一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA芝浦サロン・中井広恵女流六段1(前編)

2015-10-16 12:46:28 | LPSA芝浦サロン
2011年9月16日、LPSA芝浦サロンで、中井広恵女流六段に教えていただいた将棋を振り返る。

中井女流六段が指導対局に登板するのは珍しいが、この週の月曜日に行われた「マンデーレッスンS」でも中井女流六段は担当していた。私はそちらには行かず、16日を選択した。芝浦サロンでは初のお手合わせとなる。
当日は午後3時に仕事を切り上げ、芝浦に向かった。今は仕事が立て込んでいるのでこんな無理はできないが、4年前はそんなに忙しくなかった。
入室すると中井女流六段は6面指しの真っ最中だった。さすがの人気である。いつものメンバーが揃い、Sug夫妻の顔もあった。
中井女流六段に教えていただく前に、私はKus氏、Tod氏と対局をした。いずれも私の駒落ち上手で、両局とも負け将棋だったが、終盤でうっちゃった。
今なら書いてもいいと思うが、ここで植山悦行七段が久しぶりに顔を見せた。たぶん芝浦サロン初見参で、金曜サロンの雰囲気になり、懐かしかった。
私は中井女流六段との対局になった。それまでの中井女流六段との戦績は、最初の2局を角落ちでお願いして1勝1敗。香落ちに昇格して1勝し、待望の平手となった。しかし大豪との平手はさすがに分が悪く、9局指して私の1勝8敗だった。
今回は同年4月の「信濃わらび将棋合宿」以来の指導対局となる。同合宿は中井女流六段の主催で、植山悦行七段、大野八一雄七段協力のもと毎年11月に行われていた。この年は4月にもあったのだ。私もこの頃がいちばん、将棋にのめり込んでいた。

「サイン勝負で、お願いします」
私は宣言する。
当時、指導対局で勝利すると、白扇(有料で5,000円)にサインがいただけるという、R氏発案の名物企画があった。サインはどなたからいただいてもうれしいが、中井女流六段からはゲットしにくく、千金の価値があったのは言うまでもない。
「何を指しますか?」
と中井女流六段。どんな戦型にしますか? という意味だ。何でも指せる中井女流六段ならではの言葉である。どうぞご自由に、と私は答えた。
将棋は私が三間飛車に振った。中井女流六段は「穴熊は指せないし…」とつぶやく。このセリフを読んで苦笑いした読者がいたら、その人はこのブログのマニアである。そう、このころの私は、精神的にヨレヨレだった。
私が▲7五歩と突き▲5九角と引く。▲7四歩を拒否して中井女流六段は△8四飛(第1図)。しかしこの形になれば、下手は指したい手がある。

第1図以下の指し手。▲9五角△9四飛▲9六歩△3一角▲7六飛△4三金▲7七桂△9五飛▲同歩△7八角(第2図)

私は▲9五角とのぞいた。△9四飛に▲9六歩として、これは下手がポイントを取ったのではないか。
▲7七桂に中井女流六段は△9五飛から△7八角。次に△8七角成を許しては下手まずい。ここでどう指すのがいいか。

(つづく)
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桐谷の名局

2015-10-15 01:12:13 | 名局
14日放送の「ホンマでっか!?TV」を見たが、人間は5つのタイプに分類されるそうだ。私は「エキセントリックタイプ」っぽい。

日付変わって今日10月15日は、桐谷広人七段の66歳の誕生日。おめでとうございます。
日本テレビ系「月曜から夜ふかし」の準レギュラーである桐谷七段は、今や「投資家」の方が通りがいい。実は将棋の棋士なんです、と教えられても、周りはポカンとするばかりだろう。
しかし桐谷七段は紛れもなく棋士で、過去の膨大な対局をすべて頭に叩きこんだことから「コンピューター桐谷」、相手の攻めを丁寧に面倒を見ことから「桐谷マッサージ」と呼ばれた。順位戦こそ昇級はなかったが、竜王戦では昇級の経験もある。まあ記録は大したことはないが、記憶に残る名棋士なのである。
今日は桐谷七段の公式戦810局の中から、若手に勝った快勝譜を紹介する。

