街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

御所山古墳

2010-11-29 10:37:58 | 福岡 古墳


 御所山古墳  前方後円墳前方部一方から括れの部分を望む
 濠の底をトレンチしている。昭和47年に掘った箇所を再調査している。40年前だ。 

 前方後円墳前方部一方から長辺を見て前方部他方を望む
 長辺中央をやはりトレンチしている。昭和47年に掘った箇所を再調査している。40年前だ。

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長崎街道  歩く

2010-11-29 10:33:33 | 街道関連
 
 古墳にとらわれずに街道を歩かねばならん。妻は先に行く。

 脚下に奔るのは清流ではない。国道200号が南北を貫いて車を走らすのである。
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歩きに出かけた  今元道編

2010-11-29 10:32:24 | 街道関連

 沓尾地区
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秋月街道

2010-11-29 10:31:17 | 秋月街道
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汐湯 中津街道

2010-11-29 10:28:18 | 中津街道

 我輩専用の33番

 一人先客が居るが当然に写すわけがない
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大分宮  憤れる仲哀天皇  

2010-11-29 10:08:07 | 史跡

 「大分宮」由緒記は云う  応神天皇(まだ乳飲み子ではある)をショウケ(籠の一種)に入れて険しい峠を越えこの地到着した。その時に越えた峠を「ショウケ越」と言うのはこれが由縁である。
 さらにこの地で軍隊を解散(大きく分けた)させたから「大分」という。地名の由来とはこの様なもので、特に福岡は神功皇后所縁の地名が多いのである。
 さて、この様な由緒は一般的である。
 ところが「大分宮」由緒記は後半から全く一般と異なるから面白いのである。
 由緒記は「確信」を突くかのように云うのである。もともと御神殿は後背丘陵地上にあったのだと。そしてその基壇は今でもそこに残っているのだと。すると御神体は神殿の後背地にある「古墳」なのではないか。
 ここまで書くと我輩には読者諸氏の「ははーん、もしかすると」という声がもう聞こえてくるのである。
 その被葬者は言わずもがなかも知れぬが言わずにおれぬ。そう「仲哀天皇」なのである。
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