案内が建てられているが・・・古墳の漢字にしか目が行かない。悪い癖である。
そこにあるのは説明看板だけの様だぞ。誰がどう見ても古墳には見えないな。
古墳時代後期に築造されたとする。六世紀以降である。横穴式石室を持ち且つ周溝をも持っていたと書かれている。
もしかすると装飾石室の可能性もあったろうが、完全に破壊されているが、それの痕跡はある。よくもまあ残されたものだと感心する。
案内が建てられているが・・・古墳の漢字にしか目が行かない。悪い癖である。
そこにあるのは説明看板だけの様だぞ。誰がどう見ても古墳には見えないな。
古墳時代後期に築造されたとする。六世紀以降である。横穴式石室を持ち且つ周溝をも持っていたと書かれている。
もしかすると装飾石室の可能性もあったろうが、完全に破壊されているが、それの痕跡はある。よくもまあ残されたものだと感心する。
おー、出て来たぞ。五年も前の種が・・有難いな。
少し深く植えたので根もしっかりとしている。間引きしようと思っているのだが・・当たり前のように様子見だな。
羽衣縷紅草の双葉である。亡き父が朝鮮朝顔と言っていたのだが・・我輩も疑うこともなくそう思っていたからな。
父の遺影の近くに種を蒔いた。これからが楽しみである。
これもそうだ。ただね、これらの種は五年前に採取した種なんだ。心配は取り越し苦労だったかな。
赤片喰が終わったと思ったら・・もう少し花を見せてくれるようだぞ。
これも本葉が出るまで何になるか判らない。
本葉が出ているが丸葉である。これはヒルガオ科サツマイモ属であることを表しているのだが我輩が望む朝顔ではない。
昨今琉球朝顔を我輩が欲している父の朝顔と同等に扱っているのは許せない。種から出来るものと宿根草であることの完全な違いを理解していない。ただ漏斗型の花を咲かすからそう言っているんじゃないか。朝顔は夏で終わるから良い。
これも同様である。
御霊塚古墳(熊本県)
御覧になってお判りの様に残念なことになっている。六世紀後半に築造された装飾古墳である。津袋古墳群の淵と言えるような場所にあるのだがここだけが装飾古墳である。また、説明看板にもあるように石室がすばらしい。径20mの円墳で周溝を持っている。古墳の前に道があるのだが狭いので車を停めてはいけない。
当該ブログの記事は令和2年(2020)6月8日から15日までである。
黒星病の様子がよく判ると思う。二回目の薬剤散布でだいぶ解消されている。ただ、梅雨入りしていて雨が降るものだから薬剤散布はその間隙を縫って行わなければならない。あとは花を咲かせてくれた御礼肥を施さねばならない。
だいぶ綺麗になったぞ。
薬剤が効かないものは葉を落としてやらねばな。