サハリン観光の三日目。今日も昨日の御一行様に同行させてもらい、まずはフェリーのついた港町コルサコフへ。
同乗者の仕事の関係でコルサコフへ向かったのですが、仕事の方はオフィスに置いて我々はプリゴロドノエという港町の視察に向かいました。
ここはサハリンで行われている天然ガスや石油採掘の積出港として、サハリン2プロジェクトを語るときにはいつも出てくる地名なのですが、なかなか見ることはできませんでした。今日の視察ではちょうど天然ガスの輸送船にガスを充填しているところが見られ、感動もひとしおです。
またここでは石油の積み出しも行っているのですが、石油の積み出しはなんと沖合4キロに設置されたクレーン状のパイプから送られるのだそう。
なぜ港を建設して接岸させないのかなあ、と不思議に思いますが、ロシアにとってはわざわざ防波堤を作ったり浚渫したりする手間を考えると、沖合の海底が深いところに停泊させてそこで積出をすればよいだけと考えたのかもしれません。
港があれば天候や波が荒れても積出ができると思うのですが、天気が悪ければ明日でも良いやと考えたのだとすれば、いかにもロシアらしい考え方ではあります。
ロシアにも少しずつ慣れてきて、今日はこの国のユルさがなにかと目についた一日でした。
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プリゴロドノエの視察を終えてコルサコフからユジノサハリンスクへと戻ってきましたが、途中に"ダーチャ"と呼ばれる菜園付きのセカンドハウスがやたらと目につきます。
ロシアの人たちは週末をこの菜園で野菜や花を作って過ごすことが大好きなんだそうで、ロシア人の通訳さんに訊いてみると、これらは土地の権利を買って建てるので、「まさにどの町で作るかを始め、各種条件でピンからキリまである」のだそう。
このダーチャ、元々は貴族の遊びだったとのことですが、ロシアが歴史上経済的に苦しかった時代には自給自足により国民の食べるものを生産するうえで計り知れない救いになったとも言われています。
車窓から眺めていて、どう見ても日本でいう掘っ立て小屋にしか見えない小さくて粗末な小屋もあります。それなのにその煙突から煙が出ているので中で人が暮らしていることが分かり、(ほんとに?)と突っ込みたくなってしまいます。
道路を走っているときに見えたダーチャですが、ユジノ市内に帰って来て山の風スキー場の夏観光のゴンドラに乗ったところ、ゴンドラの通る道の真下もダーチャになっています。
日本だったら安全の観点から絶対に許されないと思いますが、ロシアなら許されるのです。緩いなー。
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ゴンドラに乗るときも、12時の運航開始が12時になっても県の販売窓口の列が動きません。
「どうしたの?」と訊くと、「レジのシステムが壊れたので十分待ってくれと言われました」とのこと。十五分ほど経ってようやく列が動き始めたと思っていたら、券を買うため並んロシア人の若者が突然レジから外れてカフェへ走ってゆきます。
どうやら「お釣りがない」と言われたようで、お金を崩すために走り回っていました。待たせた上にお釣りがない!緩いなー。
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旅で困るのはなんといってもトイレの問題。
見学を終えて用を足そうと思ってデパートへ入ったら、トイレは全館で一か所しかありません。おまけに男女の別もあるんだかないんだか。
女性が使った後に入ってみたところ、なんと便座がない!男性はこれで良いとしても女性はいったいどうやって用を足したのやら。
これがたくさんの人が使うデパートだというのですから日本の常識は通じません。公共のトイレなどは便座それ自体も持っていかれて穴しかないというところもあるのだとか。
もっとも我々は、前日の旅の途中で立ち寄ったお店の外のトイレが日本の昭和三十年代も真っ青の板の上のボッ○ントイレだったということもあって、「いざとなればバスを止めてもらって草むらに行けばいいや」という覚悟ができていました。
この緩さを受け止めたうえで、慣れて対応できなければ旅はできませんね。
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こうした緩さの一方で、サハリンでは信号がとても少ない事に気が付きます。大きな道路同士の交差点なら信号がありますが、大体数百メートルに一カ所という程度にしか現れません。
それでも車の進入や交差は結構スムースに行われています。規制がない分、自らの自制によって交通をスムースにする譲り合いの精神が発揮されているような気がします。
また信号がないところにある横断歩道では歩行者が待っていると実に頻繁に車の方が止まってあげます。なのでバスの車内では急ブレーキに遭遇することがしばしば。バスの中でも油断することができません。
以前行ったことのある中国の都市ほど激しいクラクションの鳴らし合うこともなく、穏やかに交通が裁かれています。緩さの陰での人の好さも伺えて微笑ましくも思えます。
うーむ、少しロシアのファンになったかもしれません。いよいよ明日は日本に帰国する日です。過ぎれば旅は短いものですね。