昨夜は、初めて、新宿中村屋さんでディナーだった。
前菜と、締めがインド風という中村屋さんらしいセットメニューで、堪能させていただいた。
ソムリエさんもしっかりしておられる。
地下のお土産屋も充実。
本書は、出たばかり。
以前紹介した万葉人の奈良という上野さんの本の続編的位置づけかと思ったら、その部分もあり、本書独自の部分もありという感じ。
上野さんは、編者であり、著者はそれぞれ別々というところにその原因がある。
前書きで、上野さんは、本書は、コト(歴史学)、モノ(考古学)、アヤ(歌の背景、行間から読める心情)の関係から、3次元的に万葉の世界を捉えたいとしている。
上野さんには、それが、可能かもしれないが、著者は、それぞれの分野の専門家であり、そこから急に、3次元と言われてもという感じだっただろうか。
特にアヤの部分については、経験に基づく年輪を重ねていくような研究が必要であり、なかなか一朝一夕に成るものではない。
ただ、コト、モノの関係(2次元?)は、詳細に、最新情報を網羅して分析されており、ひじょうに興味深かった。
移動手段が限られている中の、万葉人の世界観。
特に、里→野→山の感覚。
山を越えると、二度と戻れない、会えないという感情が、多くの歌に詠まれている。
場所は、奈良、筑紫、神仙を中心に語られるが、特に、神仙という切り口は、珍しい。
吉野と松浦(まつら)を挙げているが、特に松浦を神仙と捉える考え方があるとは知らなかった。
実際、万葉歌にも、集中して出てくるだけで、長い期間にわたって(吉野のように)、神仙のいるところというイメージで捉えられてはいなかったようだ。
魏志倭人伝にも出てくるぐらいで、古代から、重要な地域だった。
ただやはり、神仙というと、山奥のイメージがある。
ではなぜ取り上げられているかというと、筑紫との関係で、大宰府を中心として、対唐新羅の最前線として、多くの歌が詠まれたからだ。
特に、大宰府は、奈良・京都などと違って、防衛拠点だから、場所を変えることはできず、歌が、どこでどういう状況で詠まれたかが、具体的に判別しやすい。
そのため、三次元的な捉え方がしやすいことになる。
この地には、多くの古墳や、遺跡が残るがそのほんの一部しか実見したことはない。
ただ、それでも、大宰府政庁跡、大野城、水城などは、当時のリアルを感じたし、そこに、松浦地方(唐津湾)を含めた地域も合わせることにより、当時の北部九州の様子がより具体的に浮かび上がる。
なるほど!と思わせるトリビア?も満載で、古代史ファンには、是非お勧めしたい。
付録に、万葉考古学小事典がついており、回ってみたいが、たぶん、史跡として整備されているところと、埋めも戻されて、場所の特定も難しいところが、混ざっているのではないかと推察されるので、巡る場合は、事前の情報収集が重要だろう。