北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

山本七平著「日本人の人生観」を読む

2005-06-20 23:41:47 | Weblog
 今日の札幌はどんよりした曇り空。涼しいので助かりますが。さて、ネタが苦しいときは読んだ本の紹介で切り抜けましょう。
  
 今日は、
■山本七平「日本人の人生観」を読む の1本です。

【山本七平「日本人の人生観」を読む】
 山本七平(1921~1971年)は、私の好きな評論家、文芸家の一人であり、人が気づいていながら表現できない社会の真実を教えてくれる人である。

 彼の膨大な著作の中から、講談社学術文庫278番 山本七平著「日本人の人生観」(お値段は税込み640円)である。

 本の中身としては、タイトルの「日本人の人生観」のほか、「さまよえる日本人」、「日本人の宗教意識」、「文化としての元号考察」の全部で4編の小論からなっている。

 その中でも日本人の人生観についての彼の評論が面白い。

 彼は一時フィリピンにいて、そこのてんでにばらばらな米作りのやり方を見て、その後に日本に帰ってきたときに、その一糸乱れず整然として穂の高さまでが一応に芝生のようにそろっている様を見て、「なにか強力な統制が働いているように見えた」というのである。

 そのことを彼は、日本人の先祖が連綿と自然を相手にした米作農業を中心に行ってきたからではないか、と結論づけている。

 そしてその秩序に従っている限り自分は安全で、自然にそのように対応することが生きていく上での前提条件になっていったのではないかと考えるのである。

 このような伝統があるために日本が近代化しても、様々な外部的環境に対して一瞬にして反応し、その反応が非常に敏感なのである。

 人間は環境の変化に敏感に対応して生きていると、個人的には非常に楽な生き方なはずだ、という。

 ただこの欠点は、非常に楽な変わりに将来が予測できないこと。というのは、環境が変わらない限り自分の方が変化しないので、非常に受動的な生き方になるのである。

 同時に環境への変化というのは、一見、大変化のように見えても順応の基本にある考え方は、それによって自己の本質的な物を変えまいとしているわけだから、釈迦を固定化するのである。

 簡単に言えば、これは四季の環境の変化に対応して服装を替えて順応しているようなもので、変わっているのは服だけで内なる肉体を不変化の状態に保っている都考えれば、これは変化していないわけである。

    *   *   *   * 

 …とまあ、山本七平氏の見立てる日本人の人生観とはだいたいそんなもの。

 日本人は歴史の節目にその過去を抹殺して平気なので、ほんの少し前に先人がどう考えたかと言うことが非常に分かりづらくなっている、とも言う。

 トサフィストという耳慣れない単語が登場するが、これは本の欄外に自分の見解や注解を書き込んでいった人たちのことだそうだ。

 本文は決していじらずに、その時点での見解を書き込んだら、次の人がまたそれに見解と注を加えて行く…。それを民族の歴史として繰り返して行って行くと、どの時代にどういう考え方が広まり、あるいは思想がどう振れたかということが簡単に分かってくるものである。

 ヨーロッパも中国もそうしたことを冷徹に行ってきた民族であるのに、我が日本人はそう言うものには本来動かしてはいけない「軸」であるはずの本文に墨を塗って消し去ることで、本質を見もせず考えもせずにその場しのぎで対応をしてきたので、振り返ったときにどういう変遷があったのかと言うことが極めて分かりづらくなっているということなのだそうだ。

    *   *   *   * 

 先の大戦が国を挙げてどういう考えで行われたのかももう国民の中には分からなくなっているのが実際のところだろう。

 多くの事件や事故に対して、社会全体が感情に押し流されてしまうのではなく、どこかで誰かが冷徹な目で見ているということが大事なように思われる。

 自分を中心に、そして今現在を基準にして考える性向の危険性をこの本は示してくれる。

 是非ご一読をお薦めしますよ。   
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宮本常一「塩の道」を読む

2005-06-19 23:07:19 | Weblog
 今日も以来原稿に頭を悩ませる日々。むーん。

  
 さて今日は、
■宮本常一「塩の道」を読む の1本です。

【宮本常一「塩の道」を読む】
 宮本常一(明治40年~昭和56年)は、柳田国男と並び称せられる日本民俗学の大家である。

 日本人の生きる姿を現場に求め、ひたすら村から村へと歩き、戦災による資料喪失という苦難を乗り越えながら、日本文化というものを見つめ続けてきた著作の数々は日本人として是非とも読んでおきたいものである。

 そんな著作の中から、格好の手引き書的な文庫が出されたのが、講談社学術文庫677番 宮本常一著「塩の道」(お値段は800円)である。

 この文庫の中では①塩の道、②日本人と食べ物、③暮らしの形と美、という三点に関する小論が掲載されているが、どれもほんの少し前の日本にまではあった日本文化の底流を流れるものを示してくれていて、実に示唆に富んでいる。

 例えば私がいた掛川市では「日本で一番長い塩の道会議」として地域連携会議を催して塩の道の歴史にスポットを当てたのだが、この著作の中でさらにその深い部分を思い知らされた。

