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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ルバスクに乗る

2010-02-16 21:36:08 | 馬が好き
昨日の夜まで雨、今日の夕方から雪の予報。そんな、あつらえたような天候の合間が、私の生活リズムとマッチしたんで、きょう火曜の午前中に、いつものように乗馬にいくことができた。
何に乗るかって訊かれたんで、目の前にいたノヴェルシチーを指すと、「やめときましょう。最近よく人を落とします(←おいおい) それに障害飛べませんよ。」と言われる。

《悪評はうすうす知ってるってば、だから乗ってみたいんぢゃないか》と思ったんだが。それに、《別に障害飛びたくて乗馬に通ってるんぢゃないし》とも思ったんだが
「フラヴォン、ニアフュージョン、セルスコール、ミラノ…なら障害飛べますよ。あとはー、…ルバスク?にしましょうか?」

馬の名前が列挙していくとこで、私の顔は《乗ったことあるやい》と曇る。障害飛べますよのとこで、《だから飛びたくないって》といっそう曇る
ところが、“ルバスク”の名前が出たとこで、「お、それいいね、それ乗りましょう」と嬉々とする。我ながら「新しいオモチャをもらった子供か、おまえは?」という感じ

で、ルバスク

1996年オランダ生まれの14歳、品種はDUTCH、父母は不詳。
DUTCHって品種が正確な呼称か知らない、オランダでうまれた乗馬ウマなんでDUTCHなんでしょう。辞書には載ってないIRISHって品種名も見たことあるし、そのへんいい加減なんです、この世界
しかし、オランダ温血種(KWPN)ったら、乗馬としてサイコーって思いこんでる私のこと、喜び勇んで馬装を始める。もしオランダ語とか知ってたら、きっとありったけの単語並べて馬に話しかけてるに違いない(←バカ)

ルバスクは、去年、移籍してきた馬なんだけど、てっきり私は乗っちゃいけないんだと思ってた。なんか高級というか高等すぎて
なんでも、今後あるかもしれない、少し高度な教育(馬術のね)用にわざわざもらったって話を聞いてたんで。
だいたい、上等な馬ってのは、私なんかの考えてるよりは全然センシティブなもので、ものすごく微妙なタッチで動くもんだと思ってる。うまい人が乗れば、ごくわずかな合図で正確に動くんだろうけど、私らヘタクソは、ともすれば「前へ進め」と「止まれ」を同時に(恐ろしいことに本人にその意図がなくてもね)指示したりするんで、少しにぶい馬くらいでちょうどいいんぢゃないかと ヘタに乗って、馬をおかしくしたらヤだなぁ
そしたら、やっぱり「こんどの春のホース・ショーで、障害供覧に使おうと考えてる」とか、「すごいの分かってるから、内輪の馬術大会に出すのは『反則』と言われている」とか、はては「ことしは国体予選に出そうと計画している」とか、プレッシャーになりそうなこと囁かれがら、跨ることになってしまった
なおかつ、「これの駈歩は、乗った人がみんな“自分がうまくなった”と勘違いするという、いわくつきのシロモノです」なんて言われたりして。

さあ、それぢゃ行きますかって馬場に入ると、ありゃりゃ、なんか歩き方がヘン 左後ろ脚の運びがピョコタンっていう感じがする きのうやったという管部の外傷は見たけど、大丈夫なのか、ホントに?
一応、違和感を訴えたんだけど、言われるままに速歩をしてみると、「んー、そんなもんですよ」と言われたんで、あまり気にせず乗ってみる、少しくらいの歩様のゴツゴツは、乗ってるうちに解消されることもある。先生いわく、脚ぢゃなくて腰がイマイチって話だけど。

速歩で、回転を丁寧にこころがけての運動。巻乗りのとき、速くならないように抑える、馬のアタマがグッと低くなる、そこをやりとりしながら、言うこときいたら少しだけ拳ゆずると、ラクな状態になるんで、そこで愛撫(馬のくびポンポン)
巻乗りんときは、よく抑えたまま回ってられるんだけど、蹄跡にでて軽速歩にすると、とたんにスピードアップするんで、そこも速くならないように同じペースを保つ。アタマをなかなか上げないせいなのか、なんだか難しいぞ、手綱の長さを調節して、拳を馬のクビに置くくらいの気持ちで肘から手綱を一直線にする。
反撞はわりと高いんだけど、ガチャガチャした揺れではないので、そんなに乗りづらくはない。これで調馬索したら面白かろうなんて思いながら、なんども巻乗り。

