おっ 珍しいな 新手のルーティンだぞ 擦り寄って来る様を見せている
しばらく様子をみようかな・・・
おっと 黒猫のタンゴも来たじゃないか 新手に何か言っているようだが・・・うーむ 判らん(当たり前だけど)
おっ 珍しいな 新手のルーティンだぞ 擦り寄って来る様を見せている
しばらく様子をみようかな・・・
おっと 黒猫のタンゴも来たじゃないか 新手に何か言っているようだが・・・うーむ 判らん(当たり前だけど)
裏庭に咲く オニタビラコ アメリカフウロと一緒だ
沢山の花をつけてくれる 色のない裏庭で少しでも季節の彩を見せてくれるので有難い
次の代の準備が出来たぞ あちこちに飛んで行くのだな
ふわふわした綿毛も良いだろ この様な姿はタンポポではよく見るけれどね
ドアを開けて皐が植栽されている花壇の様子を・・・ははは ここは殆ど雨が降りこまないのだが・・・先日の大雨で大量に降りこんだのであろう・・・賢明なる読者諸氏も既にご存知であろう・・・ヘクソカズラである
一本の小さな幹からこれだけも蔓延ってしまった 花をつけるものだから様子を見ようとそのままにしておいたのが裏目に出てしまった 伯母を思い出す「ヘクソカズラも花のうち」なんてよく言っていた 何もしなければいいのだが 葉をちぎったりすると・・名前の通り悪臭を放つ よくもまあこの様な名前を付けたものだと感心する・・・ははは
これでは見た目が悪い また害虫の巣窟にもなる 早々に刈って綺麗にしなければな
ほら片付いた 他の草は皐の根元に置いておく 自然と肥料になるからだ ヘクソカズラはかためて置いておく
年に5度はこうして片付ける 母が健在の時は呼ばれて皐の剪定 草刈り 山茶花の剪定 揚水タンク周辺の草刈りなどしていたな 何故我輩が呼ばれてしなければならなかったのかな・・・父が健全な時にこれらのことをやっていたからだ
だから母は自分のところがしないといけないのではと思ったらしい 結局は我輩がするのだが・・・
位置はと言えば 案内でもお判りの様に 東端に所在する 径 11mの円墳である
【見つかったもの】には書かれていないのだが 写真に載っている様な須恵器が検出されているのだが 石室内部なのかどうかは書かれていない
見ると・・・木棺墓から検出された物と同じ須恵器のようである 7世紀の初め頃・・・聖徳太子が活躍したころ・・・遣隋使派遣の頃・・・同行したか・・・
羨道から玄室までが修理保存されている 周りはコンクリートで固められている また石室内部には入ることが出来ないように施錠されている 悪戯されるからな・・・
全部食えよ
お椀を片付けようと・・・ははは 黒猫のタンゴはどっか行ったみたいだな 新手が気持ち良さそうに寝ている
起こさないように・・・ははは
裏庭に咲く アメリカフウロ
結実する前の形である これはゲンノショウコも同様な形で結実する まあ当たりまと言えば当たり前
フウロソウ科なのである 結実すると その形がお神輿の屋根に似ていることから ミコシグサ という別名がある
それにしても綺麗だろ
善一田古墳群 (福岡県)
現状は10号墳から19号墳まで9基の円墳からなる古墳公園である。その内 16号墳から19号墳 までが主体部である横穴式石室を持っている。それらはすべて開口しており石室内部を窺うことが出来る(入ることは出来ないけれど).
13号墳 14号墳 も主体部はあるのだが・・・恐らくは現在見ることの出来る円墳には横穴式石室を持つのだろうが。今回は足を踏み入れることが出来なかった。
説明によると6世紀後半から7世紀後半まで奥津城として営まれていたという。アジア(あまりに広範囲である)との交流があったと書かれてあるがこの地域だけでは無理がある。やはり大和政権との強い繋がりが無ければその様なことは出来ないだろう。とは言え交流と言う意味では活躍したことに間違いはあるまい。奴国との繋がりや宇美国なども考えられるのではないだろうか・・・面白い地域である。
そうそう 次男がガンプラを手に入れるため ガンダムパーク(ららぽーと)に行くと言うのでついでに寄ってもらった。今では車を持たないので感謝感謝である。
当該ブログの記事は令和5年7月5日から19日までである。
まあ 相も変わらずの食い物だが 贅沢は言っておられん そうだな
少しは工夫してやっているんだからな・・・まあ理解してはもらえまいがな
はははは 無視
仲良く一緒にお出ましだ
何時もの姿だな 黒猫のタンゴは居ずまいを正し 新手はすり寄ろうと待ち構えている・・・ははは
新手は画面左側で一心不乱に食べている 擦り寄って来るからお椀を落しそうになるからな
何時もの様に新手はがつがつしているから先にやらないと・・・はー それに引き換え 黒猫のタンゴは行儀が良い