 例えば山の奥の人たちが塩を手に入れるためには、最初は山から木を切り出してそれを川を伝って海まで流し、その木で塩を焼いて上流まで持って行っていた。やがて「それなら海の人に焼いてもらえばよい」ということになり、海辺の人たちが山の人の分も焼いてあげるようになる、そして最後には、木を薪として売りさばいてそのお金で塩を買うようになるという話が伝わっているという。

 自家生産から委託生産、そして交換に移るという歴史が塩の歴史から見えてくるのだ。

 また、塩は馬ではなく牛の背に乗せて運ぶのが常だったという。それは昔の日本の馬は体も小さくてよたよたしていたのが、牛であれば脚力が強く細い道でも歩いてくれる、それに馬のように小屋を必要とせず野宿に耐える、さらには道の草を食ってくれてそれであまり餌の心配もせずに済んだのだそうである。

 江戸時代の馬は口籠(くつご)と言って、口を覆ってあまり周囲のものを食べないようにしてつれて歩くのが普通だったのだそうである。

 また野宿の際に小便を山の中にすることも気をつけなくてはならなかったという。それは小便に含まれる塩を野生動物も欲していたと言うことで、小便は溜まるようなところしてはいけなかったのだそうだ。

 そしてこういう物を運ぶ牛を陸船(おかぶね)と言い、これらは太い街道ではなく、道草の食えるような細い道を歩いていると言うことも分かってくるのだそうだ。

 いかにその場の物を上手に利用しながら旅をし、交易をしてきたかという工夫の歴史が伺えるのが塩の道である。

 道路技術者の方も現代の道路だけでなく、歴史の道の教養として読んでおいた方が良い一冊です。   

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おやじの会という地域活動

2005-06-18 23:11:25 | Weblog
 某団体の機関紙から投稿を依頼されていたのがなかなか書けずに苦労しています。

  
 さて今日は、
■おやじの会の役員会 の1本です。

【おやじの会の役員会】
 夕方から地区の中学校の「おやじの会」の役員会。

 議題は7月3日の新入会員歓迎焼き肉会の打ち合わせ。

 夕方におやじが集まって何を話しているかと思えばそんなこと。でもこういう集いの延長に、「地域の大人たちが知り合いでいる」というソーシャルキャピタルが形成されるという事になるのだろうと思います。

 「地域が大事」ということを実践活動としてやってみるとこういう形になるのです。

 明日の夕方は、会の親睦野球大会です。 
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覚えておいて良かった

2005-06-17 23:09:57 | Weblog
 今週はずーっと晴れ間が続きそうです。ようやく春先の鼻炎の季節から解放されたようです。いやあ、今年は随分長く悩まされました。

 
 さて今日は、
■覚えておいて良かった… の1本です。

【覚えておいて良かった…】
 私が卒業したのは北大農学部農学科花卉(かき)造園学講座というところだったはず。

 「はず」というのは、卒業後から今日までの大学改革の波が激しくて、大学の講座は再編され、かつての「農学科」はもうないのである。

 花卉造園学講座は今は「生物資源科学科」になってしまい、北大からもう「農学科」の卒業生は出ないのである。

 もっとも教授、助教授の系譜は連綿と続いているので、花卉造園学講座卒業生の後輩学生が出なくなったわけではない。「最近は女子学生が多いんだけど、女子の方が意識が高いんだよね」とは教授の弁。男性陣の奮起が期待されるところである。

 さてそんな講座の卒業生によって「造園エルム会」という会が作られていて、大先輩から連綿と親睦を深めている。例年はこの会は東京で行われているのだが、今年は少し趣向を変えて、敢えて札幌で行おうということになり、今日がその宴会の日。

 市内のホテルの和室をお借りして会合が開かれたが、会場には遠路はるばる東京から大勢の先輩が駆けつけてくださって、総勢40人ほどの会合となった。

 最長老は昭和19年に大学を卒業した方から、一番若くして参加してくれたのは平成12年卒業という幅だったが、驚くべき事は卒業後23年を経過している私が参加者の中で下から二番目に若かったということ。

 要するに私の後輩はわずか一人の例外を除いて全く参加してくれなかったと言うことではないか。
 この会に参加してくださる先輩の顔ぶれも大体決まってしまっていて、なにか一つの組織に帰属しているという意識というものが年々弱まっているのかな、と感じてしまう。

 入会することのメリットだとか、意味が感じられないということではなくて、先人から受け継いでいる歴史の鎖の一個であるという自覚を持っているか否か、ということではないか、と私は思うのだが、もう古い人間になりかけているのだろうか。残念なことである。

 さて下から二番目という事は、こちらからほぼ全員の先輩にお酒を注いで歩かなくてはならない立場。でも大体の先輩は存じ上げているので心強い。
 逆にこういう場で先輩を知らないでいるということは、やはり普段から参加していなければ来づらいのかも知れないなあ、とも思うのである。

 まあ先輩は大事にしないと、私も後輩から大事にされないということで、そう言う意味ではもう大事にしてくれる後輩はいないということなのかも。むーん、やっぱり残念。

    *   *   *   * 

 宴会の締めは、なんと言っても寮歌「都ぞ弥生」を全員で肩を組んで歌うこと。

 都ぞ弥生は北大の校歌ではなくて明治45年度の寮歌なのだが、メロディと歌詞の美しさで北大を代表する歌の一つになっており、老いも若きも会合の最後はこの歌を歌って気持ちを一つにするのである。

