街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

琵琶湖一周一人 自転車 その二

2005-10-08 01:13:00 | 自転車
 すると、道路左側の歩道が広い。そこには自転車レーンが設けられている。後方からくる車に迷惑を掛けてはいけないので、そこを走ることにした。このレーンがとても走りやすいことに感心しつつ、この様な道が琵琶湖を一周し終わるまで続くことを期待するが、まあそうもいくまい。 
 それにしても体が重くてしようがない。日常的に運動をするわけでなく、本格的に自転車で走るのは達朗と一緒に、漆生、平戸を走って以来9年振りである。
 小倉を出発する前に妻の言った言葉が思い浮かぶ。「はしれんやろ」この言葉に反発しながらペダルをこぐが、思うように進まないのには我乍ら呆れてしまった。
[続く](写真:近江八幡市 八幡堀と愛車)
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琵琶湖一周一人 自転車

2005-10-06 00:17:27 | 自転車

平成14年5月19日午前十時北九州小倉出発
車にキャリアを着け自転車を運ぶ。中国道から名神高速、栗東で下りる。守山市の弟宅17:00着
平成14年5月20日  琵琶湖一周  第1日目  滋賀県守山市岡町 弟宅

 午前9時、義妹に見送られて出発する。天気は良いのだが少し肌寒く感じる。緊張して体が震えているようだ。北方を見やると少しの雲が漂いながら私を誘っている。
 家を出てすぐ左に折れた道は昔からある生活道路だろう。両側から板塀や低い軒が迫っている。そこを抜け、東海道本線の下ををくぐる歩道を抜け、琵琶湖取り付け道路に出る。ここから愈々本番である。
 朝から車の往来が激しく、車道を走るのが怖くて体全体に力が入り、強ばっている。ひどく緊張しているのが自分でも良くわかる。
 何分か走って少し緊張がほぐれてきたのか、ちゃんと周りを見て走っている。少し走りに余裕がでてきたようである。[続く]

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琵琶湖一周一人 自転車

2005-10-05 00:42:39 | 自転車
過去の紀行ではありますが2002年5月20日から5月22日の3日間自転車で琵琶湖一周をしました。紀行文とまでは言えないかも知れませんが少しづつ書いていこうと思っております。新緑映える山々が笑って迎えてくれ、湖面を揺るがして心地よい風が吹いてくる。自転車ならではの醍醐味が味わえると確信しています。きついのには変わらないのですが、そのきつさが心地よいものです。以上予告編です。その間豊田町西市のような街並みもご紹介できるかもしれません。お楽しみに。(写真:近江八幡市 八幡堀と愛車)
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豊田町西市のこと その二

2005-10-04 00:18:10 | 街道関連
豊田町は山口県小月より北上し豊田湖、長門市方面に向かい、菊川より約12kmに位置し、木屋川の上流である。四方を山に囲まれた町で、木屋川方向のみが開かれている。町中の街道はなだらかな曲線を描き(この曲線がとても好きだ)、町の中心に近づくと小さな橋を渡る。その橋の手前に面白いアーケードがある。これはなんとも面白いとしか言いようが無い。それを過ぎるとすぐ右側に木造三階建ての旅館がある。これも見ものである。順序が入れ替わっているが、アーケードの手前左側に陣屋跡の門がある。確かに宿場町である。しかしながら半宿のようであり、街並みは短い。だが、この街並みは心を安らげてくれることには間違いが無い。一度といわず散歩がてらでも散策してもらいたい街並みである。(写真:面白いアーケード)
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街道を歩くということ 最終回

2005-10-03 13:55:14 | 街道関連
しかしながら現存するその当時の道は殆ど無く、舗装され、或いは石畳にされている。これは観光客がいつなんどき訪れてもいいようにしているのである。現代人は未舗装の、雨にぬかるんだ道を、また、水溜りを避けながら歩くのを嫌がるからでもある。舗装はそこの住民の為には今ではしごく当然のことではあるが、石畳にあっては訪れる者への配慮である。電線も地中に埋められ、当然電柱などはない。観光と景観のためである。      
たしかに江戸時代はその様な物は全く無いのだが、観光客を呼び込む為にはその一角だけでも必然的にそうしなければならないのである。こうして江戸時代から続いてきた街並みを整備保存し、観光客を呼ぶわけだが、これだけで街並み保存ができないのもわかっている。そこに住む人だけでなく、その地方自治体も協力しあわなければならないのも確かであって、我々の目に見えないところで十二分に力が注がれているのである。
こうして幸いにも残され、保存されていく街並みは、その土地の資源でもあり、財産でもある。現代人の我々が、昔の人が歩いた街並みに時間をかけて楽しく歩くことができるのは贅沢なのかもしれない。だからこそ街並み全体を見守る目を持って訪れることを心掛けたいものである。[終わり](吹屋の街並み)

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街道を歩くということ その十一

2005-10-02 00:30:32 | 街道関連
その彼らが駆け出した通りはゆるやかな弧を描いており、向うを見通すことができない。そして十字路はほとんどないと言っていい。道は鉤状であり、細い路地から本通りに出るときっと正面には建物がある。右か左か、一瞬逡巡しなければならないのにはおそれいる。これだけではない。路面をみると路肩が鋸の歯状になっている。家の壁で人一人が隠れられるようにしてあり、万が一外から攻め込まれた時の為、そこに身を隠して一撃する。不意打ちを食らわすのである。商家の街並みも通りも防衛上重要な戦術上の手段とされたわけだ。これはお上から与えられた計画道路であったし、都市計画でもあった。それが現在まで存続したのは歴史上の産物として現代人が残してくれたものである。本来ならば真直ぐな側溝へと造りかえるのだろうがそうではなかった。[続く](写真:楠町の街並み)
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街道を歩くということ その十

2005-10-01 00:53:15 | 街道関連
それは街道があったればこそであり、文化を築くことの一役を担っていたからでもある。街道から流れ込んでくる情報が真っ先に町人たちに入ってきたからである。その情報を取捨選択し、自らのものにし、その地に浸透していったものである。
街並みに佇んでみると、建物が小さくても、それはどっしりとした構えで、豪放で、小兵の関取が見合ったときの姿を正面から見る様に似ている。そしてこれらが落ち着いた町並みを形成し、観る者に癒しを与えてくれる。これは歩いてみることによって判るものなのである。
さらに、今にもその戸口から髷を結った旦那連が出てきそうだし、商家の女将がなにかと声を掛け合いながら飛び出してくるような、丁稚小僧が大きな荷を背負って走り出してくるような、そして脇の路地から町人達ががやがやと賑やかに顔をだしてくるような気配さえ感じるのである。[続く](写真:厚狭の街並み)
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