゃえばいいのに、と呆れ顔だが、私はこのA方式が良心的でいいと思う。
帰りはみなと逆のコースでひとり別れ、私は再びバスを使う。しかしSuicaのカードリーダーはやはり反応せず、私はまた暗くなった。
私のトンネルの出口は、まだ見えない。
打ち上げに行くべく、Kan氏がとある居酒屋に電話を掛けた。が、そこは16時からの営業だった。時はまだ15時前後である。
とりあえず表へ出てぶらぶらしていると居酒屋があったので、入った。テーブルが横に長く、それが何列かある。私たちは現在9人だが、全員座るためにはそこにいる外国人カップルに移動してもらわねばならない。そこは店員がお願いして、替わってもらった。
なお私が店長だったら、そのカップルにワンドリンクをサービスするところ。
ではここで、席の配置を記しておこう。
出入口
山本 阿部 Osa Aku A
壁
奥さん 藤宮 山野 一公
Kan氏は業務中で、後から来る。またOsa氏が今回も特別参加である。私はA氏といろいろ話したいので、向かい合わせに座った。別に大したことをしゃべるわけではないが、話していて楽しく、勉強になることも多い。彼のような存在は貴重である。
とりあえずビールを頼むが、オリンピック生という特大サイズがあり、Akuさんらがそれを頼んだのには驚いた。とりあえず乾杯。
このチームは自己紹介や今日の成績を述べる儀式はなく、普通におしゃべりが始まる。
私とA氏は将棋ペンクラブの活動を中心に、話に花を咲かせる。聞くと最近幹事会があったそうで、将棋ペンクラブ大賞の選考方法の変更や幹事の交代など、いろいろ議題はあったらしい。
また会報については、秋号に載せる大賞最終選考会のテープ起こしをA氏がやったのだが、これも相当難儀だったようだ。つまり一言一句正確に記せばいいというものではなく、取捨選択の重要さが求められる。この辺の匙加減が難しいのだ。でもこういう作業は楽しいのではないかと思う。もちろん仕事上での話だが。
A氏の隣のAkuさんは浮かぬ顔で、2回戦は勝てた将棋だったのに、と悔やむ。ここが彼女の素晴らしいところだ。すなわち2回戦は全員が負けたので、Akuさんがその将棋に勝ったところで大勢に影響はなかったわけだが、それには関係なく、おのが勝敗に貪欲なのだ。
聞けば昨年は6部でも何勝かしたが、今年は勝ち星に恵まれなかったらしい。この辺はA氏が、昨年は7部がなかったから、初級者のチームも6部に混じっていたのだろう、と推測した。とはいえ純正6部の七将でも勝てないとは、社団戦のレベルはどれだけ高いのだろう。
また山野氏も、2回戦は優勢の将棋を反則で負けたという。聞くと、成れない四段目に角を成ってしまったというのだ。
2回戦も私は、分のいい将棋を負けた。2回戦は0勝7敗だったが、個々の話を聞くと、数字ほど実力差はなかったことになる。
その山野氏、殺気は「来年昇級するにはどうすればいいんです?」と初心者みたいなことを言っていた。
もちろん上位3~4チームに入るしかないのだが、それにしたって難しいことである。
山本氏の向かいにはヒトがいないので、何となく手持無沙汰のようである。私がA氏にそれとなく言うと、A氏が気を利かせて、山本氏の前に移動した。A氏はこういう気配りができる人である。
しかし私の話相手がいなくなってしまった。というところで、Kan氏が現れた。最初に電話した居酒屋は予約を入れたわけではないので、そのままここで飲んで構わないようだ。
Kan氏もアルコールを頼み、乾杯。Kan氏は元学校の教師で、現在は退職されている。将棋ペンクラブの幹事にはうってつけの人材で、私も全幅の信頼を置いている。
そのKan氏にも幹事ならではの苦労話や歴史を聞いた。聞けば設立当初からの会員だったそうで、当時一般会員(当時は購読会員といったらしい)は会報に投稿できなかったらしい。それが可能になったのは湯川博士氏が幹事になってからで、ここで現在の将棋ペンクラブの基本スタイルが確立された。生みの親が河口俊彦氏なら、育ての親は湯川氏、ということだ。
さらに大賞贈呈式などの苦労話も多く聞いたが、私などでは全然務まらないと唸った。ただ投稿しているだけの自分が申し訳ない気がした。
Kan氏はいつもゲラゲラ笑い、いい酒だ。いつも後ろを振り返りグズグズしている私とは対極で、そのパワーを頒けてもらえればと思う。
そのKan氏に、近く「魚百」で行われる将棋会の案内をいただいた。以前渡部愛女流王位の就位式の後、ライオンでした話を憶えていてくれたのだ。当日は私も参加させていただく予定である。分からないが。
Akuさんは酒が強いらしく、焼酎を中心にガンガン行く。Osa氏は日本酒をチビリチビリ、というところ。
山野氏はすっかり酒が入って、ベロンベロンである。典型的なヨッパライで、この手合いは久しぶりに見た。
その後も楽しい時間が続き、永久に終わらなければいいと思ったが、19時を過ぎ、ついに散会となった。この居酒屋は食べ物も美味く、女子店員も美人で、とても好感が持てた。
会計は飲み代4,000円に、今日の社団戦の参加費が1,300円となった。Osa氏あたりは、参加費はまとめて徴収しちゃえばいいのに、と呆れ顔だが、私はこのA方式が良心的でいいと思う。
帰りはみなと逆のコースでひとり別れ、私は再びバスを使う。しかしSuicaのカードリーダーはやはり反応せず、私はまた暗くなった。
私のトンネルの出口は、まだ見えない。