80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

ブックマーク追加

2010-01-19 09:44:07 | 総務部
ブックマークに「Kaiji line」(トタ旧M6様)のページを追加しました。中央東線の実物写真とデータ、それに16番鉄道模型「甲斐路線」の製作記などが充実しています。
既にキハ28 2500番代の改造もお済みのようで...
こちらも頑張らねば(汗)
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都電のひらき

2010-01-18 15:57:41 | ひらき
ひらき第2弾は都電荒川線7000形(更新車)で昭和53~55年頃の作と思われます。


京王2600同様、片面はサッシが貼ってありますがドアがありません。どうやらいつもより薄い紙を使っているため、さらにこの内側にドアを貼るつもりだったようです。
当時はまだ路面系を作っている人はあまりいなかったので、完成していれば先進的だったかも知れません。

実車は昭和31年(1956年)に製造された旧7000形の車体を載せ換えた更新車で、赤帯を青帯に巻き直した7500形とともに荒川線のワンマン化に貢献しました。

この写真は、車両やホーム施設のワンマン化が完成し「荒川線新装記念」の花電車が走った時の学習院下電停のようすで、撮影は昭和53年(1978年)4月です。装飾を施された7000形の後ろに6000形改造の花電車が3両続き、一目見ようと多くの人々が集まっています。


上の写真の1年後、ジンチョウゲが香る学習院下電停付近を行く7000形で、ワンマン運転もすっかり板についたようです。昭和54年(1979年)3月の撮影。


さらに1年後の昭和55年(1980年)3月、面影橋電停付近を行く7012号車です。この頃はまだ目白通りが拡幅整備される前で、荒川線の数少ない併用軌道シーンを見ることができました。


最後は荒川車庫に佇む車両たちをスナップしたモノクロ写真です。左から7021、7509、7004の3両が出発線に待機しています。三角屋根の車庫本屋も懐かしいですね。
撮影年月がわかりませんが、中央の7509はよく見ると前ドアステップが低くワンマン改造されていません。同車はワンマン改造されないまま昭和53年4月に廃車された(※)そうなので、同年3~4月に撮影したもののようです。


Special Thanks
KTT Railfan Information 様の情報を参考にさせていただきました。有難うございます。
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掘り出しキハ40系の製作(その5)

2010-01-17 08:12:50 | その他
今日はカプラーの取り付け加工についてご報告します。

品薄のKATO「キハ58系カプラーセット」(品番1-601C3)ですが、たまに行く模型店のWebで在庫を発見し即購入しました。なのでキハ40、47の2両とも連結可能となったほか、既存のキハ58系列とも混結できるようになりました。

試しにキハ47の連結面側に装着するために加工してみます。
床板にベタ付けするため、まず両側のコの字型に出ている部分(完成品ではここが床板にはめ込まれる)をニッパーであらあらカットします。
次に、内側にある2ヶ所の突起と同じ高さになるまで削りますが、コの字型部分に片側2ヶ所ずつあいている∞状の穴を目安に、削っていってこの穴の窪みがちょうど消えたところがベストの位置となります。写真の左側が削った状態です。


床板側には復元バネを避けるための窪みと位置固定用の穴をあけます。この穴に上述の「2ヶ所の突起」が入って位置が固定されます。


車体との固定はφ2mmのビス・ナットで行います。そのための穴をあけたところで、黄色い丸で囲ったところが取付穴です。
カプラーを曲げていくとストッパーの足の先端(わかりやすいように白で着色)がここを通過するので首振り角に影響してしまうのですが、他にあける場所がありません。振り角を最大限確保しようと足の先端も少しカットしてあります。
目測ではもっとカットすればビスの脇をすり抜けて元の固定位置までもって行かせることもできそうに見えるのですが、まさにコンマ数ミリの攻防になりそうなのでやめました(^^;


無事床板に固定できました。ちなみに取付位置は「カプラーの首元と床板の端が一致する位置」で、KATO完成品を参考に決めました。車体妻面からは首元が1mm内側になります。
構造がデカく台車の回転にも影響するのですが、写真の位置までは曲がるので600Rの通過に支障はなさそうです。


