かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

近江国

2022年07月19日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今回の旅行は、元々天気予報は悪かったのだが、2日目までは、どうにか持った。
3日目にして、ついに大雨。
今日は、旅程を、大幅に変更した。
当初三方五湖レインボーラインを楽しもうと思ったのだが、この雨で、SAから、三方湖を見下ろしたのみ。



次に行こうとしていた竹生島は、何と船が欠航。
風はそんなでもなかったので、どうにかなると思ったのだが。
ただ確かにあの雨では、楽しめなかったろう。
そこで、その次に行こうと思っていた渡岸寺観音堂(向源寺)へ。
いよいよ最終の近江国まで来た。
一宮の建部神社には、先日参拝した。

こちらは、山門。



仁王像。
保存状態は、良くないが、平安時代前・中期の貴重なもの。



法隆寺の金剛力士像と同時期ではないかとのことだった。



そして、メインの本堂と観音堂へ。
本堂の方には、十一面観音が、秘仏だった時代のお前立ちがある。
小仏だが、均整が、取れている。

メインの十一面観音は、2006年の上野の仏像展で見て以来。
その時は、高いところにガラスケース入りで展示されていたので、今回は、よりじっくり見れた。
化仏の一つ一つの表情、化仏にまた化仏があったり、耳のところにも化仏があったり、優雅な中にも個性あるお姿になっている。正面の阿弥陀仏立像は、後から、加えられたものだそうだ。
実は、頭部には、十面しかない。
仏頂の化仏が、下の化仏に指示を出すのだそうだ。

豊臣と浅井氏の戦いの際、寺は、焼失したが、仏は、地中に埋めて、無事だったという。
その時の場所も、大事な場所になっている。

大日如来像も平安時代のもので、重文。
阿弥陀如来も平安時代のもの。
その他、仏像の台座である、獅子や、象の木像も残されている。
新しいの方が丁寧に説明してくれて、満喫できた。



時間が余ったので、2度目になるが、彦根城に行った。
こちらも2010年以来。
今回は。まず博物館に行った。
井伊家のお宝が、惜しげもなく展示されている。
単なる権力者だったわけではなく、文化人、知識人であったことが分かる。
天皇の許しなく開港した人物とされるが、さまざまな意見聞きながら、意思決定していた様子がわかる手紙なども展示されている。
当時の屋敷まで、復元されており、能舞台まであり、相当の気合の入れようだ。



そしてお城へ。
雨もピークで、階段の所を雨が滝のように流れていた。
お城内も雨漏りしている所があって、ちょっと心配だ。



重文の太鼓門と続櫓。



そして、国宝の天守閣。
天守閣が国宝のお城は、5つしかない。
元々は.石田三成が、敗れて、その居城だった佐和山城を井伊家が、賜ったが、井伊家は、彦根に城をつくり、居城とした。
説明書によれば、大津城を移築したとある。
城全体では、相当の規模だ。
いずれにしても、江戸初期の城で貴重。
城内も.さまざまな仕掛けが見れて面白い。



天守からは、生憎の天気で、あまり見えなかったので、パネルで。

玄宮園も見れたのだが、雨足が強いので、断念し、全日程終了後。
島根県から、滋賀まで、6県に及ぶドライブ旅行。
普段行きにくいところを回れて楽しかった。

帰りも在来線は、運転見合わせだったりしたが、新幹線は、若干の遅れで済んだ。
次は、どこに行こうかな?
コメント
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