(2月28日のつづき)
しかし湯川恵子さんの隣の岡松さんは乗り気でないふうだ。恵子さんもかくし芸を始めず、また雑談となった。
今度は岡松さんが荒井由実の「卒業写真」を歌う。周りもそれを口遊む。70年代の飲み会はこんな感じなのかなと思った。
湯川博士氏が戻ってきた。私がビールを勧めると、「いや、いい」。
傍らには「糖質0」の缶ビールが置かれており、湯川氏はこれを専用に飲んでいた。こうした徹底した節制が、目の手術を可能にしたのだ。
永田氏は電子オルガンを傍らに、蝶谷氏と音楽談義。蝶谷氏は将棋観戦記者だが、酒への造詣も深い。そして音楽も詳しい。私のような凡人とは月とスッポンの才能の差で、いったいどれだけ引き出しを持っているのだろうと思う。
ところで「かくし芸」だが、私は、どうしてもと言われれば、出して出せないこともない芸はあった。そしてそれは確実にウケるのだが、どうしようか。私に順番が回ってきたら、披露するしかないと思った。
恵子さんが、「大沢さん、かくし芸やってよ!」と言う。しかし私は反射的に「恵子さんから」と返してしまった。だがこれは、隣の岡松さんがいい顔をしない。
結局、かくし芸はうやむやになってしまった。私のかくし芸はまたの機会、ということである。
このあたりでSuwさんが訪れた。前回の新年会にも参加したひとだ。彼女は今日もどこかで仕事があったそうで、お疲れ様である。休日出勤ほど尊い仕事はないと思う。
彼女は部屋の隅に静かに座った。あの位置が好きらしい。
湯川氏はカツオのたたきを食べ始めた。湯川氏の食べ方はお世辞にも綺麗とはいえないが、私はこれが食料摂取の正しいあり方と思っていて、個人的には好きである。
今度は蝶谷氏が「思い出の渚」を歌う。みなも歌詞を知っているから、いっしょに歌う。まさに70年代だ。でも私は一言も発しなかった。
湯川氏のビールのピッチは早い。ふと見ると、炭酸水を注いでいる。これ単独で飲んで、美味しいのだろうか。しかし何事にも節制である。
その湯川氏が、手ぬぐいをくれい、という。参遊亭遊鈴さんが落語用の手ぬぐいを差し出すと、湯川氏はそれを頭に巻いた。永田氏が何か伴奏をすると、湯川氏が何かを踊りだす。どうも、女性を演じているらしかった。私はただただ鑑賞するだけである。
踊りが終わると、「○○の演じる女性はよかった」と落語家の名人芸に思いを馳せる。遊鈴さんもそれに乗って、ひとしき論評となる。
落語好きには堪らないひとときで、これが棋士のそれなら私も参加できるのだが、悲しいかな、私は落語家に不案内だ。
なおも聞くと、湯川氏は小学生のころから寄席小屋に入り浸っていたという。棋士の主戦場が将棋会館なら、落語家のそれは小屋である。湯川氏は落語家の勝負の世界を体感していたわけで、これは大きい。
湯川氏も相当酔いが回ってきたようだ。
…あれっ? 今、ふつうのビールを自分で注がなかったか?
そこに炭酸水を注いで、薄いビールが出来上がる。湯川氏、節制よりも酔いが勝って、もう何でもよくなってしまったようだ。
湯川氏の箸は止まらない。遊鈴さんの手ぬぐいはおしぼり代わりになってしまい、私はハラハラするばかり。いや最もハラハラしているのは遊鈴さんだろう。
湯川氏の右手が泳ぐように、私の前にペタッと置かれた。見ると、湯川氏が舟を漕いでいる。こりゃあダメだと、みなが湯川氏をその場で横にし、毛布を掛けた。
「家に帰る……」と湯川氏がつぶやいたので、みなは顔を見合わせて爆笑する。
湯川氏、今日の為になんだかんだと準備をし、相当疲れがたまっていたのだろう。
私は当初から黙っているので、女性連中が私を呼び、何事かを聞いてくれる。しかし私は大して返せず、もとの席に戻ってしまう。不愛想で申し訳ないと思う。
湯川氏が「家に帰りたい……」と、また寝言を言う。酔っぱらいの寝言を久しぶりに聞いたが、これが人間の本来のあり方だと思った。
が、しばらくして湯川氏がスクッと起きた。ほんの15分ばかりの仮眠だが、これで十分回復したのだろう。
「私は明日で74歳です」
湯川氏が言う。
そうなんだ! 私は湯川氏がせいぜい60歳代だと思っていた。でも将棋ペンクラブの三上氏や星野氏が70歳代なのだから、そうなるか。私も歳を取るわけである。
……あれっ? ということは、遊鈴さんやTanさんも同い年ということか。皆さん若い!
