最終日に、最後の晩餐を鑑賞し、無事帰国。
充実の8日間だった。
最後の晩餐は、15分毎に、25人づつしか見学できないため、狭き門。
今年から、フラッシュなしの撮影が許可されたとのことで、満喫できた。
35年前、タクシーで、ふらっと訪れた時は、修復中で、暗くて、かつ半分は、櫓が組まれていて、見れなかった。
その後も修復が続き、今の形で、見れるようになったのは、20年ぐらい前からだという。
イタリアの話は、後日として、出雲の話の続き。
美保神社から、一転西の佐太(さだ)神社に向かった。
風土記にも記載のある由緒ある神社だ。
佐太大神は、風土記の四大神の一柱。
平野さんの本によると、この近辺は、佐太水海(みづうみ)と呼ばれていたが、今は、田園地帯になっている。
この奥に、原発があるそうだが、時節柄、その表示は、見かけなかった。
大修理中だった。
かなり大規模な修理だ。
本殿の修理はこれからか。
なかなかすばらしい本殿だ。
重文に指定されている。
所蔵の檜扇やその箱の神宝も重文という。
この扇が神紋になっているそうだが、当時その知識がなく、写真では確認できなかった。
背後の山には、斎場跡と思われる場所もあり、古代祭祀が行われていた可能性が指摘されている。
神等去出神事(からさで)も、佐太神社に伝わる神事で、まさに、神無月の神在祭(じんざいさい)になる。
仮拝殿は、本当に、仮という感じ。
ということで、本来の姿は拝めなかったが、偉大な神社ということは、わかった。