キハ28と連結させてみました。オッケー!です。



それにしても、実用新案というだけあってこの伸縮カプラーというのはすごいものですね。TOMIXのTNカプラーも恐らく同じような構造ではないかと思いますが、カメのようにも、太ったペンギンのようにも見える四つ足状の板がケースの中を「回転しながら位置を変える」ことによって伸縮させているんだなぁ。直進状態では「腰」で引張力を受け止め、少しでも曲がると「わきの下」で突起を抱え込むようになっている...
昔はやった歯車の中に鉛筆を突っ込んでグルグル回すと綺麗な絵が描ける定規(何て名前だっけ??)やロータリーエンジンなんかにも相通ずる「発想の妙」「設計の美しさ」を感じます。
ひがな一日カプラーを眺めていてなかなか筆が進みませんでしたとさ(^^;
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電車の“ひらき”

2010-01-15 22:30:26 | ひらき
ここに取り出したる聖護院八ツ橋の銘菓「聖」の箱。
京都みやげではありません。
フタを開けてみると・・・



はい、おびただしい作りかけのペーパー車体が収まっていますね(^^;
アジのひらきならぬ電車のひらきです。

これは、昭和40年代終わり頃から昭和60年頃まで作った車両たちで、完成することなく箱の中で眠っていたものです。熱しやすく冷めやすい私の履歴書みたいなものでしょうか。
もちろん、中には強い意志をもって作り始めたものもありますが、たいがいは雑誌の折込図面にハッとときめいたり、撮り鉄の興奮を引きずったりしたまま「ちょっと窓でも抜いてみっかー」的に作り始めて放り出したものが大半です。

模型製作の進捗が芳しくないときの穴埋めネタとして、ポツリポツリ紹介していきたいと思います。


で、第1回目はご覧のひらき。均整のとれた3つドアの電車ですが何だかわかりますか?



答えは京王帝都電鉄2600系の中間車、サハ2650形です。
2600系は昭和25年(1950年)に戦後初めて製作された京王初の大型車で、Mc+Mcで登場したのち、翌年にこのサハが製作されて3連になりました。

模型の方は先頭車はなくサハ1両分だけで、どうも面倒な前頭部を先送りするクセは昔からあったようです(^^;
片側の窓枠まで貼った状態での放置ですが、全体的にカッティングは悪くないので、ノーシル・ノーヘッダーの3両編成という手ごろさも相まって、組み立て予備軍にランクアップしたいと思います。(着工時期はみ・て・い!)


下の写真は高尾線で最後の活躍をしている昭和52年(1977年)秋のひとコマで、撮影後ほどなくして行われたサヨナラ運転を最後に惜しまれつつ引退しました。コスモスの間から電車をのぞかせたつもりが、すっかり陰になってしまい失敗。釣り掛けの心地よい唸りが聞こえてきそうですね。





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掘り出しキハ40系の製作

2010-01-14 03:03:52 | その他
キハ47の進捗状況です。オデコ周り、ルーバー・給水口の埋め込み部分、屋根板と側板との継ぎ目を中心にパテを盛り、サフェがけと研磨を2度終えたところです。

ベンチレーター、水タンク、スカートを仮に取り付けてみました。いずれもエンドウのパーツです。水タンクはキハ40用で47はもっと角ばっているのが正解です。気力があったら(^^;削って形を整えたいと思います。



スカートの取り付けにはひと作業必要でした。この車はすそ絞りのある折妻のため、その形状を保持するために前頭部の下部に幅1cmくらいの床板が取り付けてあります(下写真)。
一方、エンドウのスカートは金属床用なので台座の厚み分だけ床板を削る必要がありました。すでに車体に固定されているため、この状態のまま彫刻等で必要な厚みまでなるべく均一に掘り込んでいくのは結構しんどい作業でした。


あと、探していたKATOの伸縮式密自連カプラーがパーツボックスの中から1組だけみつかったので、とりあえず1両はカプラー付きで完成できそうです。機構が複雑なため、取り付け方法について考えなければいけません。
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