 …と、今日の司会の先輩から突然の指名で「小松さん、口上できる?」と訊かれた。口上というのは、この都ぞ弥生を歌う前に朗々と語る一節のことで、正しくは楡陵謳春賦(ゆりょうおうしゅんふ)というのだ。

 「なんとか覚えています」「良かった、じゃやってね」ということで私が口上を述べさせてもらうことにした。その一節とはこんなもの。

  『楡陵謳春賦』
  吾等が三年を契る絢爛のその饗宴はげに過ぎ易し
  然れども見ずや穹北に瞬く星斗永久に曇りなく
  雲とまがふ万朶の桜花久遠に萎えざるを

  寮友よ徒らに明日の運命を嘆かんよりは 楡林に篝火を焚きて
  去りては再び帰らざる 若き日の感激を謳歌はん

  明治四十五年度寮歌
  横山芳介君 作歌
  赤木顕次君 作曲

  都ぞ彌生

  …と述べてから「一番、二番、アインス・ツバイ・ドライ」と声を発して初めて「都ぞ弥生の雲紫に…」と歌い始めるのである。アインス・ツバイ・ドライというのは、ドイツ語で1,2,3という意味。これもまたドイツ語を習ったうれしさを伝える伝統である。

 こうして肩を組んで歌って会合はおしまい。この瞬間は皆22歳の若者である。

 それにしても口上を覚えておいて良かった。誰か言える人がいないと寂しいもんね。
 
  
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キーワードは「所有から利用へ」~カー・シェアリングを考える

2005-06-16 23:11:25 | Weblog
 今日も今日とて札幌は朝から快晴。天気の良い6月は紫外線の多い季節。

 紫外線の強い季節は青系の花が綺麗です。南区の滝野公園なんかきれいな季節ですよ~。
 
 さて今日は、
■「所有」から「利用」へ の1本です。

【「所有」から「利用」へ】
 今日はあるまちづくり勉強会で、札幌で「カー・シェアリング」に取り組んでおられる須賀原さんとそのチームにお会いする。

 カー・シェアリングという言葉をご存じだろうか?これは「1台の自動車を複数の会員が共同で利用する自動車の新しい利用形態」なのだ。

 具体的に言えば、利用者は自ら自動車を所有せず、管理団体の会員となり、必要な時にその団体の自動車を借りるという会員制レンタカーのようなものである。

 レンタカーと違うのは、レンタカーが不特定多数に対して営利を目的として車を貸し出すのに対して、カー・シェアリングでは会員である特定多数に対して営利を目的とせずに車を貸し出すというものである。

 須賀原さんのチームでは昨年札幌市内で実証実験も行って、その「有効性が改めて確認できた」とおっしゃり、本格的な実施に向けて意欲満々である。

 須賀原さんの考えるカー・シェアリングの形態では、「徒歩五分程度の範囲内に車をおける環境の整備」と「15分で250円という料金」、さらに「インターネットで無人で車の開いている時間帯を予約する」ということを考えている。

 現実的には、地域として半径300mほどのどこかの駐車場には何台かの車があるという状況を作らなくてはならず、そのためにはある程度の人口密集も必要である。

 しかし大きなマンションなどでは今日、世帯全員が一台以上の車を持つような駐車場を持ちきれないところもあるわけで、必ずしも車を【所有】しなくても【利用】できればよい、という発想で自分の生き方を変えることができさえすれば、そもそも地域に使わずにおいてある車の台数などは大幅に少なくすることができるのである。

 さらに言えば、どうせ持っているのだから【使わなくてはもったいない】という発想からついつい車に乗る生き方をするのか、【使うのにお金がかかるのはもったいない】ということで、少しの距離なら歩いたり自転車を使ったり、都心へは公共交通で行く、という形に意識が向けば、エネルギー消費だって抑えられる。

 そもそも皆が車を使わない生活になれば、ガソリン車の燃費をリッター10kmから12kmにあげるよりも遙かに二酸化炭素削減効果だってあるのである。

 これも私の昨日の考えと根は同じで、【使うものを効率化】する発想から、【そもそも使わない】という発想に切り替えてしまおうというのである。

 須賀原さんの説明を借りると、「カー・シェアリングの車の利用料はクレジットカードで翌月払いを考えています」とのこと。その心は?と尋ねると「携帯電話と同じことですよ。先月使いすぎたなあ、と思えば今月は控えようかと思いませんか?」と答えが返ってきた。

 「車を使うのにお金がかかるんだと思えば、車を使って遠くのショッピングセンターへ買い物に行くよりも、近くの商店街で10円高い卵を歩いて買いに行く人が増えるんです。そうすれば商店街の活性化にだって繋がるんですよ」

 「冬の北海道なら雪かきや車の屋根の雪払いがあるのではありませんか?」
 「私もそれを心配したのですが、実は実験をしてみると会員さんはみんな車を使うときには自分で雪はねを持ってこられるんですよ。それに『みんなの車だからきれいに使おう』という意識も高かったですね」

