久留米から本当は、佐賀にも寄りたかったのだが、スキップして、熊本に南下する途中、有名な二つの古墳に寄った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a1/18ba83c47c8b8e71abd31bda4ec60dd4.jpg)
一つめは、岩戸山古墳。
磐井の乱の張本人である筑紫君磐井が埋葬されているとされ、被葬者が、ほぼ特定されている、貴重な古墳だ。
立派な博物館が併設され、当時の石像が、展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/1b/0dd53b6d5e45e1235319d85d3b239c72.jpg)
並んでいる石像は、レプリカだが、この広場は、古墳の隣に昔からあるもので、その古い記述も残されている。
祭祀の場所と考えられている。
このような光景は、珍しく、韓国との繋がりを想起させる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/0d/7f94ddd8cfd6db7dbc8d6c493fa46d9b.jpg)
古墳は、立派な前方後円墳だが、今は森になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e6/fbf4272f1184237068e3fdb6913cecd8.jpg)
前方部の先には、神社があるが、当然、後に造られたものだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e4/397509fb18b9c4194e3996154f882cba.jpg)
博物館の中には、石像群が、大切に展示されているが、長い風雪に耐え、よく残っている、
当時の、武装の様子が分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bc/1eee36cb7d21a8812b0ebb70090e12d7.jpg)
これば、靫(矢を入れる武具)を背負っている石人。
古代史ファンなら、是非訪れて欲しい古墳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f0/b2889c9f18bb35e9c5815fb39595d9c9.jpg)
さらに南下すると、江田船山古墳がある。
エリア全体が、公園になっていて、来訪者も多いが、残念ながら、博物館的なものはない。
当時の大和朝廷の勢力が及んでいたことを示す鉄剣などが、発掘されているが、トーハクなどに、保管されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/61/ccf9ff1bc66733af3a42249a4f8c9650.jpg)
後円部の石棺は、ガラス越しに見れるようになっており、その立派さに驚かされる。
本州の古墳に残される石棺も阿蘇から運ばれたものが多く、その本家本元ではないかと、想像できる。
相当の権力が、ここにも存在した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b1/9ff5e76bceb8d6c51b1f4e5553c483c1.jpg)
全景はこんな感じで、周濠もはっきり残されているのが、わかる。
ここにも、石棺があり、岩戸山古墳との関連が、議論されている。
5世紀末から6世紀前半のもので、大和朝廷が、全国的に支配力を持った時期と考ええられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2e/c67a33238039cdbdb1d2c5798f30f7a6.jpg)
周りには、多くの古墳が、残されており、長年に渡り、大きな権力が存在していたことが、分かる。
これば、虚空蔵塚古墳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a1/18ba83c47c8b8e71abd31bda4ec60dd4.jpg)
一つめは、岩戸山古墳。
磐井の乱の張本人である筑紫君磐井が埋葬されているとされ、被葬者が、ほぼ特定されている、貴重な古墳だ。
立派な博物館が併設され、当時の石像が、展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/1b/0dd53b6d5e45e1235319d85d3b239c72.jpg)
並んでいる石像は、レプリカだが、この広場は、古墳の隣に昔からあるもので、その古い記述も残されている。
祭祀の場所と考えられている。
このような光景は、珍しく、韓国との繋がりを想起させる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/0d/7f94ddd8cfd6db7dbc8d6c493fa46d9b.jpg)
古墳は、立派な前方後円墳だが、今は森になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e6/fbf4272f1184237068e3fdb6913cecd8.jpg)
前方部の先には、神社があるが、当然、後に造られたものだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e4/397509fb18b9c4194e3996154f882cba.jpg)
博物館の中には、石像群が、大切に展示されているが、長い風雪に耐え、よく残っている、
当時の、武装の様子が分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bc/1eee36cb7d21a8812b0ebb70090e12d7.jpg)
これば、靫(矢を入れる武具)を背負っている石人。
古代史ファンなら、是非訪れて欲しい古墳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/f0/b2889c9f18bb35e9c5815fb39595d9c9.jpg)
さらに南下すると、江田船山古墳がある。
エリア全体が、公園になっていて、来訪者も多いが、残念ながら、博物館的なものはない。
当時の大和朝廷の勢力が及んでいたことを示す鉄剣などが、発掘されているが、トーハクなどに、保管されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/61/ccf9ff1bc66733af3a42249a4f8c9650.jpg)
後円部の石棺は、ガラス越しに見れるようになっており、その立派さに驚かされる。
本州の古墳に残される石棺も阿蘇から運ばれたものが多く、その本家本元ではないかと、想像できる。
相当の権力が、ここにも存在した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b1/9ff5e76bceb8d6c51b1f4e5553c483c1.jpg)
全景はこんな感じで、周濠もはっきり残されているのが、わかる。
ここにも、石棺があり、岩戸山古墳との関連が、議論されている。
5世紀末から6世紀前半のもので、大和朝廷が、全国的に支配力を持った時期と考ええられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2e/c67a33238039cdbdb1d2c5798f30f7a6.jpg)
周りには、多くの古墳が、残されており、長年に渡り、大きな権力が存在していたことが、分かる。
これば、虚空蔵塚古墳。