17日に行われた第2期女流順位戦A級8回戦・中井広恵女流六段VS渡部愛女流三段戦は、中井女流六段の勝ち。中井女流六段は4勝4敗の五分に戻し、渡部女流三段は3勝5敗で、今期負け越しが決まった。
渡部女流三段は、中井女流六段には5月の倉敷藤花戦に続き、痛い敗戦となってしまった。
ここで両者の対戦成績を確認すると、日本将棋連盟の公式戦は2014年1月10日が初対局で、中井女流六段の勝ち。以下中井、中井、中井、渡部、中井、渡部、中井、中井で、中井女流六段7勝、渡部女流三段2勝である。渡部女流三段の初勝利は第29期女流王位戦リーグで、渡部女流三段はこの期に女流王位に就いたから価値があったのだが、それにしても負け過ぎだ。
たとえば渡部女流三段の対里見香奈女流四冠線は、女流王位戦での奪取を含む6勝9敗である。実力四段の里見女流四冠に勝率.400は誇っていい数字だろう。それでどうして中井女流六段に勝てないのか。
もともと渡部女流三段はアマチュア時代、振り飛車党だった。ところが、当時の師匠格だった中井女流六段(と植山悦行七段)に居飛車を勧められ、居飛車に転向した経緯がある。
これに対し私などは「渡部振り飛車」のほうに賛成で、のびのびと振り飛車を指してもらいたいと思っていた。
ふたりの対局で印象に残っているのは、2010年12月23日に指された、LPSA・1dayトーナメント「フランボワーズカップ」で、ここで渡部ツアー女子プロ(当時)は、中井女流六段を破って優勝した(このときの模様は、当ブログ2010年12月25日~27日の記事に詳しい)。
このときの渡部女流三段は「△8五飛戦法」で、これで渡部女流三段は女流棋界に入ってもやっていける、と私は確信したものだ。
渡部女流三段はその後正式に女流棋士と認められタイトルを獲ったから、居飛車転向は成功の部類に入る。しかし里見女流四冠が振り飛車で頑張っているのを見ると、渡部女流三段の振り飛車も見たかった気がするのである。
話を戻し、渡部女流三段が中井女流六段と対局すると、修業時代を思い出し、何となく指し手が委縮してしまうのではないか。また、中井女流六段が渡部女流三段の将棋を知り尽くしている、ということもあると思う。
渡部女流三段にいまさら振り飛車は勧めないが、渡部女流三段は相手が誰であっても考えすぎないで、リラックスして指すのがいいのではないか。
その方法だが、渡部女流三段が対局前日に、W氏や私と談笑するのが、最高のリラックス法になるのではないかと、本気で思っている。
渡部女流三段は、中井女流六段には5月の倉敷藤花戦に続き、痛い敗戦となってしまった。
ここで両者の対戦成績を確認すると、日本将棋連盟の公式戦は2014年1月10日が初対局で、中井女流六段の勝ち。以下中井、中井、中井、渡部、中井、渡部、中井、中井で、中井女流六段7勝、渡部女流三段2勝である。渡部女流三段の初勝利は第29期女流王位戦リーグで、渡部女流三段はこの期に女流王位に就いたから価値があったのだが、それにしても負け過ぎだ。
たとえば渡部女流三段の対里見香奈女流四冠線は、女流王位戦での奪取を含む6勝9敗である。実力四段の里見女流四冠に勝率.400は誇っていい数字だろう。それでどうして中井女流六段に勝てないのか。
もともと渡部女流三段はアマチュア時代、振り飛車党だった。ところが、当時の師匠格だった中井女流六段(と植山悦行七段)に居飛車を勧められ、居飛車に転向した経緯がある。
これに対し私などは「渡部振り飛車」のほうに賛成で、のびのびと振り飛車を指してもらいたいと思っていた。
ふたりの対局で印象に残っているのは、2010年12月23日に指された、LPSA・1dayトーナメント「フランボワーズカップ」で、ここで渡部ツアー女子プロ(当時)は、中井女流六段を破って優勝した(このときの模様は、当ブログ2010年12月25日~27日の記事に詳しい)。
このときの渡部女流三段は「△8五飛戦法」で、これで渡部女流三段は女流棋界に入ってもやっていける、と私は確信したものだ。
渡部女流三段はその後正式に女流棋士と認められタイトルを獲ったから、居飛車転向は成功の部類に入る。しかし里見女流四冠が振り飛車で頑張っているのを見ると、渡部女流三段の振り飛車も見たかった気がするのである。
話を戻し、渡部女流三段が中井女流六段と対局すると、修業時代を思い出し、何となく指し手が委縮してしまうのではないか。また、中井女流六段が渡部女流三段の将棋を知り尽くしている、ということもあると思う。
渡部女流三段にいまさら振り飛車は勧めないが、渡部女流三段は相手が誰であっても考えすぎないで、リラックスして指すのがいいのではないか。
その方法だが、渡部女流三段が対局前日に、W氏や私と談笑するのが、最高のリラックス法になるのではないかと、本気で思っている。