緑が目に眩しい その緑が柔らかい弧を描いている 千数百年もかけて自然に溶け込んでゆく円弧である。この柔らかさがなんとも言えぬ美しさを魅せるのである。
別に取り上げるほどの古墳ではないと思われるだろうが、その当時は西都原と肩を並べるほどだったらしい。
それがたった1基残ったわけだ。このような古墳がそこここに凡そ300基あったというのだから壮観だったろう。その1基が目の前にあるのである。残しておかねばなるまい。
須多田ミソ塚 ガリガリに痩せ細っている前方後円墳
天降神社を望む。ここでは洗練された大和型前方後円墳を見ることが出来る。この地域の全盛期だったのではなかろうか。
多重の環濠を見ることが出来る。有名なのはやはり平塚川添遺跡ではなかろうか。三重の環濠でびっくりしたのだが発掘が進むに連れて七重の環濠が現れた。もうこれは言葉にはならなかっただろう。
魏志倭人伝はいう。「倭国乱れ相攻伐する云々」が如実に現れた遺跡であったのだが、壱岐原の辻はそのようなことはなかったのだろうな。
このような案内板をあちこちに見ることができる。これはなかなか見やすくて良いものだ。