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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(251) 甲越 川中島血戦 78

2024年11月17日 20時39分14秒 | 甲越軍記
 間者たちは小田原と忍城で流言を放った
その内容は「忍城主、成田下総守は上杉に属すと言えども、その実、裏では北條、武田に内通しているとのこと

この噂が謙信の耳に入った。 謙信は日頃より成田に対して疑いを持っていたので、直ちに成田に対して尋問をするといきり立った
甘粕近江守と直江山城守は、これを諌めた「いま急にことを糾さんとするは却って変事を招き寄せることになりましょう、ここは知らぬ顔をしているのが良策であります」と言えば、謙信ももっともなことだと沙汰は取りやめとなった
そうして密かに成田を見張っていた。

これより何となく成田を危ぶんでいたところ、忍城や城周辺で「謙信は武勇を誇り諸将を塵芥のごとく見下して、また人を疑い、特に成田は心変わり度々の曲者故、まもなく誅伐されるであろう」との噂が広まった

忍の留守居役はこれを聞いて驚き、すぐに小田原の成田の陣へ行って、このことを伝えると成田は薄笑いを浮かべて、「そのような兆しはたしかにあるようだ、謙信の性質は剛勇と言えども短慮であるから物事の成否も確かめずに怒ること多し
謙信がいかに勇なりと言えども、我ら関八州の軍勢が従えばこそ彼の威が輝くのである
しかるを己の勇に従うと勘違いして人を疑い、軽んじて誅するなどという心こそおかしけれ」と、その場は聞き流したけれども、心に湧いてきた疑念は膨らむばかりであった。

かくして足利義輝公より大和兵部少輔御使として下向有ったので、上杉入道謙信は鶴岡八幡宮へ社参ありて神前にて管領職に正式に任じられた
その威儀は厳重にして、右大将家の格式に準じ、居並ぶ諸大将らもその儀式を見て、改めて謙信の威勢をまぶしく見上げたのである
しかし腹の内では(さしたる功もないのにすでに関八州の十一万の主将となった果報者)と冷ややかに見る者も少なくない
特に成田下総守長康も従軍しているが、図らずも謙信と目が合い、屹と見合わせると謙信はかねてより成田を心憎く思えば「くわっ」と怒りがこみあげてきて「下総守の態度、無礼なリ」と云うと床几からさっと立ち上がり、持っていた扇で成田の顔を二度までも続けさまに打った

成田も大いに怒り「なるほど日頃より人が申す通り、ありもせぬ事に寄せて、我を誅するとは誠の意であったか、されば結構なことなり」と無念の顔色を見せて、太刀の柄に手をかけて飛び掛からんとするのを、直江山城守、須田大炊助、走り寄って左右から成田を取り押さえる
これには成田も力を落して従う、周囲は一同に「すわ大事おこったり」と騒ぎ立てるのを、直江山城守、甘粕近江が制したのでことなく収まった
しかし成田は怒りおさまらず、成田勢揃って忍の居城に引き上げて籠る
これを見た関八州の諸将も白けてしまい、それぞれに思うまま居城へと引き上げた
残ったのは上杉勢だけとなり、一万七千の兵と共に上州平井城へと引き取る、
途中、野武士らに荷駄を奪われ、それから越後へと引き上げた。


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