かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Procol Harum

2022年02月17日 | Music
今朝、無事、帰還。
朝から、結構な雪で、除雪車フル出動だった。
雪国の冬は、たいへんだ。



Procol Harumと言えば青い影(A White Shade of Pale)。
青い影と言えば、Procol Harum。
それほどの大ヒットだったが、その後も地味ながら活動を続けている。

ユーミンとのジョイントコンサートで、一度見る機会があったが、当初メンバーで残っているのは、Gary Brooker 1人。
ユーミンも、Gary Brookerのバンドと認識していたようだった。
翳りゆく部屋の共演では、青い影のパクリであることが暴露された?

調べると、初期メンバーのドラマーのB.J.Wilsonがツェペリンのドラマー候補だったり、Keith Reidが歌詞担当で、この流れが、キングクリムゾンに引き継がれたり、パープル同様、オーケストラとの共演版を出したりと、当時のロック界とのつながりが強かったが、その中でもクラシックとの融合が特徴のバンドだったと言える。

Procol Harumの名前は、Beyond These Thingsという意味の不正確なラテン語だそうだが、意味不明で、プロデューサーの飼い猫の名前とも言われる。

本書は、2000年に出た伝記本。
読まれた形跡がない古本。
著者は、小さい頃からのProcol Harumファンの熱心なファンで、メンバーへのインタビューを多く行い、かなりまともな伝記本にまとめ上げた。
彼らは、1965年のビートルズのUKツアーに同行し、また当時、多くのミュージシャンと親交があったようだ。
音楽的には、中期のビートルズに影響を受けたとある。
写真も若干あるが、時代毎のグループのライブ・記念写真。



表紙の裏に、彼らのサインが貼ってある。
この大きな方の紙のサインを見ると
Gary Brooker
Robin Trower
Barry (James)Wilson
Diz Derrick
とある。
Procol Harumの前身であるThe Paramountsのメンバーのサインだ。

小さい方の紙のMatthew Fisherは、Procol Harumになってから加わった。

このメンバー構成から見ると、前者は、1963年から1966年の、The Paramouts時代のもので、後者は、Procol Harumが結成された1966年から1969年頃になされたものだろう。

ユーミンつながりもあり、なかなかのお宝だ。
コメント
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