最近見た夢を記しておこう。
まず14日朝に見た夢。
ある大女優が出ていた。彼女は、エッセイに旅行ガイドを足したような本を上梓していた。これは彼女のプロデュースらしかった。
なぜこんな夢を見たかと思うに、私が前日、必要があって、昔の旅行日誌を見たからだと思う。
夢の中では、この大女優が急逝したとの報を聞き、ガク然としたのであった。
なぜ大女優が出演したか。土曜日のバラエティ番組で、ゲストの柴田理恵がこの女優のことを話していたのが、私の脳裏に残っていたからだと思う。
続いて16日の朝に見た夢。
私はどこかの山岳地帯にいた。急峻な山があったが、そこは高さが35メートルしかなかった。その山頂から麓まで、2メートル四方の穴が、垂直に一直線に掘られていた。係員の話だと、近道用の穴らしかった。
場面変わって、私は義理の妹の実家にいたらしかった。現実の姪は中学2年生だが、夢の中では小学1年生かそこらだった。
私は便意を催してトイレにいったが、それは戸外にあり、ベニヤの床に四角い穴を開けただけの汲み取り便所だった。それで彼方を見ると、ちゃんとした便所があったようだった。
また場面変わって、9人の選手による100メートル走があった。私はそれらの選手のフルネームを覚えた。
……というところで目が覚めた。起きると激しく眩暈がした。1ヶ月くらい前もこの症状に陥ったことがあり、かなりまずい傾向だと思っている。
17日に見た夢は、これはあくまでもイメージなのだが、5つのカテゴリーがあって、それがさらに5つに分かれている。それぞれ5文字の言葉が入り、私が解いていた。
3つ目のカテゴリーまで解いたところで、夢から覚めた。
続いて24日の朝に見た夢。
私は旅先で、ビジネスホテルに泊まっていた。といってもそこはどこかのオンボロ事務所のごとくで、そこの1階の部屋の片隅のベッドに、私は寝ていた。
明け方、気が付くと表は大雨で、私はその一角にある汚い流し台に行った。その近くにもベッドがあって、女性が布団をかぶって寝ていた。この女性はもちろん私の知己だったが、誰かは忘れてしまった。
私は尿意を催してきた。流し台にはカラフルな雑巾が何枚も重ねられていた。その隅に、私は小便をした。
気が付くと、室内が浸水しており、ベッドの脚のところまでなみなみと雨水がきていた。私は床に旅行カバンを置いていたから、カバンが雨水に沈む絵を想像して、ゾッとした。
そこに久保利明王将がきた。私は久保王将と旅行をしていたらしく、同じホテルに泊まっていたのだ。
私は久保王将に被害状況を聞いたが、王将は2階に泊まっていたことに気付いた。だから床上浸水はないはずだが、王将は私の被害を気遣ってか、「少し水が入ってきた」と言った。
……というところで、目が覚めた。私はもちろん、尿意を催していた。
おまけにもう2つ。
続いて27日朝に見た夢。
この夢は見応えがあった。しかし内容は忘れてしまい、私はこのブログに書くために、夢の中で内容を反芻した。ということは、この時点で半分覚醒していたのかもしれない。
イメージでは、将棋でいえば盤面中央で壮絶な攻め合いになり、▲4五銀がグイッと▲3四銀と出た感じに似ていた。
目が覚めても具体的な内容は思い出せなかった。
最後に28日の朝に見た夢。
4つくらい違う場面があったのだが、そこは忘れた。
私は外の高所にいて、そこからはある建物の屋上に設置された、高さ5メートルくらいのアイヌ人形のような彫り物が見えた。
そこはある宗教団体の建物のようだった。中には東野幸治がいた。
また、位を昇格したい若者の信者もいたのだが、昇格はできなかったようだ。
その教団では副業で薬や雑貨を売っており、倉庫にはその在庫がいっぱい置いてあった。その間取りは、ウチの旧工場に似ていた。そして注文が入ると、信者が商品を取りに来るのだが、商品は中空に置かれていたりして、なかなか取りにくい。
私は幹部格の信者に、ウチの工場が空いているから、場所を提供しましょうかと言うと、それは断られた。
よく考えたら、自分自身が旧工場の軒先を使い、雑貨やネギを売ればいいんだと思った。
というところで、何となく目が覚めた。
