かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

古代史講義(氏族篇)

2021年07月21日 | Books
首都圏に戻ったが、首都圏も暑い。



本書は、本屋で見つけた。
古代史講義シリーズの第4弾。
その他のちくま新書もかなり読んで来たが、正攻法で面白い。
本書もしっかりした内容だった。

意外だったのは、古代史といいつつ源氏、平氏、奥州藤原氏など、半分中世の氏族も対象にしている。
読んでみると、これらの武士の世界の氏族も、天皇家、貴族から、発祥していることが、わかる。
例えば、奥州藤原氏の実質始祖の清衡も、京の都で、ノウハウを身につけて、奥州に都を開いた。
平氏の平も、平安京の平から来ている。

その他、あまり触れられることのない橘氏、佐伯氏、紀氏なども取り上げられていて、面白い。

最近わかって来たことも取り上げられている。
例えば、論語や千字文が、漢字の勉強の題材になっていたことは知られていたが、漢字を伝えたと言われる王仁が歌った(と伝わる)難波津の詩も、漢字の練習に使われていたことが、わかって来た。
この話は、渡来系氏族である東漢氏、西文氏の章で出てくる。
各章の書き手が、それぞれの専門家であり、コンパクトながら、ディープな内容になっている。

古代史に興味のある方に、広くお勧め出来る。
次作は、どの切り口で来るか?
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ザ・ビートルズ・クラブ創立55周年記念誌

2021年07月20日 | The Beatles

今日は、大阪。
暑い。



ビートルズ・ファン・クラブの55周年記念誌をゲット。
本シリーズ第2弾だそう。
1987年〜1993年が対象ということで、ちょうど私が海外にいた時で、新鮮感大。
日本にいても、忙しい時期で、あまりフォローする余裕はなかったと思うが。

それにしても、今となっては、貴重なインタビューの数々。
ジョンのインタビューは、生前のもので、今もよく見るものだが、特に、ポールとジョージのインタビューは、ビートルズ時代以来の初来日の頃で、独自インタビューのものもふくめて、貴重な記録が多い。
特にボールは、解散後初のワールドツアーを本格化した時期で、その意気込みが感じられる。
規模ご、巨大化したのも、この時期で、ブラジル公演についての話も多い。
ただ、その時は、70代後半にもツアーを続けているイメージはなかったようだ。
選曲にしても、アレンジにしても、思い入れが、強く感じられる。
30年後のツアーにも、繋がっているのがわかる。

ジョージは、日本ツアーでかならずしも終わらせるつもりではなかったようだが、結果的には、最後のコンサートになった。盟友、エリックが、いたからのツアーであったことも、明らかだ。
記者からレイラをやって欲しいというコメントがあって、エリックが否定しているが、その記者は、レイラが出来た背景を、知っていたのだろうか。
今とは、質問の方向が違うのも面白い。

関係者のインタビューも面白くて、アンソロジープロジェクトのきっかけや、マイケルの版権買取の話も沢山出てくる。
ピートベストも、初来日を果たしていた。

当時は、ふむふむ的な記事だったろうが、今となっては、お宝インタビューの山になっている。
こんなファンクラブ、世界を見渡しても、そうないだろう。
継続は、力なり?

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ザ・ビートルズ 最後のレコーディング

2021年07月19日 | The Beatles

今日は、午前中雑用で、今新幹線で、関西へ移動中。
なかなか、暇にならんなぁ。



本書は、本屋で見つけた。

アビーロード・ネイキッド的な内容。
ひじょうに丹念に、時系列的に、かつ、過去の話や、サイドストーリーもうまく取り込みながら、まとめられている。
当然、聴いたことのある話も多いのだが、EMIスタジオの技術的な話、製作者サイドから見た話などに、初めての話も多く、楽しみながら読むことができた。

B面のメドレーは、曲が完成させられず、メドレーにしてつないだという説を読んだことがあったが、本書によれば、最初から意図されていたとあり、50周年記念セットの音源を見ても、そのように思われる。
1989年のポールのコンサートで生で初めて聞いたわけだが、今もコンサートのエンディングの定番になっており、ポール自慢のメドレーということかと思う。
アルバムの選曲の経緯、並べ方の経緯も、細かく分析されており、興味深かった。

サブタイトルが、ソリッドステート革命とあるが、これは、EMIの機材が真空管から、トランジスタに変わり、これが、レコーディングに革命的な変革を起こしたというところからつけられている。

ソリッドは、強固、ステートは、国という意味だから、強固な国が崩壊していく中で、アビーロードは最後の輝きであったという意味が込められているようだ。

ぐちゃぐちゃのゲット・バックセッションから、奇跡的にアビーロードで、最後の大作を完成させた4人。
しかしその後、本当に崩壊してしまった。
ジョンが引き金を引いたが、それを表に出したのは、ポール。
そして、しばらくはポールが悪者になったのだが、本書を読むと、それも必然だったのかもしれないと思わせる。