 この取り組みを阻害する大きな要因の一つは複雑な法体系なのだが、実は札幌市もこの取り組みにいち早く賛同して対応をし、カー・シェアリング特区の認定をこの3月28日に受けている。 

 しかしなんと言っても、これができない最大の要因は車を所有したいという所有欲なのではなかろうか。
 
 「いつかはクラ○ン」なんて言葉や、自慢の車に乗って格好いいところを見せたい、という一人一人の気持ちの総体がこれだけの自動車交通環境の悪化を招いているのではなかろうか。

 「そうは言っても…」という方は、この環境が整ってきたときにはせめてセカンドカーを持つことだけは止めて、カー・シェアリングに切り替えてみてはいかがだろうか。

    *   *   *   * 

 話は農業に変わるけれど、農業の世界でも農地の個人所有ということが土地利用の面でも農業の継続という面でも問題になってきている。

 農家資格がなければ農地の所有もできないし、農家資格を持った農家が農業を行わなくなったときには耕作放棄地が広がるだけ。それでいて変わりに農業をやりたいという意欲のある人はなかなか片手間では農地を使って「農」という行為ができないのだ。

 最近では市民農園などでのレクリエーション利用としての農業はあるが、農地を農家しか使えないという法体系に限界が来ているのも現実なのだろう。

 「農業をやりたい」「やってみたい」という【意志】のある人で「農業技術」という【能力】を持っていても、農家という【資格】がなくては、農業へ参入することはできないのである。

 これまではバブルな都市的利用圧から農地を守る、という意味合いが強かったのだろうが、人口減少という社会条件の変化に対して農地や農業がどのように対応するのかが問題なのだ。

 誰でも良いから農地で農業を善良なる管理者の責任で行ってくれれば良くて、勝手に土地を売ってしまうなどという地域のためにならない土地利用は制限を加えさえできれば良いのではないか。

 ね?ここでもキーワードは「所有から利用」でしょう?

 まあこの体だってご先祖様から80年ばかり借りたものだと思えば、使用期限が来ればお返しをしなくてはならないものなのですがね。

 よそ様からの借り物はプレゼントと思って大事に大事に使いましょう。 

 ちなみに写真はわが愛車、15年目の三菱デリカ。この車には本当に世話になったので、「では自分はカー・シェアリングができるだろうか?」ということで、自問自答をしているのあります、はい。
 
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多様な評価の目を持つこと。「絶対善」はないのだ

2005-06-15 23:47:24 | Weblog
 今日も札幌は朝から快晴。北海道に梅雨がないことをありがたく思います。

 
 さて今日は、
■一つの評価基準ではあっているけど… の1本です。

【一つの評価基準ではあっているけど…】
 昨日東京へ行った際に知人にあって、これからの社会のあり方について意見交換をしたのだが、それが面白かったので皆さんのご意見を聞きたいと思い、述べさせていただく。

 知人の問題意識は、「なぜ日本はこれほど高コストの社会になってしまったのか?」ということ。

 「民主主義には時間とお金がかかるのです」などと分かったようなことを言って逃げていられる場合ではなく、これから先の国民はこれまでの高コスト社会の負担を確実に背負うことになるのである。
 
 多くの社会問題を個人が自分の責任と負担で支えるという気概も覚悟も能力も失ってしまったことで、多くのことがらを社会が負担するようになった。

 そして行政は「住民の皆様のニーズですから」ということにして、住民の不満を解消するという方向でいわゆる『行政【サービス】』を行ってきたために、どんどんコストはふくれる一方である。

 行政のコストがかさんでも、住民が納得の上応分の負担をしてくださればよいのだが、そうそう税金を上げたり企業がほいほいと進出してくださるわけでもないので、収支バランスは悪化するばかりである。

 福祉も老人介護の問題も、子育ても、昔は家族の責任と自己負担の中で苦しくても全てをまかなっていたが、それらを保障する制度を作ってまかなおうとする中で実際には社会全体がかかる応分の費用を負担せずに支出ばかりが増えてしまったのではなかろうか。

 そう言う意味では住民のニーズに答えたという評価基準では合格だが、財政的には不合格である。

 行政には本来高い得点があっても、どこかで低い得点のところがあればそれは立ちゆかないはずなのだが、こと財政問題の場合は交付税で国が借金をして面倒を見てくれたり、一応借金で目先の帳尻は合うので問題が正確に住民には分かりづらいのである。

 行政はかっこうわるくても、不合格を出さないようにしなくてはならないのだが。

    *   *   *   * 

 現在社会のニーズとして受けがよいのは、「安全安心」や「防災」などのキーワードだが、これらとて安全の確保や防災性の向上という点だけで合格点を取るのではなく、費用対効果や他にマイナスになる影響はないかと言うことを十分に考えなくてはなるまい。

 例えば地方都市をドライブしていると、「どうしてこんなまっすぐな道路に鋼鉄製の真っ白なガードレールが必要なのかな?」と思うことがある。

 道路交通や万が一の事故の際にドライバーの安全を考えて措置したと言うことでは、交通安全に寄与しているのかも知れないが、本来運転免許を持っていると言うことは、常に道路状況を把握しながら適切なハンドル操作やアクセル、ブレーキの操作ができる人に与えられるものであるはずである。
 
