かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Paul Simon

2022年02月03日 | Music

今日は、寒いながらも、日差しも出て、穏やかな天気。



Paul Simon さんのサインをゲット。
ありそうで、なかなかなかった。
Bookendsというヒットアルバムに、ちょっとかすれてはいるが、丁寧になされている。
Garfunkelさんのサインは、ゲット済なので、これでお二人のサインはが揃った。

二人の仲は、たぶんあまりよくなくて、二人そろったサインも少ないかもしれない。
唯一行けたコンサートもS&Gの曲と、Sコーナー、Gコーナーと分かれていたように記憶する。
S&Gとしての実質ラストのコンサートは、伝説の1981年のセントラルパークコンサートだった。
もう40年以上前。
Paul Simonの生年を調べたら、1941年10月とあるから、もう堂々の80歳。
でも、まだまだ頑張ってもらいたい。

先日、NHKの再放送で、”明日に架ける橋”にかかわる、人権運動へのポールの活動のドキュメンタリーがあったが、優しそうな見かけと違って、熱い男だ。
この歌が作られたのがベトナム戦争頃、そして、南アフリカのアパルトヘイト廃絶のテーマソングとなった。
最初に流行ったのは、アレサバージョンだったそうだが。



このアルバムの方、チリチリは若干あるが、きれいに聞けた。
静けさをベースに、時々嵐が吹くという感じで、アナログ向けのアルバムかもしれない。

このアルバムは、持っていなかったのだが、生まれて初めて買ってもらったアルバムがSONYから出た、S&Gのベストアルバムで、その中で、BookendsのA面がそのまま収められたいた。
B面からも2曲収められていて、ベストアルバムのかなりの部分を、本アルバムの曲が占めていた。
まだ、1970年代前半だったことと、本アルバムの中に、名曲が、多く含まれていたこと、そして、A面が、コンセプトアルバム的な構成になっていたことが理由と思われる。
老人の会話を収めたり、テーマ曲を、リプリーズしたり、オーケストラを交えたり、なかなか挑戦的なアルバムでもあった。
1968年のことだから、Beatles でいえば、ホワイトアルバムの頃だ。
歌詞を、アルバムジャケットに印刷してしまうのも、Beatlesのサージェントが嚆矢と言われる。

すばらしい逸品をゲットできた。

コメント
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