ビートルズの歴史に関心のある人は、一読をお勧めする。
翻訳も丁寧で、好感が持てる。

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ルート66を聴く

2021年07月18日 | Books
今日もゴルフ。
連チャンはきついが、今年はこのパターンが続く。



おなじみ朝日さんの新作。

朝日さんお個人的な体験と、音楽シーンが絡み合って、25の曲を軸に展開され、楽しく読めた。

特に、シカゴや、西部など、体験が共通するところは、まさに自分が書いているような気分になり、興味深かった。
一方、私があまり行ったことがない南部の話や、私が聴いていた音楽よりちょっと新しい音楽シーンの話は、新たな関心を広げてくれた。

私が住んでいた時の印象は、とにかくアメリカは広い。
だから、家から直接車で行ったのは、ミルウォーキー、スプリングフィールド、セントルイス、デトロイトぐらいだったろう。
その他は、飛行機で、まず現地に行って、レンタカーで走りまくるという方法。
ただ、その走行距離も半端ない。
1日500マイル(800㎞)という経験も何度もした。
それでも、景色は、あまり変わらず、数百キロ走ってやっと次の街が現れるというところもあった。

一方シカゴの街は、街自体が美しく、バラエティに富んでいて、魅力のある街だった。
その辺も、余すところなく伝えてくれる。
音楽ファンというよりは、アメリカに住んだことがある人に広くお勧めできる。
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ビジネス戦略から読む美術史

2021年07月17日 | Books

今日は、夏ゴルフ。
当たり前だけど、早速暑かった。



本書が、本屋に並んでいたのは、気づいていたのだが、パスしていた。
某紙で、☆5つだったので、ゲットしてみた。
面白かった。

ヨーロッパ旅行がしばらく続いていたので、かなりの有名美術館を回ったが、そこで見た絵の多くが、本書で取り上げられている。
そして、そこでは、知らなかった背景が、面白おかしく取り上げられている。
面白おかしくというと語弊があるが、あまり知られていない、でも重要な事実というところ。

絵はかつては動かせなかったというのは、一昨年訪れた大塚国際美術館で教わったことだが、確かにそうだ。
かつての絵は、ほとんど壁画。だから、大塚国際美術館では、建物を再現して、そこに複製画を展示している。
動かせるようになってきたのは、ダビンチのころ。
だから、動かせない最後の晩餐は、不動産として、世界遺産に指定されているが、モナ・リザは、動産なので、指定されていない。

そのモナ・リザだが、フランスにある理由は知っていたが、それを所有していたのは、ダビンチの不肖の弟子で、その絵を高額でフランスが買い取っていたとは知らなかった。
当時の絵の商品価値というのは、今と全く違う世界であったことがよくわかる。

例えば、フェルメールの牛乳を注ぐ女(オランダと日本で見た)は、パン代としてパン屋に渡ったもので、この絵の題材は、パンとミルクから、プディングを作るところなのだという。
言われてみれば確かにそうだ。

ルネサンス頃の画家は、職人としてギルドの世界に組み込まれていて、芸術家としてとらえられるようになるのは、ずっと後。その時のギルドの世界と、アカデミックな世界の軋轢は、すさまじいものであったことも知った。

印象派を売り出した画商の話も面白い。
当時、フランスでは見向きもされなかった印象派の絵を、立派な額縁に入れ、猫脚の伝統的な家具の部屋に展示することにより、高額で売る事に成功していったという。
その代表が、フィリップ美術館のルノアールの舟遊びの昼食なのだという。
ワシントンDCに行った時、公立の美術館、博物館が、当時のクリントン大統領のおかげで全部クローズになってしまい、タクシーの運転手に開いてる美術館を聞いて、たまたま入った美術館。
邸宅風の建物に、すばらしい絵がたくさん飾ってあるのだが、その目玉が、このルノアール。
ただ、当時としては、法外な値段での取引だったのだという。
今は、印象派自体が、芸術として認知され、人気も高いから、全然そうではないのだが、当時は、その画商がいなければ、収集家の目にも止まらなかったし、そんな値段で売れるはずもなかった。
その画商がいたおかげで、印象派というジャンルが、日の目を見たとも言える。
印象派の絵のなかでも、ゴージャスな絵で、その場で複製画を買ったのを覚えている。

ナポレオンの自画像が、やたら豪華で、数も多いのはなぜ?
レンブラントは、あれほど人気だったのに、晩年はなぜ貧乏に?

様々な絵にまつわる逸話がてんこ盛りで、それこそ、看板(帯)に偽りなし。
洋画ファンには、広くお勧めできる。

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