 実際、ドイツの田舎道などを見てみると急峻な坂道のカーブですらガードレールはない道が多い。事故はドライバーの自己責任の範囲ということになれば当然の社会的な対応とも言えよう。

 またのどかな田園地帯にあって無粋な鋼鉄製のガードレールが存在することは良好な景観を阻害しているとも言えて、これまた社会的にはマイナスである。

 もちろん全ての道路でそういった安全設備が不必要と言うつもりもないが、「いる」「いらない」や「善か悪か」と言った二元論ではなく、その中間にある答えに対して、「どの程度まで必要か」という社会の常識の線が安全重視に振れているように思えるのである。

 その結果、安全では不必要なまでに合格点を取りつつ、社会的コストや景観面では不合格になっているところも多いのではないか。

 なんでも施設や予算でカバーしようとする母親のような社会から、もう少し分をわきまえて個人の責任の範囲を厳しく捕らえるような「父親的な社会」に移行して行かない限り、今日の借金が平気な社会から脱することはできないように思えるのである。

 重ねて言うが、「白か黒か」とか「善か悪か」といった二項対立的で簡単に理解しやすい論調にまとめ上げてしまうのではなく、もっと社会の背景は複雑で、そこには絶対善もなければ絶対悪もないのだ、というより深い社会への目が必要なように思われる。

    *   *   *   *   
 
 だがしかし!大きな事故などがあると、社会全体がついつい感情的になる。そしてその結果、犯人捜しや悪者捜しが始まり、ひとたびマスコミが目をつけた悪者は徹底的に糾弾されるお決まりの状態になるのである。

 我が国民ももう少し大人になって、社会を生きるものには一定のリスクがつきものなのだという諦観もどこかで持つような強い生き方をしなくてはならないように思うのだ。

 国の財政問題を語る上では増税だけが答えなのではなく、いかに我々がもう少し分をわきまえたり何かを持ち寄ったり、ある程度のことを覚悟するという社会常識を復活させることが大事なのだと思う。

 北海道も道州制を語る前に、もう一度先祖の墓でも洗って「北海道に住む限り我慢しなくてはならない」という開拓時代のマインドを、もう一度復活させたいものだ。

 それにはやはり市町村のあり方がなんと言っても大事なのだけれど…。

 そんな話を昨日知人としたばかり。多様な評価尺度でものを見て、身の回りの贅沢をすこしだけやせ我慢してみませんか。 


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汐留の地域冷暖房システムに驚く

2005-06-14 23:08:51 | Weblog
 朝から東京出張です。梅雨入りにもかかわらず東京は晴れて暑い。

 この暑さを、来年北海道の氷で冷やそうという「雪氷輸送物流システム検討調査」プロジェクトを現在進めています。なんとか成功させなくては。


 さて今日は、
■東京の地域冷暖房システムの視察 の1本です。

【東京の地域冷暖房システムの視察】
 今日の午後に霞ヶ関で会議があり、その前の時間を利用して新橋駅東側の汐留地区にある地域冷暖房システムの会社を見学させてもらった。

 お訪ねしたのは、汐留アーバンエネルギー株式会社。ここでは汐留北地区の再開発事業で建設されたビル群に対して熱供給を行っている会社なのである。

 そもそも汐留地区は、徳川家康入場前までは小田原北条氏の出城があったくらいの寒村だったとか。それが江戸時代に入り江戸ウォーターフロント開発で埋め立てと運河建設が進められて、次第に重要な土地に変貌したのだそうだ。

 やがて明治時代になると鉄道建設が進められ、我が国最初の鉄道が新橋~横浜間で営業を開始し、近代化の事始めとなったのだ。

 やがて乗客は現在の新橋駅に移り、旧新橋駅は汐留駅として長く東の鉄道物流基地として称せられ、地域が大きく発展することとなった。しかし物流が車中心となり、やがて鉄道貨物輸送が物流の主役から降りるときが訪れ、昭和61年10月には地区114年の歴史に幕を下ろすこととなったのだ。

 やがてこの地区は、都心に残された最大の用地として脚光を浴び、多機能都市空間を目指す整備として東京都による区画整理をはじめとしたまちづくりが展開し、現在に至っている。

    *   *   *   * 
 
 東京都の区画整理ではこの地区を9つのブロックに分けて計画されたが、この会社ではこのうち、A、B、Cの三つの街区についての地域冷暖房供給を行うこと都市計画が始まった。

 この街区には電通本社ビル、電通四季劇場「海」、汐留アネックスビル、松下電工本社ビル、日本テレビタワーなどの超高漕ビルが建ち並び、なかなかの壮観である。

 さて、この会社ではガスをエネルギー源にして蒸気ボイラーで熱と蒸気を発生させるのだが、これを熱として活用するほか電気でも取り出すコジェネレーションを原則としている。

 そしてこの発生する蒸気から蒸気吸収冷凍機を介して冷却を行っているというのだが、素人にはなぜ蒸気から冷気が取り出せるのかがイメージとして理解できないのであった。とりあえず、そういうものらしい、として話を進めるしかあるまい。