1993年7月13日
第52期順位戦C級2組2回戦
於:東京「将棋会館」
持ち時間:6時間

△六段 桐谷広人
▲四段 久保利明

▲7六歩△8四歩▲6八飛△8五歩▲7七角△3四歩▲6六歩△6二銀▲4八玉△4二玉▲3八銀△3二玉▲3九玉△5二金右▲7八銀△5四歩▲2八玉△4二銀▲1六歩△1四歩▲5八金左△7四歩▲9八香△5三銀左▲5六歩△4二金直▲4六歩△7三銀▲6七銀△6四歩▲9六歩△6五歩▲3六歩△6二銀右▲3七桂△6三銀▲4七金△7三桂▲4五歩△8一飛▲2六歩△8六歩▲同歩△7五歩(第1図)

桐谷現七段はこの時棋士19年目。40歳をとうに越えていたが、昇級を狙っていたのは言うまでもない。
一方の久保現九段は、この年の4月に17歳でデビューした。相手は中年棋士だから、この対局はもらった、と戦う前から思っていたのは想像に難くない。しかし順位戦は違うのだ。
将棋は久保四段の四間飛車に、桐谷六段の△5三銀左急戦。桐谷六段はさらに△7三銀と出て△6五歩と仕掛けた。だが久保四段にじっと待たれると、△6二銀右~△6三銀と繰り替えた。さらに△8一飛と間合いを取り、△8六歩~△7五歩。これが世にいう「桐谷流▲3五歩(△7五歩)戦法」である。

第1図以下の指し手。▲7五同歩△6六歩▲7六銀△6四銀▲6六飛△同角▲同角△5五歩▲6五歩△同桂▲7四歩△8六飛▲7三歩成△同銀▲5五角△7六飛▲1一角成△7八飛成(第2図)

△7五歩では△6六歩▲同銀△6五歩と進むのが一般的だが、桐谷六段は△7五歩を得意としていた。これがなかなか破壊力のある手で、ジョナ研メンバーではFuj氏が得意としている。私も何度かこの手を喰らい、いずれも粉砕されて、勝った試しがない。
ちなみに桐谷六段の師匠の升田幸三実力制第四代名人も、△7五歩を喰らって惨敗したことがある。
局面。当然の▲7五同歩に△6六歩。これを▲同銀は△7六歩で先手わるい。よって▲7六銀とかわすが、後手は△6四銀と圧力をかける。
先手は抑え込みを嫌って▲6六飛と捌くが、後手は手に乗って△8六飛の飛び出しを実現した。こうなれば後手ペースだ。
先手は手順を尽くして▲5五角から▲1一角成とするが、後手も銀を取り△7八飛成。明らかに居飛車優勢である。

第2図以下の指し手。▲7九歩△同竜▲4六角△5七歩▲5五香△7八飛▲4八金引△6二金▲2五桂△4七銀▲6八歩△同飛成▲6九歩△同竜寄▲1三桂不成△4八銀成▲2一桂成△3八成銀▲1七玉△5四銀打▲3三桂△5三金▲5四香△4九竜▲2二馬△4二玉▲3一馬△5一玉▲5三馬△2七金(投了図)
まで、92手で桐谷六段の勝ち。

▲2五桂からは必死の攻めだが、後手の攻めの方が早い。先手は歩を駆使して二枚飛車の働きを減殺しようとするが、後手はふつうに応接して、涼しい顔だ(たぶん)。
先手の馬と桂だけの攻めでは迫力がなく、後手の俗手攻めに、先手の受けもなくなった。
▲5三馬まで形を作り、△2七金まで久保四段の投了。桐谷六段の快勝となった。

現在桐谷七段は株主優待券の消費に忙しく、もう将棋に関わっていられないだろう。
しかし桐谷七段の著書「歩の玉手箱」などは名著で、一家に一冊は置いておきたいところである。
もう桐谷七段が棋書を上梓することは考えられないが、気が向いた時に手筋本でも著してもらえたら、うれしい。
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LPSA芝浦サロン・島井咲緒里女流初段(当時)8

