かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

牽牛子塚古墳

2022年12月17日 | Nara ( Japan )


今日から、しばらく関西。
まず、現在ガイドツアー付で見学できる飛鳥の牽牛子古墳へ。
来年以降、ガイドツアーが継続するかは、未定とのこと。
冷たい雨だったが、1対1対応で案内いただき、充実の1日になった。



飛鳥駅から、歩いて10分ぐらい。
途中で見かけた鳥。



養護施設を過ぎると視界が開け、牽牛子塚古墳が見えて来る。
牽牛子は、朝顔のことだが、昔から、八角形であるらしいことは、わかっていて、この名があるという。
この碑は、今回の調査、復元完了後建てられたものだが、奥に大正時代に建てられた碑がある。
その時は、隣の越塚古墳は、忘れ去られていて、越塚古墳の名は刻まれていない。



左手前の方墳が、越塚古墳で、奥のピラミッドのように見えるのが、牽牛子塚古墳。
覆っている凝灰岩の板は、当初は、ニ上山のものが使われていたが、今は、採掘禁止になっており、石川県の石が使われたとのこと。
ガイドの山田さんは、80歳近いということだったが、詳しくいろいろ教えてくれた。



古墳の入り口。
この入り口は、前から知られていた。
その他の部分も崩れて来たため、全面調査を行い、元の姿に復元した。
復元に際しては、天武・持統天皇陵の上3段の形状を参考にしたのだという。
飛鳥は、佐渡金山の次の世界遺産を狙っているが、彦根城が優勢とのこと。
飛鳥の方が、よっぽど重要と思うが。



ガイドなしでも、ここからは、中を覗ける。
ガイド付だとさらに中に入れる。



中に石室が2つあり、2人が葬られていたことがわかる。
斉明天皇と、その娘の間人皇女と考えられている。
そして、越塚古墳が見つかり、斉明天皇の姪、天智天皇の娘である大田皇女の墓と考えられ、日本書紀の記載と見事に一致した。
天皇陵として指定されなかったため、調査、復元が可能になった。
天皇陵であることを示す八角陵は、他に4陵が知られるが、内1陵も、天皇陵に指定されていなかったので、調査の結果判明した。
宮内庁が、誤りを正さないおかげ?
石室は、凝灰岩をくり抜いているが、その周りを安山岩で、囲って保護している。
石室の上は、築石で覆われていたが、長年の風雨で、崩れてきてしまっていた。



こちらが、越塚古墳。
大田皇女は、天智天皇の娘だが、天武天皇の最初の妻、持統天皇の姉ということになり、その息子達は、悲惨な運命を辿った。
大田皇女の息子の大津皇子は、謀殺され、二上山に葬られたと伝わる。



越塚古墳内部。
牽牛子塚古墳と造りは一緒だが、石室は、一つ。



中で、映像が見れるようになっており、ガイドツアー用の長編と、一般用の短編があり、両方、満喫した。
飛鳥時代のど真ん中で、ヤマト朝廷が揺れ動いていた時代。
大陸との関係も、揺らぎ出していた時代だった。
そのため、朝廷の体制固めが、急務だった。



一通り見学後、少し上へ。



展望台からは、高松塚古墳や、天武・持統陵が臨める。
天武・持統陵は、牽牛子塚古墳の、真東にあるという。



見学後、大阪へ。
飛鳥駅では、素朴な駅に似つかわしくない豪華列車が。
ビスタカーで十分と思うが。
明日からも、予定一杯。
コメント
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