 さてそこでビルの冷熱源機器である。「エコアイス」という単語だけは私も知っていて、料金の安い深夜電力を利用して氷を作り、それで日中は電気を使わずにこの冷たさを利用して室内を冷房するのである。

 そこでここのビル群の冷房もエコアイスなのだろうと思っていたら、実はそうではなかった。

 エコアイスも使ってはいるのだが、わざわざ氷を作るよりは、冷たい水を作る方がまだ簡単だと言うことで、こちらでは巨大な水槽に冷水を貯める方式の冷蓄熱方式をつかっているのである。
 
 エコアイスのできる水槽は、マルチ蓄熱槽として夏は氷のエコアイスに使い、冬は温かいお湯をやはり深夜電力で作り蓄える方式で暖房にも使っているのだそうだ。

 その大きさの比較でいうと、エコアイスのマルチ蓄熱漕は1,120トン、で冷水専用の水蓄熱槽は6,830トンというから約6倍ほども大きさに差があるのである。なるほど、思いこみではなくて現場を見ることが大事である。

 またここの建物では、地下3階と2階を貫いて水蓄熱槽があって、マルチ蓄熱槽がその上部の地下1階に位置している。

 我々の雪氷輸送プロジェクトで氷をこれらに投入するとすれば、水槽に氷を投入しやすいかどうかが重要なポイントにもなるだろう。

 ここではガスコジェネとエネルギーのベストミックスで、それぞれが単体のビルで冷暖房を行ったものとの比較で13.3%の省エネ率と謳っているそうだ。

 これだけのビルで13%の節約とは大きなものがあるだろう。人間の知恵もたいしたものである。

 さてさて、地域冷暖房システムには実はメーカーによってもまだまだいろいろなシステムがあるという。

 やはり現場を多く見ることしか、課題の解決には繋がらないようである。

 同じ現場でも何度でも行くこと。「現場百回!」これが師榛村市長の教えである。実践あるのみだ!
  
 
 

 
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サマータイムは是か非か…?

2005-06-13 23:24:02 | Weblog
 なんとか今日も晴れ間の広がる、それでいて涼やかな一日。まさに北海道の初夏という感じですね。


 さて今日は、
■札幌のサマータイム の1本です。

【札幌のサマータイム】
 札幌市と道庁ではこの夏サマータイムの社会実験を行うのだそうである。

 これは札幌商工会議所が呼びかけて、実行委員会によって実施される社会実験である。

 札幌商工会議所では2004年度にも、市内の企業や団体に呼びかけて、全国にさきがけ、地域ぐるみで北海道サマータイムを導入する社会実験を実施した。

 この意味するところは、早朝及び終業後の明るい時間帯を活用することで、余暇の充実や観光・レジャー・趣味娯楽・省エネルギーなど多くの効果を発現しようとするもので、一定の好意を持って迎えられ、道内外から大きな反響を得たのだそうだ。

 そこで今年は昨年度に引き続き、「2005 北海道サマータイム月間 実行委員会」を組織して、さらに多くの道民にサマータイムを実際に体験して頂くため対象を全道に広げて実施しようというのである。

 時期は平成17年6月20日(月)~7月31日(日)の約40日間で、この期間中で合計一週間以上の実施があれば参加と見なすのだそうだ。

 実際の実施の仕方は、時計の針を変えるのではなくただ朝一時間早く出勤して夕方は一時間早く帰るというものである。なにしろ全国で足並みがそろわないのだから仕方があるまい。

 参加対象 は北海道経産局、北海道庁、札幌市の他、この趣旨に賛同する自治体・行政機関を始め、道内企業、商店街、各種団体、大学、学校、専門学校などを見込み、全部で500団体くらいの参加を見込んでいる。

 日没が遅い分を有効に利用すればスポーツや各種レジャーへの参加から経済効果も期待できる、という思惑だが、残念ながら経産局以外の国の官庁は参加しないようだし、わが北海道開発局も今回は参加を見送っている。

 その理由としては、サマータイムが有効に機能するためには普段から5時きっかりに帰ることができる勤務体系が必要なのだが、この時期概算要求などで残業が多くなり時節柄、これを実行すると単に朝早く出勤するだけで夜はやはり同じくらいに遅くまでいることが考えられ、職員への勤務が過剰になるのではないか、という配慮らしい。

 遅くまで働くことで超勤手当がつくというところもあるかも知れないが、どうも我々の職場では期待薄である。もちろん職員全員が夜遅くまで残業をしているわけでもなかろうが、組織として参加するには問題が多そうだ。

 同じようなことは道庁や市役所にも言えるはずなので、そのあたりがどのような結果になったかを見極めたい気もする。

 これを喜ぶ職場というのは、夕方きっかりに帰ることができるということを宣言しているようなもので、どうもそれが市民の間に共感を持って迎えられるかどうかも見極めたいものだ。

 サマータイム制度を使って、夜普段より一時間早く寝付けることができるかどうか。人間は機械じゃないからなあ。


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青年会議所の道州制フォーラムを聴く

2005-06-12 23:50:08 | Weblog
 天気の良い日曜日。うちの奥さんと一緒にフォーラムを聞きに行きました。外はYosakoiソーランで賑やかになっています。