そして評判とやらの駈歩へ移行。でも、ラクな木馬のような動きを想像してたら、全然ちがった、けっこう上下に揺れるぢゃない
ちなみに、以前、駈歩でも乗ってて背中が揺れずにスーッと動く馬のことを、やはり「木馬のようだ」と褒めたら(私の褒め言葉だ「木馬」)、笑われたけど。「冬彦さん?」とか言われて。(知らないって、みんな)
で、ルバスクの駈歩、クビの動きが大きく感じられるんで、肘を固くしないように開閉して、馬の口についていく。うん、慣れるとやっぱり乗りやすいかも。ってことで、例によって輪乗りの詰めたり、開いたり。
すると、ここで先生から「外側の拳が、馬の背中を超えてきてる」とダメ出し そりゃダメだ、これはさすがにやろうと思ってやってんぢゃなくて、意識しないままヘタになってる。
「外の肘は身体につけるようなつもりで、手綱ぢゃなくて、外の脚を少し引いて使ってコントロールしなさい」ということなので、《ヒジを脇から離さない心構えで》って、ジャブの打ち方(「やや内角を狙ってえぐりこむように打つべし」byあしたのジョー)だったなーとか、わけ分かんないこと考えながら、修正。
すると今度は、「内側の脚が、いま腹帯の上にある、もう少し後ろに」と声がかかる。前回か前々回の練習時、脚をあまり引くなと言われたなーと思いつつ、きょうは前過ぎた脚の位置を腹帯後縁に移動。その距離ほんの数センチ、難しいです、乗馬。
はい、もう少し歩度を伸ばすっていうんで、脚で駈歩の扶助を改めて力入れていくと、「脚に頼り過ぎない、そこはシートでぐっと押す」と。うひゃあ、やっぱ高度な馬はタイヘンだぁ、怠けて動かない馬にムチでパチンと入れて乗ってるほうが、よっぽど簡単

まあまあ、なんとかなったので、さて障害へ。…やっぱり飛ぶんですか
速歩で低いクロスを何回か。ところが障害へ向かっていくというのに、巻乗りしてるときのまんまで、屈撓というには余りにアタマを下げた姿勢でいるもんだから、おいおい障害を見てくれよって、少し持ち上げて助走に入る必要がある。
駈歩での飛越に移る、はい、外側の手綱でヘンな操作しないように注意しながら、回転して、障害へ真っ直ぐ入ってって、1・2の3!って、飛んだ、楽勝で飛んだけど、なんか飛びにくいぞ!?

何回かやってみると、ここんとこ、ミラノとかに乗って、勢いにまかせて(←他人(馬)のせいにしないよーに!)飛んでたせいか、なんか飛び方が違うことに気づいた。ふつう、障害の直前まで来ると、2,3歩前には加速するかのようにストライドが伸びて、最後の1歩には踏み切るために縮まって、みたいな感じがあるんだが(←理論として合ってるかどうかは知らん、あくまで乗ってる私の感じるもの)、ルバスクからは、それが感じられない。おんなじ調子で、平気で飛ぶ、それもラクラクとキレイに飛ぶ
何度やってみても、うまくつかめない。なんかベースのテンポがアップできないなぁってまま、障害に向かってって「ヤベ、止まるか!?」と思っても、平気でスパーンと飛ぶ 70センチくらいだろうけど、遅いスピードで、全然バーに脚引っ掛ける気配すらない。たとえて言うなら、4,50センチだったら、常歩か、止まった状態からでも跳ぶんぢゃないかって、思えるくらい(試す気はしない…)

私のほうがあせって、「おい、飛ぶのか、ホントに? 飛んでくれ!」ってなって、例によって先飛びしてしまうんで、どうにもキレイに飛べないんだが、馬は背中の上で邪魔してるやつのことはおかまいなしで、簡単に飛ぶ 
先飛びもいいかげんにしないから、一回なんか、飛んだあと、鞍の前に出ちゃって、落ちるかと思ったけど、なんとか落ちずに済んだ。こんなイイ馬に乗って、なんでこんな苦労してんだろ、俺?
何回かやって、とうとう、馬の真上で、馬が上がってくるのを待ってることが(これができると楽しいんだが)できずに、終了。
うーん、やっぱ普段の飛び方が、勢いまかせでいい加減なんだな
せっかく適度なハミ受けがあるんだから、もっと後躯を推進させるようにしなきゃいけないのかな、と反省していると、「上体と腕が一緒になっちゃってる、肩とひじをもっと自由に動かせるように」と言われました。馬に対して云々ぢゃないですね、まだ

