かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

九州ロマンその2 岩戸山古墳・江田船山古墳

2018年12月04日 | Other Western Japan
久留米から本当は、佐賀にも寄りたかったのだが、スキップして、熊本に南下する途中、有名な二つの古墳に寄った。



一つめは、岩戸山古墳。
磐井の乱の張本人である筑紫君磐井が埋葬されているとされ、被葬者が、ほぼ特定されている、貴重な古墳だ。
立派な博物館が併設され、当時の石像が、展示されている。



並んでいる石像は、レプリカだが、この広場は、古墳の隣に昔からあるもので、その古い記述も残されている。
祭祀の場所と考えられている。
このような光景は、珍しく、韓国との繋がりを想起させる。



古墳は、立派な前方後円墳だが、今は森になっている。



前方部の先には、神社があるが、当然、後に造られたものだろう。



博物館の中には、石像群が、大切に展示されているが、長い風雪に耐え、よく残っている、
当時の、武装の様子が分かる。



これば、靫(矢を入れる武具)を背負っている石人。
古代史ファンなら、是非訪れて欲しい古墳だ。



さらに南下すると、江田船山古墳がある。
エリア全体が、公園になっていて、来訪者も多いが、残念ながら、博物館的なものはない。
当時の大和朝廷の勢力が及んでいたことを示す鉄剣などが、発掘されているが、トーハクなどに、保管されている。



後円部の石棺は、ガラス越しに見れるようになっており、その立派さに驚かされる。
本州の古墳に残される石棺も阿蘇から運ばれたものが多く、その本家本元ではないかと、想像できる。
相当の権力が、ここにも存在した。



全景はこんな感じで、周濠もはっきり残されているのが、わかる。
ここにも、石棺があり、岩戸山古墳との関連が、議論されている。
5世紀末から6世紀前半のもので、大和朝廷が、全国的に支配力を持った時期と考ええられている。



周りには、多くの古墳が、残されており、長年に渡り、大きな権力が存在していたことが、分かる。
これば、虚空蔵塚古墳。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする