街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

仲哀天皇

2010-11-23 08:20:35 | 史跡
 歴史好きな読者諸氏は勿論のこと、あるいはそうではない読者諸氏でさえも倭武尊(日本武尊)は存知よりで、知らないと言う人はまずいない。仲哀天皇は尊の第二子で、息子が居なかった第13代成務天皇の後継として皇太子となり、第14代仲哀天皇が誕生する。
 穴門の豊浦宮(下関長府)筑紫の訶志比宮(福岡県香椎)を宮とし、天の下を治めしめすのである。
 何故、仲哀天皇が取りざたされるのか。それは天皇の皇后があまりにも有名だからである。これも知らない人はいないだろう。言わずもがな 神功皇后 である。(とある神社では皇后を神として祀っているのにもかかわらず「神宮」皇后と記してあるのだ。馬鹿な神社(神社ではなくそこの人間が馬鹿だ)があったもので呆れてしまった。本当は神社ではなく、すごく格式の高い神宮なのだがな。あまりにも情けない。)
 今風に言えば、彼は素晴しい奥さんを娶ったことだ。それが彼の功績だった。奥さんは神がかりするくらい霊的、或いはシャーマン的能力の持ち主だったのである。
 そのことが判明したにもかかわらず、彼は奥さんの言うことを聞かなかったのである。
 それが原因となったのかは彼にしか判らないのだが、その翌日に死んでしまったのである。早死にしてしまったわけだ。
 ところが奥さんがあまりにも多忙だったので葬儀を出す暇も無かったのである。豊浦宮で1年2年、殯宮に安置され、ほったらかしにされることになったのである。
 奥さんはすごいぞ。朝鮮半島に出向き三韓を征伐してしまい倭の勢力化に取り込むことに成功するのだ。とって返して同年12月14日 宇美で応神天皇を産むのである。
 そして翌年2月「ショウケ越」を越えて「大分(だいぶ)」に到着。暫くここに留まり政務を執るのである。ここまで言葉は乱暴ではあるが、由緒記にそくして書いてみた。
 <続く>
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天神山古墳 

2010-11-23 07:42:54 | 福岡 古墳


削り取られている部分である。ご覧のように建物が喰い込んでいる。

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歩きに出かけた  今元道編

2010-11-23 07:37:47 | 街道関連

 長井浜へ続く道である。 その先には石並古墳、築城へと延びて中津街道と合流する。
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秋月街道

2010-11-23 07:30:06 | 秋月街道


 瓦を縦に埋めて滑り止めにしているのか。その名の通り瓦坂である。
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汐湯 中津街道

2010-11-23 07:23:31 | 中津街道

 金富八幡
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