昨日、竜馬さんの奥さんのおりょうさんの話を昨日書いたら、今日は、竜馬さんが暗殺されてから140年だそうだ。140年間が、長いのか短いのかわからないが、彼らの情熱が、近代日本の基礎を作ったことは、間違いない。すごいエネルギーだった。それに比べ、今の政治は...
忌野清志郎さんが、ジョンレノン音楽祭( 12/8 at BUDOKAN )で復活するそうだ。正直、ほっとした。よかった。チケットは、アリーナ席をGET済。ジョンレノン音楽祭は、7回目だが、行くのは初めて。今までは、誰が出るかわからない時に予約するのもどうかと思い、結局行かなかったのだが、いつも盛り上がっているので、今年はと思い、GETしたら、豪華な方々の出演で、正解だった。まだ、立ち見席は、販売されているようだ。
今週の朝日の”アジアの街角”は、シンガポールのリトルインディア。シンガポール駐在時代、正直あまり行かなかった。とにかく別世界。もちろん、インド人ばっかりだし、特に夜などは、ちょっと不気味。でも、インド本国よりは、もちろん馴染みやすくて、手軽にインドを感じたい方々には、打ってつけだろう。
インド人にとっての新年であるDEEPAVALIは、シンガポールでも国民の休日。道路は、電飾が綺麗だし、正月?用品を買い込む人達のために、出店も出る。
ただ、今日の記事は、いただけなかった。リトルインディアの紹介で、わざわざ”上海おもちゃ博物館”の紹介をすることもなかろう。チャイナタウンにあったペーパーチキンで有名な店も(これはおいしいので、シンガポールに行かれたかたは、是非トライしてみてください)、リトルインディアに移転してたけど。比較的中心部に近い割に、賃料が安いのだと思う。ドイツ・ワールドカップ予選の、日本対シンガポールの試合も、リトルインディアの近くの競技場で行われた。
インドが、近代的なシンガポールの中に、ぽつんと、濃密にあるところが、リトルインディアの面白いところであることは間違いない。
昨日の写真が、見にくいという話があったので、もっとわかりやすい写真を。
帝蚕倉庫の壁をキャンバスにしたような、自然の芸術???
横浜駅とニッサン本社・みなとみらい地区を結ぶ歩道兼橋。左が、横浜駅方向で、右が建設中のニッサン本社。なかなか未来的?ではないか。でも、ちょっとこの歩道、細すぎやぁしないかい?
現在横浜の中心部といわれている地域は、江戸時代には、ほとんど海だった。横浜駅西口を山側にしばらく行くと、高台になっているが、ここが、当時の海岸線。現在、神奈川台の関門の石碑がある。当時横浜にいた外国人を狙う侍(攘夷派)が、横浜に入るのをブロックしていた場所。ここが旧東海道で、数十軒、神奈川宿が立ち並んでいたという。
そして、その中、唯一残っているのが、田中屋さん。広重の東海道五十三次では、さくらやさんの名で描かれている。竜馬の奥さんであったお良さんが女中として働いていた店としても知られる。1年ぐらい前に、”よみがえった老舗料亭”という本も出ている。
ちょうど、その前が現在更地になっており(たぶん、マンションが立つのだろう)、当時の様子がちょっとうかがえる。ここが岸壁で、左に見える階段が、船着場に下りていく石段の名残と思われる。ここは、所謂神奈川で、当時の横浜(現在の中区)には、野毛の山伝いに行くよりも、船で、まっすぐ行く方が近かったという。横浜は、陸の孤島だったのだ。江戸幕府が、横浜を開港の地として選んだ理由がここにある。
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夏にご紹介した帝蚕倉庫の壁の蔦にも、赤い葉が混じってきた。この光景を見るのも今年が最後なのだろうか。再開発で、このエリアには、超高層ビルが建ち、パークハイアットがはいるという。
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ニッサン本社の建設が進んでいる。左のパイプは、横浜スカイビルからの連絡通路で、橋を兼ねている。ここから、みなとみらい地区に抜けられるようになるそうだ。みなとみらい地区に行くのは、今は、桜木町からが主だが、これが完成すると、横浜からのルートも充実する。
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伊勢佐木町の恒例のイルミネーションが始まった。豪華さはないが、ハマの冬の風物詩だ。たまには、イセブラもいいのでは?
先週の朝日の”アジアの街角”は、馬祖だった。馬祖は、華僑が信仰している、遭難に遭った父を身を犠牲にして守ろうとした(伝説上の?)娘のことかと思ったら、台湾の一番中国に近い列島の名前になっているとのこと。名の由来は、やっぱり伝説上の娘の馬祖さん。中国本土からたった30kmしかないらしい。その向かいにある大陸側が福建省で、シンガポールは、ここからの移民が多く、馬祖は、広く信仰されている。馬祖は、天后と呼ばれており、馬祖を祀っているのが、天后宮だ。マレーシアにも大きなのがある(H/Pのマレーシアの頁のKLのところに載せた)。横浜の中華街にも、立派なお堂ができた(これも前(2006/3)にブログで載せた)。
写真は、ベトナムのホーチミン市内のチョロンという華人の町にある天后宮で、ベトナムで一番古いお寺。
天井で渦を巻いているのは、(たぶん)独特の線香で、普通のより、ずっと長持ちする。
東南アジアの大都市には、必ずといっていいほど華人の町があり、そこに欠かせないのが、天后宮だ。
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国際的に有名なビールの一つにバドワイザーがあるが、シカゴ駐在時代、チェコのバドワイザーが、アメリカのバドワイザー相手に、”本家争い”をしていた。結果はどうなったのだろう。
”本家?”バドワイザーは、見たことも飲んだこともなかったのだが、たまたま横浜に、チェコへの投資を推進する事務所があって、その催しで、いただいた。
説明書きによると、このバドバー(BUDVAR)というビールは、チェコの最高級ホップ、モルト、独自の酵母、地下300mからの良質の水で醸造され、700年の歴史があるという。なかなかの優れもの(のようだ)。飲んでみたら、独特のコクがある。古臭い味といってもいいかもしれない。700年前というから、アメリカの”亜”の字もない時代だ。
チェコには、ドイツが侵略した時も、ソ連が侵攻した時も、周りの欧州諸国からは、自国の利害から見放され、米国に支援してもらった歴史があるという。陸続きの隣国が大国というのは、たいへんだ。今は、平和の時代になって、その地の利を生かそうとしている。首都プラハは、中世の街並みがそのまま残っている素晴らしい首都だという。
シカゴ駐在時代、米国のバドワイザーの方は、愛飲していたが、ウォーターティストビアとも言われていて、”本家?”バドとは、似ても似つかない薄味。シカゴの地ビール(といっても相当売れていたはず)のオールドスタイルもよく飲んでいた。こちらは、少しは、コクがあった。
ビールといえば、ウィスコンシン州のミルウォーキーが、アメリカでは本場だが、ビール工場に見学にも行った。もちろん、見学の後は、ビール飲み放題。
ミズーリ州のセントルイス(19世紀、西部開拓の起点だった町)のバドワイザーの工場にも行ったのだが、予約が必要で、見学できなかった。それ以降、見学の機会はまだない。