湯川氏は高校1年生のとき身長が151cmだったそうで、Tanさんは湯川氏のおっかけをやっていたという。それから半世紀余、今でも顔を合わせているのだから、素晴らしい。
再び湯川氏の落語の話である。今度は「将棋寄席」のメンバーにも話がおよぶ。
「噺のマクラはありきたりのものじゃなく、オリジナル性を持たないかん」という持論も展開され、私は感心するばかり。
言っちゃあなんだが将棋より熱く、湯川氏がこんなに落語に傾倒しているとは思わなかった。これでは落語が上手くなるわけである。永田氏などは、「姐さん、今日の落語は上手かった! 師匠の落語も素晴らしかった!!」と手放しの褒めようだった。
私もほぼ同意見で、湯川夫妻、客を招いてのネタおろしは大成功だったのではなかろうか。
時刻は夜7時を過ぎ、三々五々退席となる。なお、湯川氏の手ぬぐいは少しくたびれたものの、無事遊鈴さんのもとに戻った。面白い噺と旨い食事。湯川夫妻と遊鈴さんには改めて御礼を申し上げたい。
私は駅前まで歩く派で、Hiw氏と行くことになった。Hiw氏はSuwさんと同じグループに属し、長野県の何かの会で、湯川夫妻と知己になったという。こういう話を聞くと、湯川氏は人脈の拡げ方が本当にうまいと思う。
和光市駅に戻り、バスに乗るというHiw氏とはここでお別れ。入れ違い気味に、蝶谷夫妻、小川さん、永田氏と会った。4人はさっき私たちを通り越したバスに乗車していたのだ。
「私たちはこれから一杯やるんですが、いっしょにどうです?」
と永田氏。ごいっしょしたいのはヤマヤマだが、私は9時からのドラマを観なければならない。それを理由にできないので、適当に言い繕って、ここは失礼させていただいた。
だから私は友人ができないのだ。
(おわり)
しかし湯川恵子さんの隣の岡松さんは乗り気でないふうだ。恵子さんもかくし芸を始めず、また雑談となった。
今度は岡松さんが荒井由実の「卒業写真」を歌う。周りもそれを口遊む。70年代の飲み会はこんな感じなのかなと思った。
湯川博士氏が戻ってきた。私がビールを勧めると、「いや、いい」。
傍らには「糖質0」の缶ビールが置かれており、湯川氏はこれを専用に飲んでいた。こうした徹底した節制が、目の手術を可能にしたのだ。
永田氏は電子オルガンを傍らに、蝶谷氏と音楽談義。蝶谷氏は将棋観戦記者だが、酒への造詣も深い。そして音楽も詳しい。私のような凡人とは月とスッポンの才能の差で、いったいどれだけ引き出しを持っているのだろうと思う。
ところで「かくし芸」だが、私は、どうしてもと言われれば、出して出せないこともない芸はあった。そしてそれは確実にウケるのだが、どうしようか。私に順番が回ってきたら、披露するしかないと思った。
恵子さんが、「大沢さん、かくし芸やってよ!」と言う。しかし私は反射的に「恵子さんから」と返してしまった。だがこれは、隣の岡松さんがいい顔をしない。
結局、かくし芸はうやむやになってしまった。私のかくし芸はまたの機会、ということである。
このあたりでSuwさんが訪れた。前回の新年会にも参加したひとだ。彼女は今日もどこかで仕事があったそうで、お疲れ様である。休日出勤ほど尊い仕事はないと思う。
彼女は部屋の隅に静かに座った。あの位置が好きらしい。
湯川氏はカツオのたたきを食べ始めた。湯川氏の食べ方はお世辞にも綺麗とはいえないが、私はこれが食料摂取の正しいあり方と思っていて、個人的には好きである。
今度は蝶谷氏が「思い出の渚」を歌う。みなも歌詞を知っているから、いっしょに歌う。まさに70年代だ。でも私は一言も発しなかった。
湯川氏のビールのピッチは早い。ふと見ると、炭酸水を注いでいる。これ単独で飲んで、美味しいのだろうか。しかし何事にも節制である。
その湯川氏が、手ぬぐいをくれい、という。参遊亭遊鈴さんが落語用の手ぬぐいを差し出すと、湯川氏はそれを頭に巻いた。永田氏が何か伴奏をすると、湯川氏が何かを踊りだす。どうも、女性を演じているらしかった。私はただただ鑑賞するだけである。
踊りが終わると、「○○の演じる女性はよかった」と落語家の名人芸に思いを馳せる。遊鈴さんもそれに乗って、ひとしき論評となる。
落語好きには堪らないひとときで、これが棋士のそれなら私も参加できるのだが、悲しいかな、私は落語家に不案内だ。
なおも聞くと、湯川氏は小学生のころから寄席小屋に入り浸っていたという。棋士の主戦場が将棋会館なら、落語家のそれは小屋である。湯川氏は落語家の勝負の世界を体感していたわけで、これは大きい。
湯川氏も相当酔いが回ってきたようだ。
…あれっ? 今、ふつうのビールを自分で注がなかったか?
