26日に第65期王位戦挑戦者決定リーグ・羽生善治九段VS森内俊之九段戦が行われた。両者の対戦は実に141局目。藤井聡太竜王・名人の対局もいいが、羽生VS森内の永世名人戦も、オールドファンには堪えられないゴールデン・カードだ。なんといっても、どちらが勝つか分からないのがいい。
さて、歴代の実力名人は、木村義雄十四世名人から藤井名人まで16名。名人はほかのタイトルとは違う重みがあり、それを手放したときの進退はそれぞれである。
ちょっと、一覧にしてみた。
木村義雄十四世名人…1952年に失冠、そのまま引退
大山康晴十五世名人…1972年失冠→1992年、A級在位のまま逝去
中原誠十六世名人…1993年失冠→2003年、B級1組よりフリークラスに転出→2009年引退
谷川浩司十七世名人…1998年失冠→現在B級2組
森内俊之九段(十八世名人)…2015年失冠→2017年にA級陥落後、フリークラスに転出
羽生善治九段(十九世名人)…2016年失冠→現在B級1組
塚田正夫名誉十段(永世九段)…1949年失冠→1977年、B級1組在位のまま逝去。
升田幸三実力制第四代名人…1959年失冠→1969年A級在位のまま引退
加藤一二三九段…1983年失冠→2017年、C級2組陥落につき、引退
米長邦雄永世棋聖…1994年失冠→1998年にA級陥落後、フリークラスに転出
佐藤康光九段(永世棋聖)…2000年失冠→現在B級1組
丸山忠久九段…2002年失冠→現在B級2組
佐藤天彦九段…2019年失冠→現在A級
豊島将之九段…2020年失冠→現在A級
渡辺明九段(永世竜王、永世棋王)…2023年失冠→現在A級
木村十四世名人が1952年に失冠後、「よき後継者を得た」の名言を残し、そのまま現役を引退したのは有名だ。47歳での現役引退は早すぎるが、当時は将棋界も試行錯誤の最中で、至当な引退年齢だったのかもしれない。
そしてこの引退が、名人位の重みを決定的にしたのは皮肉だった。
大山十五世名人は名人失冠後も復位を目指し、A級で戦い続けた。A級を降級したら引退のつもりだったというが、本当のところは分からない。ただ、つねにその覚悟で臨んでいたからA級に踏み留まれた、ともいえる。
米長永世棋棋聖は1998年にA級を引退後、フリークラス入りを宣言した。名人1期にしては随分潔い決断で、当時は大きな話題になった。
個人的にはB級1組で指し、A級復帰および名人挑戦を目指してほしかったが、本人は「名人経験者がB級1組で指せない」というよりも、「いまさら若手に交じって指す気はしない」が本音だった気もする。
中原十六世名人は2001年にA級から降級。進退が注目されたが、そのままB級1組で指すことになった。永世名人のB級1組は初だが、私はそれでよいと思っている。棋士だって生活が懸かっているし、対局を止める権利は誰にもない。
その2年後、中原十六世名人はフリークラスに転出。B級2組への降級を懸念したのかもしれない。
加藤九段は2006年にB級2組に降級したが、そのまま現役を続行。初の例となった。
谷川十七世名人は2020年にB級2組に降級。そのまま現役を続行し、永世名人初のB級2組となった。この決断は当然で、谷川ファンがいる限り、順位戦で指すのは礼儀だと思う。
驚いたのが森内九段で、2017年にA級から降級したあと、そのままフリークラス宣言をしてしまった。まさか、木村・大山イズムを継承している永世名人がいるとは思わなんだ。
確かに森内名人は永世名人の有資格者で、ほかの名人とはちょっと違う。だけど時代はすでに、永世名人のB級1組以下を許容している。現役寿命の延命や将棋の普及が理由ならまだしも、永世名人のケジメとしての宣言などクソ食らえで、私は本当にがっかりした。
その意味で、羽生九段にはA級に復帰してもらいたい。そして、名人に挑戦してもらいたい。
さて、歴代の実力名人は、木村義雄十四世名人から藤井名人まで16名。名人はほかのタイトルとは違う重みがあり、それを手放したときの進退はそれぞれである。
ちょっと、一覧にしてみた。
木村義雄十四世名人…1952年に失冠、そのまま引退
大山康晴十五世名人…1972年失冠→1992年、A級在位のまま逝去
中原誠十六世名人…1993年失冠→2003年、B級1組よりフリークラスに転出→2009年引退
谷川浩司十七世名人…1998年失冠→現在B級2組
森内俊之九段(十八世名人)…2015年失冠→2017年にA級陥落後、フリークラスに転出
羽生善治九段(十九世名人)…2016年失冠→現在B級1組
塚田正夫名誉十段(永世九段)…1949年失冠→1977年、B級1組在位のまま逝去。
升田幸三実力制第四代名人…1959年失冠→1969年A級在位のまま引退
加藤一二三九段…1983年失冠→2017年、C級2組陥落につき、引退
米長邦雄永世棋聖…1994年失冠→1998年にA級陥落後、フリークラスに転出
佐藤康光九段(永世棋聖)…2000年失冠→現在B級1組
丸山忠久九段…2002年失冠→現在B級2組
佐藤天彦九段…2019年失冠→現在A級
豊島将之九段…2020年失冠→現在A級
渡辺明九段(永世竜王、永世棋王)…2023年失冠→現在A級
木村十四世名人が1952年に失冠後、「よき後継者を得た」の名言を残し、そのまま現役を引退したのは有名だ。47歳での現役引退は早すぎるが、当時は将棋界も試行錯誤の最中で、至当な引退年齢だったのかもしれない。
そしてこの引退が、名人位の重みを決定的にしたのは皮肉だった。
大山十五世名人は名人失冠後も復位を目指し、A級で戦い続けた。A級を降級したら引退のつもりだったというが、本当のところは分からない。ただ、つねにその覚悟で臨んでいたからA級に踏み留まれた、ともいえる。
米長永世棋棋聖は1998年にA級を引退後、フリークラス入りを宣言した。名人1期にしては随分潔い決断で、当時は大きな話題になった。
個人的にはB級1組で指し、A級復帰および名人挑戦を目指してほしかったが、本人は「名人経験者がB級1組で指せない」というよりも、「いまさら若手に交じって指す気はしない」が本音だった気もする。
中原十六世名人は2001年にA級から降級。進退が注目されたが、そのままB級1組で指すことになった。永世名人のB級1組は初だが、私はそれでよいと思っている。棋士だって生活が懸かっているし、対局を止める権利は誰にもない。
その2年後、中原十六世名人はフリークラスに転出。B級2組への降級を懸念したのかもしれない。
加藤九段は2006年にB級2組に降級したが、そのまま現役を続行。初の例となった。
谷川十七世名人は2020年にB級2組に降級。そのまま現役を続行し、永世名人初のB級2組となった。この決断は当然で、谷川ファンがいる限り、順位戦で指すのは礼儀だと思う。
驚いたのが森内九段で、2017年にA級から降級したあと、そのままフリークラス宣言をしてしまった。まさか、木村・大山イズムを継承している永世名人がいるとは思わなんだ。
確かに森内名人は永世名人の有資格者で、ほかの名人とはちょっと違う。だけど時代はすでに、永世名人のB級1組以下を許容している。現役寿命の延命や将棋の普及が理由ならまだしも、永世名人のケジメとしての宣言などクソ食らえで、私は本当にがっかりした。
その意味で、羽生九段にはA級に復帰してもらいたい。そして、名人に挑戦してもらいたい。