まず14日朝に見た夢。
ある大女優が出ていた。彼女は、エッセイに旅行ガイドを足したような本を上梓していた。これは彼女のプロデュースらしかった。
なぜこんな夢を見たかと思うに、私が前日、必要があって、昔の旅行日誌を見たからだと思う。
夢の中では、この大女優が急逝したとの報を聞き、ガク然としたのであった。
なぜ大女優が出演したか。土曜日のバラエティ番組で、ゲストの柴田理恵がこの女優のことを話していたのが、私の脳裏に残っていたからだと思う。
続いて16日の朝に見た夢。
私はどこかの山岳地帯にいた。急峻な山があったが、そこは高さが35メートルしかなかった。その山頂から麓まで、2メートル四方の穴が、垂直に一直線に掘られていた。係員の話だと、近道用の穴らしかった。
場面変わって、私は義理の妹の実家にいたらしかった。現実の姪は中学2年生だが、夢の中では小学1年生かそこらだった。
私は便意を催してトイレにいったが、それは戸外にあり、ベニヤの床に四角い穴を開けただけの汲み取り便所だった。それで彼方を見ると、ちゃんとした便所があったようだった。
また場面変わって、9人の選手による100メートル走があった。私はそれらの選手のフルネームを覚えた。
……というところで目が覚めた。起きると激しく眩暈がした。1ヶ月くらい前もこの症状に陥ったことがあり、かなりまずい傾向だと思っている。
17日に見た夢は、これはあくまでもイメージなのだが、5つのカテゴリーがあって、それがさらに5つに分かれている。それぞれ5文字の言葉が入り、私が解いていた。
3つ目のカテゴリーまで解いたところで、夢から覚めた。
続いて24日の朝に見た夢。
私は旅先で、ビジネスホテルに泊まっていた。といってもそこはどこかのオンボロ事務所のごとくで、そこの1階の部屋の片隅のベッドに、私は寝ていた。
明け方、気が付くと表は大雨で、私はその一角にある汚い流し台に行った。その近くにもベッドがあって、女性が布団をかぶって寝ていた。この女性はもちろん私の知己だったが、誰かは忘れてしまった。
私は尿意を催してきた。流し台にはカラフルな雑巾が何枚も重ねられていた。その隅に、私は小便をした。
気が付くと、室内が浸水しており、ベッドの脚のところまでなみなみと雨水がきていた。私は床に旅行カバンを置いていたから、カバンが雨水に沈む絵を想像して、ゾッとした。
そこに久保利明王将がきた。私は久保王将と旅行をしていたらしく、同じホテルに泊まっていたのだ。
私は久保王将に被害状況を聞いたが、王将は2階に泊まっていたことに気付いた。だから床上浸水はないはずだが、王将は私の被害を気遣ってか、「少し水が入ってきた」と言った。
……というところで、目が覚めた。私はもちろん、尿意を催していた。
おまけにもう2つ。
続いて27日朝に見た夢。
この夢は見応えがあった。しかし内容は忘れてしまい、私はこのブログに書くために、夢の中で内容を反芻した。ということは、この時点で半分覚醒していたのかもしれない。
イメージでは、将棋でいえば盤面中央で壮絶な攻め合いになり、▲4五銀がグイッと▲3四銀と出た感じに似ていた。
目が覚めても具体的な内容は思い出せなかった。
最後に28日の朝に見た夢。
4つくらい違う場面があったのだが、そこは忘れた。
私は外の高所にいて、そこからはある建物の屋上に設置された、高さ5メートルくらいのアイヌ人形のような彫り物が見えた。
そこはある宗教団体の建物のようだった。中には東野幸治がいた。
また、位を昇格したい若者の信者もいたのだが、昇格はできなかったようだ。
その教団では副業で薬や雑貨を売っており、倉庫にはその在庫がいっぱい置いてあった。その間取りは、ウチの旧工場に似ていた。そして注文が入ると、信者が商品を取りに来るのだが、商品は中空に置かれていたりして、なかなか取りにくい。
私は幹部格の信者に、ウチの工場が空いているから、場所を提供しましょうかと言うと、それは断られた。
よく考えたら、自分自身が旧工場の軒先を使い、雑貨やネギを売ればいいんだと思った。
というところで、何となく目が覚めた。