かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

當麻寺の世界

2022年02月23日 | Nara ( Japan )
この前紹介したばかりの、Gary Brookerさんが亡くなられたという。
ご冥福を.お祈りする。

今日は、予定があったのだが、キャンセルになり、1日、雑務。
どれだけ、進むか。
いい天気だが、まだ寒い。
明後日から、春の陽気になるそうだ。



昨夜は、日経さんと、JRさん主催の當麻寺の世界。



オンラインセミナー。
リアルを申し込んだが、はずれて、オンラインになった。
座席を見るとまばらだったので、コロナで、相当来場人数を絞ったのかもしれない。



最初は、佛教大学教授の大西先生の話。
當麻寺は、2回行っているのだが、奈良中心部からちょっと離れているため、意外と知られていないことも多い。
2回目ゲストの、中川政七商店マネージャーの井上さんも行ったことがないというから、奈良市民でも、寺社に興味のない人は、あまり行かないのだろう。
知らなかった話がほとんどで大変面白かった。
もう一度行きたくなった。

ちなみに、"まほろば"は、"ええとこ"という意味だそうだ。



伽藍は、こんな感じで、3つのお堂の共通拝観券で入ったと思う。
東塔、西塔も有名。
当初は、下側の東塔と西塔の間が参道だったという。
確かに、お堂の配置がおかしいと思っていた。



意外に、當麻寺の文献に残された歴史は浅い。
しかし、創建は、白鳳時代であることは、確か。



竹内街道が日本で一番古い街道だったという話。
先日、聖徳太子所縁の地を周った時にも、歩いた。
博物館もあった。
このまま堺に抜けるが、大阪と奈良を結ぶ街道だった。



この曼荼羅は、何度も、再現されてきた。



これが、2013年に奈良博物館で展示されたオリジナル曼荼羅。
ちなみに曼荼羅は、密教でいう曼荼羅ではなく、当時、仏教画のことを一般に曼荼羅と呼んでいた。



浄土変の変は、アニメのようなものと考えればいいとのこと。
敦煌で見た元祖浄土変がベースになっている。



絹製のつづれ織りだが、通常40本の縦糸のスペースに、60本の縦糸が使われているとのこと。
綴れ織りは、表から見ても、裏から見ても同じ図柄になるという。
ほんの小さなスペースにこれだけ、細かい図柄が織り込まれており、脅威の技法だ。



今拝める文亀本。
お堂内は暗くてよく見えなかったが。



曼荼羅の話が一番面白かっただろうか。
2013年に、奈良博物館で、公開された。
ただ、かなり傷みが激しかったとのこと。
当初は、ぶら下げる形で、祀られていたが、傷みが激しく、板に貼ったが、さらに傷んだため、紙に水を浸してはがしたという。
そのため、貼っていた板と、傷んだ現物と、はがす時に使った紙と、3つの曼荼羅が残ったという。



中将姫の実在性は不明ながら、伝承が本当であれば、あの恵美押勝の姪になる。



薄幸で、仏門に入り、ひたすら写経し、ひたすら祈った。
その際、この曼荼羅を織り上げたと伝えられる。



浄土信仰の象徴的な存在になった。



こんなにもお宝が。
須弥壇は、確か頼朝が寄進したと聞いた。



津村家も本寺の出身で、バスクリンも、當麻寺と関連する。



當麻寺駅近くのよもぎ飯は、私もいただいた。



第2部は、トークショー。
バービーさんが、コロナで欠席。
その代わり同じ事務所の土佐兄弟が登壇。
知らなかったが、片割れは、日曜ドラマでブレイク中?



メインは、中川政七商店のマネージャーの井上さんの町おこしの話し。
井上さんは、普通に東京で、サラリーマンをやっていたが、今の職に身を投じ、会社のためというか、奈良の発展のために、尽くされている。



中川政七商店は、全国各地に展開し、私も時々、使わせていただいているが、元は、絹織物屋で、武士の着物などを作っていた。
絹織物が、他の繊維に代わられる中で、現在の業種になった。
奈良にこだわらず、全国の埋もれた郷土品を現在の好みにマッチさせて、楽しい商品に生まれ変わらせている。
特に、こけし関連グッズを中心にゲットさせていただいた。



奈良町に新しい本社を作られたとのことで、今度寄ってみよう。



町が小さく、物価も安く、小さな起業がしやすい環境になっている。
これは、オリジナルカレーの菩薩カレー。



他にも、アートの催しや、地場ビールなども。

コンパクトに濃縮されたセミナーで、有意義だった。
奈良博では、本曼荼羅に因んだ企画展も予定されているとのことで、是非訪れたい。


コメント
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