終わったあと手入れしてると、おっとなしいの。顔ふいても、おなかふいても嫌がったりしないで、ジーッとしてる
だから、好きさ、ヨーロッパ生まれの乗馬
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掌の小説

2010-02-15 15:20:06 | 読んだ本
川端康成 昭和46年新潮文庫版
きのうからは、短編小説つながりだが、これは短いよ、超短編小説集。
この文庫本は、目次と巻末の解説を除くと、本文部分は484ページあるんだが、そこに111編の話が入ってる。
1話平均4.36ページ、って平均する必要はないんだけど。短いやつだと2ページくらいのがいくつもある。
持ってるのは、昭和60年の28刷だから、やっぱモーパッサンの短編とかを読んでる時期に、読んだんだと思う。いまとなっては、当時なにを求めて読書してたのか、わかんないんだけど。
川端康成は、そんなに面白いとも思わない、「雪国」をはじめあといくつかは読んだ気がするけど、私にとっては特に重要視する作家でもないなーという感想しかない。ノーベル賞受賞者に向って不遜な感想もってスイマセン
(収録作品の題名並べるのは、たくさんあって大変だから、しない)
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モーパッサン短編集(一)

2010-02-14 21:02:19 | 読んだ本
モーパッサン 青柳瑞穂訳 昭和46年新潮文庫版
んーと、なんでもいいけど、あえていうなら、短編集つながり。(なんだそりゃ?)
持ってるのは昭和60年の26刷。例によって、そのころはいろんなものを読んでたなぁと、今になって思う。
なにしてたんだろう? 高3の夏に、大学の推薦入学決まって、あとは勉強しないで本ばっか読んでたのかもしれない。
でも、モーパッサンは「女の一生」読んでないんだよねー。
長編を読む前に、どんな感じのものなのか、短編集にあたってみたんだと思うんだけど。そのあと他のものは全然読んでないところをみると、当時モーパッサンは口に合わなかったんだと思う。
進取の精神に富んでた当時に読む気がないんだもん、いまの私にはとても改めて読んでみる気なんかないな。
ということで、新潮文庫の解説によれば、360編の中・短編からいくつか選びだし、テーマにそって分類し、「彼の郷土ノルマンディをはじめ、地方に取材した田舎もの」「パリ生活を扱った都会もの」「普仏戦争を扱った戦争もの、超自然の現象に取材した怪奇もの」といろいろあるらしいんだが、「田舎もの」を集めたこの文庫第一巻しか読んでない。
19世紀のフランスのユーモアって、私には一生理解できないのかもしれない。
…ってとこまで書いて、ちょっとパラパラと読み直したら、意外と面白い。
不倫相手が突然死んぢゃったのを、どうやって押し隠すか、それを手伝った医師の視点から書いた「奇策」なんて、なかなかいい。それで何がどうってわけぢゃないんだけど、すらすら読める。
収録作は、
「トワーヌ」
「酒樽」
「田舎娘のはなし」
「ベロムとっさんのけだもの」
「紐」
「アンドレの災難」
「奇策」
「目ざめ」
「木靴」
「帰郷」
「牧歌」
「旅路」
「アマブルじいさん」
「悲恋」
「未亡人」
「クロシェート」
「幸福」
「椅子なおしの女」
「ジュール叔父」
「洗礼」
「海上悲話」
「田園悲話」
「ピエロ」
「老人」
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あなたに似た人

2010-02-13 22:01:45 | 好きな本
ロアルド・ダール 田村隆一訳 昭和51年ハヤカワ・ミステリ文庫版
うーん、ちょっとテイスト違うけど、短編小説集つながり。
っていうか、とらえどころのないカーヴァーの短編とは対極にある、ピリリとスパイスのきいたダールの短編。
どこが面白いかって、ブラックユーモアっていうのか、ちょっと恐いものを含んでるのがいい。
なかでも、賭けに関するものは、ちょっと狂気じみてて、ひときわ異彩を放ってます。
賭けっていっても、小銭かけるんぢゃなくて、たとえばワインの名前あてるのに、娘を嫁にくれ、みたいな賭けをもちかけます。(「味」)