 そういえば今日でYosakoiソーランも最終日。参加者の皆さんご苦労様。

 さて今日は、
■道州制フォーラムを聞きに行く の1本です。

【道州制フォーラムを聞きに行く】
 午後に(社)日本青年会議所北海道地区協議会主催による道州制フォーラムをうちの奥さんと共に聴きに行く。

 以前からなぜか大きな目玉をイラストした黄色いリーフレットが目についていて、おまけにそのタイトルが「目覚めよ!北海道人!」とあるので、一つ間違えるとなにやら宗教っぽくなりがちなのだが、とにかくなんだか気になっていたのである。

 内容は講演と提言とパネルディスカッションという構成なのだが、冒頭の講演には道州制を推進する高橋はるみ北海道知事が登場し、パネルディスカッションにはテレビでおなじみ福岡政行さんにニセコの逢坂町長が出席するというので、どういうお話が聞けるものか、と少しだけ楽しみでもあったのである。

 さて、会場は札幌市役所横の市民会館。市民会館と言えば、小学校高学年の頃に親に連れられて「東京ぼん太」のショーを観て以来かな。ちょっと懐かしい響きである。

 一時半開始のところを20分くらい前に到着。会場周辺には青年会議所のメンバーとおぼしき青年達が同じようなブレザーを着て大勢たむろしていて、ちょっと怖い感じ。制服というのはどこか威圧感のあるものですな。

 会場の市民会館は収容人員が約1500人くらいあるのだが、残念ながら今日の参加者は300~400人くらいかな。参加者も青年会議所の関係者とおぼしきメンバーが多くて、やはりこういう話題はなかなか関心を呼ばないのだろうか。寂しい限りである。

    ※    ※    ※    ※

 さて冒頭の主催者挨拶に続いて早速高橋知事登場。今日は黒のスーツで、以前観光サミットでお見かけしたときよりは声に張りもあって笑顔で講演開始。なかなか感じは良いね。

 知事発言から抜粋すると、「補助金でも直轄負担金でも、国が関与する分野が多く、それらが日本中同じ基準でやられているということがもう無理になっている。『地域特性を踏まえた』ことを実現するのが道州制というわけです」

 「福祉も全国一律が無理になり、少子高齢化の中でどういう地域社会を作るかということを考えなくてはならない」、「自分で出来ることは自分で行って、困ったら役場、道、国に頼るという考え方を変えなくてはなりません」

 「地域の可能性を探って、東京や地域間競争に勝たなくては行けない。多様な挑戦の多様な社会を作りましょう」

 「身の回りのことを行う主人公は市町村。それを補うのが道で、さらにそれらで出来ない外交や国防を国がやればよい」、「税源も地方に渡して欲しいけれど、地域間のアンバランスは調整してもらわないと駄目。『そこは国に頼るのか?』と言われるかも知れないけれど、それも道州制という枠組みを変えて対応すれば良い」

 「いずれにしても大事なことは、道州制も道民の生活レベルを活性化する手段に過ぎないということです。どういう北海道を実現するかがポイントです。道州制に関する私の考えは公約にも掲げたし、今回本も出しましたので、それをご覧になって下さい」

 「Yosakoiソーラン祭が素晴らしいと思うのは、行政がほとんどお金を出さずに民間の力で行っていること。道民の力の源がここにあるようですよ!」というもの。なあるほどねえ。

    *   *   *   * 

 講演の時間が20分間という大変短い時間しかなかったのは主催者側の都合なのか知事側の理由なのか分からないけれど、たった20分の講演で道州制のポイントを訴えるのは難しかったように思われる。

 「国が一様に基準を決めるのが無理」というのは実は道そのものが行わなければならないことでもあって、道自身がどれくらい地域の実情にあった行政が出来ているかも問われることだろう。
 
 また現段階で道が予算の使い道も人件費の問題も、自治体として自分たちで決められる事柄を決めることができていないようにも見受けられて、そのあたりになんだかもう説得力を欠くところがあるようにも思える。
 
 道財政も厳しいし、このままだと来年の今頃には財政再建自治体に転落するのではなかろうか、と厳しい見方もある。

 財政再建団体に成り下がってから行われる改革があるとすれば、それは今まさに自立した一つの自治体として自ら決められる事柄なのではないのか?

 結局座して危機を回避できなかったということは、当局も議会も労働組合も全てができることをしなかった結末ということになりはしないのだろうか。自分の役職や立場を超えて、一道民としてそのことを情けなく思い、憂いてみても個人としては無力なものだ。

 結局物事を行うには「意志」と「能力」と「資格」があって、行うに足る資格を持ったものこそが自覚して事をなさない限り、物事は進みはしないのだ、ということである。

 ただただ新しい制度をほしがる自治体は、持っている道具を使って腕を磨くことなしに、新しい道具ばかりほしがる職人のように、どこか端から見ていて共感を得ないのではなかろうか。

 知事も知事で、20分で全てを伝えるのは大変だろうけれど、何かシンボリックな一言で道州制を訴える気持ちに共感させるせりふはなかったのだろうか。3分で聴衆の心に訴求できないような内容は、いくら時間を掛けて言葉を尽くしても人の心には浸みていかないものだ。