そこに炭酸水を注いで、薄いビールが出来上がる。湯川氏、節制よりも酔いが勝って、もう何でもよくなってしまったようだ。
湯川氏の箸は止まらない。遊鈴さんの手ぬぐいはおしぼり代わりになってしまい、私はハラハラするばかり。いや最もハラハラしているのは遊鈴さんだろう。
湯川氏の右手が泳ぐように、私の前にペタッと置かれた。見ると、湯川氏が舟を漕いでいる。こりゃあダメだと、みなが湯川氏をその場で横にし、毛布を掛けた。
「家に帰る……」と湯川氏がつぶやいたので、みなは顔を見合わせて爆笑する。
湯川氏、今日の為になんだかんだと準備をし、相当疲れがたまっていたのだろう。
私は当初から黙っているので、女性連中が私を呼び、何事かを聞いてくれる。しかし私は大して返せず、もとの席に戻ってしまう。不愛想で申し訳ないと思う。
湯川氏が「家に帰りたい……」と、また寝言を言う。酔っぱらいの寝言を久しぶりに聞いたが、これが人間の本来のあり方だと思った。
が、しばらくして湯川氏がスクッと起きた。ほんの15分ばかりの仮眠だが、これで十分回復したのだろう。
「私は明日で74歳です」
湯川氏が言う。
そうなんだ! 私は湯川氏がせいぜい60歳代だと思っていた。でも将棋ペンクラブの三上氏や星野氏が70歳代なのだから、そうなるか。私も歳を取るわけである。
……あれっ? ということは、遊鈴さんやTanさんも同い年ということか。皆さん若い!
湯川氏は高校1年生のとき身長が151cmだったそうで、Tanさんは湯川氏のおっかけをやっていたという。それから半世紀余、今でも顔を合わせているのだから、素晴らしい。
再び湯川氏の落語の話である。今度は「将棋寄席」のメンバーにも話がおよぶ。
「噺のマクラはありきたりのものじゃなく、オリジナル性を持たないかん」という持論も展開され、私は感心するばかり。
言っちゃあなんだが将棋より熱く、湯川氏がこんなに落語に傾倒しているとは思わなかった。これでは落語が上手くなるわけである。永田氏などは、「姐さん、今日の落語は上手かった! 師匠の落語も素晴らしかった!!」と手放しの褒めようだった。
私もほぼ同意見で、湯川夫妻、客を招いてのネタおろしは大成功だったのではなかろうか。
時刻は夜7時を過ぎ、三々五々退席となる。なお、湯川氏の手ぬぐいは少しくたびれたものの、無事遊鈴さんのもとに戻った。面白い噺と旨い食事。湯川夫妻と遊鈴さんには改めて御礼を申し上げたい。
私は駅前まで歩く派で、Hiw氏と行くことになった。Hiw氏はSuwさんと同じグループに属し、長野県の何かの会で、湯川夫妻と知己になったという。こういう話を聞くと、湯川氏は人脈の拡げ方が本当にうまいと思う。
和光市駅に戻り、バスに乗るというHiw氏とはここでお別れ。入れ違い気味に、蝶谷夫妻、小川さん、永田氏と会った。4人はさっき私たちを通り越したバスに乗車していたのだ。
「私たちはこれから一杯やるんですが、いっしょにどうです?」
と永田氏。ごいっしょしたいのはヤマヤマだが、私は9時からのドラマを観なければならない。それを理由にできないので、適当に言い繕って、ここは失礼させていただいた。
だから私は友人ができないのだ。
(おわり)