2015-10-14 00:11:34 | LPSA芝浦サロン
2011年9月9日(金)、LPSA芝浦サロンで島井咲緒里女流二段(当時は女流初段)に教えていただいた指導対局を振り返る。
すでにこのころは芝浦サロンに行く意義を感じなかったが、各女流棋士との「○○勝負」も残っているので、惰性で行っている感じだった。この日は夜に駒込ジョナ研があり、R氏言うところの「芝浦定跡」となった。
午後5時すぎにサロンに入ると、島井女流二段は4面指しの最中だった。島井女流二段はこの年の7月に入籍したが、それでも人気抜群だった。
みんなのんびり将棋を指している。その中にTod氏の姿があり、なぜか二枚落ちで指していた。
島井女流二段が一息ついたところで、私は沖縄土産(リラックマぬいぐるみ)を、彼女に渡した。
「沖縄旅行中に島井先生の結婚を知っちゃってさァ、それを知らなきゃ、もっとお土産買ってきたのに…スミマセン」
これが精一杯の強がりだった。
Tod戦は、島井女流二段の勝ち。島井女流二段に教えていただく前に、私もTod氏と指すことにした。Tod氏は私とは平手で指したそうだったが、私が強引に飛車角を落とした。結果は私の勝ち。Tod氏はもっと勉強をしなければならない。
ここでようやく、島井女流二段との指導対局開始。もちろんチョコレート勝負で、ここまで3勝3敗である。
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4二飛に、私は▲6六歩。角道止めずの四間飛車の対抗手段で、私の得意形である。屈服しているように見えるが、後の▲6五歩を見ている。
島井女流二段は穴熊に組まず、△7二銀。私は▲6五歩とし、一本取ったと思った。この位を取れば、上手は高美濃に発展できない。
「いまとなってはこの勝負にどのくらいの意義があるのかなあ。ダンナに買ってもらえって話ですよね」
私はまたイヤミを言う。でも相手は幸せ一杯だからいいのだ。
島井女流二段△5五歩▲同歩△同銀に、私は▲7八金(第1図)と締める。

第1図以下の指し手。△4六歩▲同歩△5六歩▲同銀△同銀▲同金△7七角成▲同桂△3九角▲4九飛△2八角成▲6七銀△1九馬▲5四歩(第2図)

島井女流二段は△4六歩から攻めてくる。やっぱり島井ちゃんはこうでなくちゃいけない。
私は自然に応接し、▲6七銀と立つ。これで金銀の関係が密になった。さらに▲5四歩と垂らし、棋勢の好転を感じた。
ここから14手進んで第3図。

第3図以下の指し手。△5六馬▲同銀△5七金▲6七金打△同金▲同銀△5七金▲4三歩成△5六歩▲5二金△7一香▲4四角(第4図)
以下、一公の勝ち。

下手は▲4三歩成からもろもろの攻めがある。ぐずぐずできない島井女流二段は△5六馬から△5七金ときた。いやな攻めだが、下手陣は懐が広く、攻め合いでも一手余せると思った。
私は▲4三歩成から▲4四角。△6一金がいなくなれば▲7一馬があり、受けにくい。島井女流二段は△6二銀と受けたが私は着実に攻め、どうにか勝つことができた。
局後はTod氏と、駒込に向かった。このころ私は精神状態がガタガタだったが、駒込ジョナサンは健在で、ウェイトレスのAyakoさんもいた。何より両の奥歯がしっかりしていて、何でも食べられた。長い人生、「あのころは不幸のどん底だった」と嘆いていたときが、実は「いちばん幸せだった」ということがある。このころもそうだったのかもしれない。
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元祖大内システム

2015-10-13 12:53:22 | 男性棋士
11日(日)のNHK杯将棋トーナメントで、対局者の藤井猛九段が「四間飛車藤井システム」を指していた。すぐに玉を囲ったけれども。
私のイメージする藤井システムは、居玉のままガンガン攻め、穴熊を攻略するというもの。
それで思い出す将棋がある。1967年に指された第8期王位戦第1局、大山康晴王位対大内延介六段戦である。ここで大内六段が、居玉のまま大山玉を攻め倒した。大山陣は穴熊ではなかったが、振り飛車の攻めは現代のそれにそっくりだ。
では、記譜を掲載してみよう。

第8期王位戦第1局
1967年7月27、28日
於:東京「将棋会館」
持ち時間:10時間

△王位 大山康晴
▲六段 大内延介

▲7六歩△3四歩▲5六歩△8八角成▲同飛△5七角▲6八銀△2四角成▲3八銀△4二玉▲5八金左(第1図)

3手目▲5六歩は大内現九段が時折用いた手で、後手に馬を作らせるが、手順に飛車を振って手得しようというもの。先手は角を手持ちにし、持ち角対馬の構図になる。
▲5八金左とした形が、居玉藤井システムを彷彿とさせる。

第1図以下の指し手。△3三馬▲7七桂△7四歩▲3六歩△7二飛▲6六角△4四歩▲4六歩△3二銀▲3七桂△6四歩▲8六歩△4三銀▲8五歩△5四銀▲4五歩△7五歩▲同歩△4五歩▲3三角成△同桂▲3五歩(第2図)