 訴えかける力こそが、政治家なんだなあ、やっぱり。

    *   *   *   * 

 後半の提言やパネルディスカッションではやたら「道民の自立」が叫ばれていた。

 「教育、経済、政治の各分野でもっと我々は自立をして、外に頼らない覚悟を持たなくてはならない」という主張である。聞こえはよいがなぜ共感しないのか。

 共感をさせる力には、やはり主張にホンモノがきらめいていなくてはなるまい。

 高橋氏、土井氏、逢坂氏の三人のパネリストの中ではやはり逢坂氏が群を抜いてまともな発言をしていた。

 「最近の議論傾向として、『白か黒か』『是か非か』といった二交代率で語る論調が多く見受けられる。もっと広範な目線でものを見たい」

 「税金なども人口をベースに考えるのはいかがなものか。(町の広さなども考慮されるべき)」は、まさに私の言う「一本の木や鳥も虫も動物たちもその町の中に生きているのだけれど、投票権を持っているのは人間でしかない。だから我々人間一人一人は、自分の周りの虫や鳥や動物たちに成り代わりその代表としてこの町の行く末を考えなくてはならない」という主張に相通じるものがある。

 学生さんと川南さんはちょっと主張が弱すぎ。

 福岡先生は相変わらず、と言った感じ。

 今日の議論は今後青年会議所北海道地区協議会として提言をまとめるそうなのでそれにまた注目したい。

 結局我々道民一人一人が自立しなくてはならないのは当然必要なことなのだけれど、それを道民から遠い道庁が言っていること自体が無理なのだ。

 やはり一番地元に身近な市町村が行わなくてはならず、そう言う意味では札幌市というのがいけないのだ。札幌市は人口約187万人と、北海道の中で一番市民と市役所が離れている自治体なのだから。

 道内の自治体も合併で209団体になったと聞くが、一つ一つの市町村に行脚して一つ一つ潰すように説得をして行かなくてはならない。今日のフォーラムの言葉は虚空に向かって叫ばれたのではダメで、目の前のあなたに語りかけなくてはならないのだ。
 
 現実に説得してものを動かすということの難しさを知っているかどうかがカギのようにも思えるのである。よし、自分もがんばろう!    
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銀河線代替交通幹事会~「あれは早いんだ」

2005-06-11 23:55:42 | Weblog
 今日は昨日に引き続いてふるさと銀河線代替交通を検討する幹事会である。北見も暑いぜ。
 
 さて今日は、

■ふるさと銀河線代替交通確保調整協議会の幹事会
■「あれは早いんだ」 の2本です。

【ふるさと銀河線代替交通確保調整協議会の幹事会】
 昨日に引き続いて今日は昨日の協議会の下部に位置する幹事会が北見で開催された。

 朝から関係者が落ち着かないのは、昨日の協議会の結果の報道として一部新聞に「鉄道存続にまだ望みがある」という表現が見られたこと。

 昨日の協議会ではそう言う流れにはなっていなかったので、記者会見でどう運輸局さんが説明したかが問われることになった。

 確かに一部住民に存続を求める行動を起こしている方もいるのだが、この鉄道をNPOが引き継ぐと言った、あまり現実的ではない提案で存続の可能性を探っている状況。

 地元沿線自治体ももはや来年4月21日の廃止という日を目前にして、現実的にはバスへの転換を検討対象とすることは仕方がない、という昨日の方向だっただけに一部新聞報道によって会議の流れについて食い違った印象を与えてしまったようだ。

 幹事会では昨日の協議会の様子説明、地方バス路線維持費補助制度の説明、今後のスケジュールなどが語られた。

 いよいよこれからは、停留所、本数、ダイヤ、料金などの具体的なバス転換のあり方について議論を進めることになるだろう。

 いずれにしても、早急な方向付けを行って住民の不安を解消しなくてはなるまい。残された時間は短い。



【「あれは早いんだ」】
 幹事会終了後に特急列車まで2時間ほど時間が余ったので、北見に住む伯父さん伯母さんの元へ訪ねることにした。

 突然の訪問だったが快く招き入れてくれて、たいそうなおもてなしを受けた。

 伯父の家を訪ねるのは4年ぶりくらいだが、なんだか周りの住宅の様子も変わっていて、記憶をたどりながらの訪問がやや不安になったものだ。

 四方山話に花を咲かせて、辞去する際に伯父から「正明君はどうやって帰るんだ?」と訊かれたので、「特急オホーツクですよ」と答えた。

 (4時間半もかかるんですよ)と言おうとしたところ伯父から「オホーツクか、あれは早いんだ」と言われた。

 ちょっと驚いて「札幌まで4時間半もかかるんですよ」と言ってみると、「前は旭川まで6時間かかったものだよ」と言われてしまった。

 伯父の「前」って一体いつの頃だろう?

    *   *   *   * 

 北見駅では池田行きの銀河線の車両が止まっていた。早く乗らなくては廃止で乗れなくなってしまうのだ。
 
 廃止直前だけサヨナラ人気が出るというのは悲しいものだ。廃止が悲しければ普段から乗って欲しいのに。

 
コメント (5)
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