【安野光雅 NHK趣味百科 「風景画を描く」で講師を務められる。その絵が好きで欠かさず見ていたな。最近は名前を聞くことがなかったが訃報を聞いて驚きを隠せない。いい絵を描かれるからな。何もとりえも能もない我輩に少しでも・・・まあ無理な話だがな。心よりご冥福をお祈りいたします。】
大正15年(1926)3月20日 誕生 令和2年(2020)12月24日 逝去
死ぬ前に津和野(安野光雅美術館)に行かねばと・・・
寝台特急富士ラストラン
寒風の中で40分待った甲斐があった。もうこの姿を見ることは出来ない。
無くなるとは夢にも思わないから何かの機会にでも撮影しようなどと思っていたのである。しかし、これが最初で最後の写真なのだ。気持ちばかり焦ってしまってどうしようもなかったが我ながら上手に撮れている。群がる人も無くただ一人の独壇場であった。
このED7690は、前夜上りの富士を牽引した機関車だった。大分 門司間を何度となく往復したのだろうな。お疲れ様。
九州管内では客車列車はイベントで8600型蒸気機関車が牽引する人吉号だけとなった。あのゴトンゴトンを身体に感ずることはもうあるまい。
さあ皆さん 寝台特急富士 最後の雄姿 じっくりと見ていただこう。
当該ブログの記事は平成21年(2009)3月14日から17日までである。
そう言えば記事を書いたままでフォトチャンネルにアップしていなかった。本日は亡くなった父の誕生日だ。国鉄職員一筋で我々を育ててくれた・・・
食べ物を落したので拾いに行って食べているのである どうも不器用でいかん
だからあとでここを掃除したのである また落としても汚れるようなことがないようにと・・・はははは
「何やってるんだろう」と我輩に言いたそうだ 手前に落とすと黒猫のタンゴは電光石火の如くデデデデデと走って行って横取りするからな
おっ 「ギャー」が日向ぼっこしている
ほら と食べ物をやると降りて来た やはり左で噛んでいるな 右は使えないのかな
御礼ぐらいは言おうな とは言うものの我輩はお前の給仕係だからな
西福寺、人羅、山の神(長崎 壱岐)2012
人羅古墳群のこと 位置 当該ブログの記事は平成24年(2012)7月22日から25日までである。
小さく目立たない古墳ではあるが立ち寄った古墳である。どこにでもあるような古墳ではある。
先ず判らないと思われる場所にある。4基ほどの小さな円墳があり、それぞれ横穴式石室を持つようだ。ようだと書いたのは痕跡からであって石材が総て抜き取られているからである。恐らくは6世紀後半の築造であろう。これといって特筆する古墳ではないのだが、自転車で周っている時にそれらしい場所に寄ってみるから見つけたもので案内などは無い。近くには長崎県下最大の前方後円墳である双六古墳がある。
山の神古墳群のこと 位置 当該ブログの記事は平成24年(2012)7月18日から21日までである。
3基ないしは4基の円墳が確認できる。中でも御覧の様に道によって半分ほど削られて横穴式石室が覗いている。恐らくは6世紀中頃の築造と言ったところであろう。ここを登って林の中に2基は確認できたのだが・・神社があるのだが、そこでは古墳は確認できなかった。壱岐には260から280を数える古墳が所在するがこんなに小さな古墳もある。自転車での古墳探訪だったから得られたのかもしれないな。
西福寺古墳のこと 位置 当該ブログの記事は平成24年(2012)7月26日から29日までである。
西福寺本堂の裏に「鬼の岩屋」と言われる西福寺古墳がある。我輩は裏の道からその後ろの墳丘部分しか行かれなかった。半分ほど削られてしまっているのは残念である。次に行く機会があれば石室を覗かせてもらおう。
おー 参拝者が今年は多いじゃないか 我々はニューイヤー駅伝が終ってから出かけたのだが・・・うーむ 天気は好いしそんなに寒くも無いしな コロナ禍にあって退散を願っている方が多かろう
様変わりには驚いたものだが・・らしくなった・・と言えば失礼かな
ははは 拗ねているぞ 困ったもんだ ははは
おい と声を掛けても猫なで声で我輩に何かを訴えるのである なんばいよっとかいな
「のけっ」と言うといつもの避難場所で 拗ねて見せる 今お前の相手は出来ん