今歩いた道を振り返ってみた。電信柱が邪魔ではあるが(観光地ともなれば電線を地中に這わせている)これもまた昭和の時代物である。電信柱が林立し、電線が縦横無尽に空に引かれていた。電話線もあちこちの家へ引き込まれていた。そのような観点からでも経済的に余裕も生まれてきた時代であった。
豊後高田だけが昭和を色濃く残しているわけではないが、昭和というキーワードを平成になって大いに利用した街並みは先駆者と言っても過言ではなかろう。
ただ泊り客は少なかろう。今後の課題なのではないだろうか。
豊後高田を後にして、既にご存知はおられるであろう。そう、また汐湯なのである。母と桜が満開のときに来て以来で少々時が空いていた。
紫陽花が我々を出迎えてくれている。四季があるというのは好いことだ。
湯にゆっくりと浸かってよくぞ日本に産まれけりを堪能するのである。