今度のひらきは両開き3ドアの標準的な電車です。
素材はペーパーではなくプラ板です。
タイトルのとおり1000系なのですが、どこのだかわかりますか?
正解は上信電鉄1000系です。
実車は1976年(昭和51年)に3連が1本だけ製造されたもので、地方ローカル私鉄の自社発注車としては異例の先進的フォルムで登場し注目を集めました。現在は2連に短縮改造されています。
登場後すぐに乗りに行っているので、恐らく1976~77年の作と思われます。
タミヤのプラ板は1970年代初頭に発売されたと記憶していますが、ペーパー並の手軽さで仕上がりが金属にも匹敵する素材として注目され、TMSなどでもたびたび製作記事が紹介されていました。
唯一の難関は曲げ加工で、両肩のRをいかにうまく曲げらるかで成否が決まるといっても過言ではありません。その点、この車両は両肩のRがなく折り曲げだけで済むため、小手試しのつもりで作ったようです。
ただ、折り曲げもそれはそれで難しく、ペーパーの気分で裏側にカッターでスジ彫りをしてえいやっと曲げたとたん、パリンと割れてしまうことも多々あるのです。
この車体が折り曲げられず、ひらきのまま終わっているのは、そういったトラウマのなせるワザかも知れません。
次の2枚の写真は登場間もない頃の1000系で、アイボリーにオレンジのストライプが入ったオリジナル塗装の美しい3連です。
ハーフサイズカメラのプリントをスキャンしているので画質が荒い点をご容赦ください。
撮影は1977年頃と思います。
【終点・下仁田駅にて】
【鏑川鉄橋を渡る】
よろしければ↓クリックを
素材はペーパーではなくプラ板です。
タイトルのとおり1000系なのですが、どこのだかわかりますか?
正解は上信電鉄1000系です。
実車は1976年(昭和51年)に3連が1本だけ製造されたもので、地方ローカル私鉄の自社発注車としては異例の先進的フォルムで登場し注目を集めました。現在は2連に短縮改造されています。
登場後すぐに乗りに行っているので、恐らく1976~77年の作と思われます。
タミヤのプラ板は1970年代初頭に発売されたと記憶していますが、ペーパー並の手軽さで仕上がりが金属にも匹敵する素材として注目され、TMSなどでもたびたび製作記事が紹介されていました。
唯一の難関は曲げ加工で、両肩のRをいかにうまく曲げらるかで成否が決まるといっても過言ではありません。その点、この車両は両肩のRがなく折り曲げだけで済むため、小手試しのつもりで作ったようです。
ただ、折り曲げもそれはそれで難しく、ペーパーの気分で裏側にカッターでスジ彫りをしてえいやっと曲げたとたん、パリンと割れてしまうことも多々あるのです。
この車体が折り曲げられず、ひらきのまま終わっているのは、そういったトラウマのなせるワザかも知れません。
次の2枚の写真は登場間もない頃の1000系で、アイボリーにオレンジのストライプが入ったオリジナル塗装の美しい3連です。
ハーフサイズカメラのプリントをスキャンしているので画質が荒い点をご容赦ください。
撮影は1977年頃と思います。
【終点・下仁田駅にて】
【鏑川鉄橋を渡る】
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