私がいちばん好きなのは、やはり賭けをとりあげた「南から来た男」。
ホテルのプールサイドで出会った若いアメリカ人に、ひとりの老人が賭けをもちかける。よいライターを持っていることに目を付けたことから、「そのライターで、10回連続、点火に失敗せず火をつけられたら、キャディラックをあげる。途中一回でもミスしたら、あんたの小指を切って、私がもらう。」というもの。
最初はバカバカしいと思っていた若者も、車を手にすることに心が動き、賭けを受けて立つ。
老人は、手慣れた様子で、テーブルに若者の手を固定して、肉切り包丁を小指の上にかまえて、さあ始めようと言う。
若者は、縛られていないほうの手の親指で、ライターのふたをあけ、カチッとライターをこする。
火がついた。1回、2回、冷静にライターに火をともす若者。ちょっと操作ミスしたら、その瞬間、包丁が振り下ろされて、小指が飛ぶ!
「セブン!」と掛け声、7回目、ついた。次、8回目、「エイト!」と言った瞬間に…。

どうです? ドキドキしたければ、読んでみては?
収録作は、
「味」
「おとなしい兇器」
「南から来た男」
「兵隊」
「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」
「海の中へ」
「韋駄天のフォックスリイ」
「皮膚」
「毒」
「お願い」
「首」
「音響捕獲機」
「告別」
「偉大なる自動文章製造機」
「クロウドの犬」
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ぼくが電話をかけている場所

2010-02-12 21:10:39 | 村上春樹
レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 昭和61年 中公文庫版
はい、フィッツジェラルド同様、村上春樹の翻訳で、当時読んだレイモンド・カーヴァー。
私がカーヴァーを読んだ最初がこれです。
いまもそうだけど、どこがいいのかよくわからない、ぢゃないな、どこがいいのかハッキリ言うことができない、短編小説の数々。
でも読みだすと、ついつい読み進んぢゃうところがあります。これは、村上春樹がいいと言ってるからいいんだろう・いいと思わなければ!、みたいな自分への脅迫感とかは無しに、ふつうにそう思います。もっとも他の人が訳して、もうちょっとゴジゴジした日本語だったらどう思ったか知らないけど。
巻末の訳者あとがきに、カーヴァーの小説作法があげられています。これは興味ぶかい。
かつて私がかなり出来の良い短編を書いた時、最初私の頭の中には出だしの一行しか浮かばなかった。何日間か私はその一行を頭の中でこねくりまわした。『電話のベルが鳴った時、彼はちょうど電気掃除機をかけているところだった』という文章である。私はこの一行の中にはストーリーがつまっていて、外に向けて語られたがっている、と思った。私はそこには物語があると骨の髄にまで感じた。時間さえあれば、それを書くことができるのだ。そして私は時間をみつけた。まる一日あればいい。十二時間か十五時間でもいい。うまくやれば、それで間にあう。私はそれで、朝机に向い、最初の一行を書く。それにつづく文章が次から次へと浮かんでくる。私は詩を書くのと同じようなかんじで短編を書く。一行ができて、その次の行が浮かぶ。まもなく物語が見えてくる。それは私がずっと書きたいと望んでいた私の物語である。
…だそうです。いいイマジネーションの紡ぎだし方ですね。うらやましくさえあります。
(なんか写してて、夏目漱石の「夢十夜」のなかで、運慶だか快慶だかが、木を彫って仁王像をつくるんぢゃなくて、木の中に埋まってる仁王像を彫りだすだけだ、って話を思い出してしまった。)
で、書かれている物語は、なんてことはないようでいて、リアルでもないし、まったくのおとぎ話でもない、不思議なものです。
いま改めて、パラパラとページをめくると、「あなたお医者さま?」の冒頭で、なぜだかわかんないけど主人公のところへワケわかんない電話がかかってくるとこが、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(=「ねじまき鳥クロニクル」)の冒頭とイメージが似てるなーと思ってしまった。私にとっては、早期にカーヴァーの短編に慣れていたことが、その後の村上春樹的世界に違和感なく入れる土台になってるのかもしれない。
収録作は
「ダンスしないか?」
「出かけるって女たちに言ってくるよ」
「大聖堂」
「菓子袋」
「あなたお医者さま?」
「ぼくが電話をかけている場所」
「足もとに流れる深い川」
「何もかもが彼にくっついていた」
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