後手は馬を要所に引き、▲7七桂には△7四歩と桂頭を攻める。
▲6六角に△同馬では後手の主張がなくなってしまうので、△4四歩。先手は▲3七桂と跳ね、▲4五歩から再び角交換を目論んだ。数手後の△4五歩に▲3三角成△同桂。続く▲3五歩は、藤井システムの穴熊崩しにも頻出する桂頭攻めだ。

第2図以下の指し手。△7六歩▲3四歩△3二金▲3三歩成△同金▲5五歩△4三銀▲8四歩△7七歩成▲同銀△7六歩▲6六銀△6五歩(第3図)

後手が一歩先に△7六歩と打ったが、▲3四歩には△3二金が必要なため、先に桂を取ったのは先手のほうだった。
先手は飛車先の突破を目指し、後手は7七の地点を攻める。ここに駒の利きがなくなれば、△7七角の王手飛車がある。
▲6六銀に△6五歩と突いた。

第3図以下の指し手。▲8三歩成△5二飛▲4五桂△3四金▲5四桂(途中図)

△3二玉▲3三歩△2二玉▲4二桂成△同飛▲5三桂成(第4図)

大内九段は1979年にNHK将棋講座の講師を務めており、本局もテキストの教材となった。
△6五歩を取る手は論外。よって後手が△6六歩と銀を取るまでに、先手は一仕事しなければならない。
まずは▲8三歩成を利かし、△5二飛に▲4五桂。△3四金に▲5四桂(途中図)が妙手だ。
これに△同歩は、▲6四角△5三桂(△3二玉は▲5三桂成)▲同桂成△同飛▲5四歩△同銀▲4六桂、となるのだろうか。
取っては面倒と見た後手は△3二玉と逃げるが、先手は手順を尽くし▲5三桂成となり、大成功だ。

第4図以下の指し手。△5二金▲同成桂△同飛▲6一角△3三玉▲3五歩△1五角▲4八金直△4四金▲4五歩△同金▲3四金△同銀▲同歩△4二玉▲3三銀△5一玉(第5図)

△5二金には▲同成桂と取り、▲6一角と打って筋に入った。
数手後△3四同銀に慌てて▲5二角成では△3五金と粘られる。ふつうに▲3四同歩と取り、▲3三銀で玉を下段に落とす。△5一玉で双方居玉になった。

第5図以下の指し手。▲5二角成△同玉▲4二飛(投了図)
まで、77手で大内六段の勝ち。

▲6一角と打って13手目、ここでやっと飛車を取る。△同玉に▲4二飛まで、大山王位の投了となった。大山王位に△6六歩と取る順は回ってこなかった。
投了図で大内玉は居玉のまま。どうであろう。まるで藤井システムのようではないか。本局は大内九段の会心局。いや、代表局といってもいいだろう。

ゴキゲン中飛車や先手中飛車もそうだが、現代の新戦法がはるか以前に指されていたケースは多い。先達の発想の豊かさに、私は脱帽するのである。
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山口恵梨子女流初段は、桜田淳子の若い頃に似ている

2015-10-12 17:47:39 | 似ている
今日10月12日は、山口恵梨子女流初段の24歳のお誕生日。おめでとうございます!!
その山口女流初段は、デビューしたてのころの桜田淳子に似ていると思う。

桜田淳子は、1958年4月14日、秋田県生まれの57歳。1972年、日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」で、圧倒的評価をもってグランドチャンピオンを獲得した。翌1973年、歌手デビュー。同じ番組から誕生した森昌子、山口百恵をともに「花の中三トリオ」と呼ばれた。
3曲目のシングル「わたしの青い鳥」で、多くの音楽賞を受賞した。その後も着実にヒットを飛ばし、名実ともにスターとなる。ちなみに現在の中高年は、今でも各曲のサビを歌うことができる。
桜田淳子はその後、女優業にも進出し、ドラマや映画などでも活躍した。
1992年に結婚を機に芸能界から遠のき、現在も休眠状態が続いている。早期の復帰が待たれる芸能人の一人である。
山口女流初段とデビュー当時の桜田淳子は、肌がスベスベそうなところと、瑞々しい感じが似ていると思う。

山口女流初段はタイトル戦での聞き手やニコ生の出演など、「仕事」での活躍が目立つが、肝心の公式戦では、パッとしない状態が続いている。
山口女流初段は、このまま聞き手要員で終わっていいのか。これからの巻き返しに期待したい。
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