北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

早く楽になりましょう

2013-05-21 22:49:41 | Weblog

 アレルギー性鼻炎を発症して、たまらずかかりつけの耳鼻咽喉科で受診してきました。
 
 例年鼻炎の季節にこの病院へ行くと、9時から診療に先立って、朝8時過ぎから登録だけの患者さんが十数人はいたのですが、今年はがらがら。

 さすがにもうこの時期は、花粉症になる人はなってしまっているのかな、と思いながら、受診しました。

 いつもべらんめえ調で元気の良い先生ですが、変わらずお元気な様子で、「どれ、花粉症かい」と鼻の中を診察してくれました。

 「今年はシラカバの花粉が飛ぶのが例年よりも一ヶ月遅いんだわ。ちょうど今頃からだな」

 北海道立衛生研究所では、道民の保健衛生の向上のために様々な調査研究をしていますが、その一つが花粉情報の提供です。 → http://bit.ly/ZafV1m

 先生によると、実は昨年はシラカバの花粉の量が非常に少ない歳だったのだそう。

 上記のシラカバ花粉量の情報でも、昨年はピーク日でも例年の半分程度に留まっていたことがわかります。

 → http://bit.ly/13En8Tp

 「昨年は釧路にいたので、花粉症にかかりませんでした」と言うと、「釧路かい、港町は花粉症が少ないね」とさらり言います。
「港町は花粉が少ないんですか?」
「だって、半分が海じゃないですか。海から風が吹いてくるときは花粉を持ってこないでしょう。それにそもそも釧路はシラカバも多くないしね。札幌なんかは四方八方、どこから風が吹いてもシラカバの花粉が攻めてくるよ(笑)」

 
「遅く始まって、ぱっと終わるという具合にはなりませんか」
「ならないね。そのままずれるだけ。これから一ヶ月くらいは飛ぶね」

 本当は鼻炎の薬も、発症する2~3週間前から飲み始めると、体に耐性がつくのだと教えられていても、毎年心のどこかで、(今年は発症しなかったりして)という無駄な期待のために病院への足が遠のいているのです。

 すなおに先に受診しておけば良いのですが、何もないのに病院はかかりにくいものですね。

 薬を処方してもらって症状を抑えるとぐっと楽になりました。

 かかった費用は、診察と薬で約3千円ほど。これで一か月のQOLが保てるならば助かります。

 苦しい時は頑張らないで早く楽になりましょう。
 

 

 

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アレルギーとネット選挙

2013-05-20 23:19:06 | Weblog

 昨日一日、アウトドアで過ごしていたために、シラカバ花粉症が悪化しました。
 
 今年は寒い日が続いたおかげで花粉飛散がかなり遅れていたのですが、さすがにここ数日の晴天で、山も新緑が広がってきましたが、それはつまりシラカバの芽吹きも進んだと言うことなのでしょう。

 この季節のお約束どおり、目と鼻のかゆみ、くしゃみ、鼻水に悩まされて、QOL(=Quality of Life・生活の質)が低下します。

 医療技術の向上は「生き死に」の課題に最も力が注がれますが、生きているさなかでの生活の質の向上にもぜひ力を入れて欲しいものです。

 iPS細胞を利用した医療が進んで、アレルギー性鼻炎の抑えられるような日が来ないものでしょうか。


    ◆     ◆     ◆


 さて、来る参議院選挙からはインターネットでの選挙運動が解禁になるのだそうです。

 『ネット選挙のメリット・デメリット』というまとめサイトがありました。 こちら→http://bit.ly/114LBoU

 「使い捨てられるチラシやポスターが減り、エコな選挙活動が実現する」とか、「コストをかけずに自分をアピールできて、立候補者の幅が広がる」、「古い体制からやしがらみから脱却できる」などといったメリットへの希望がある一方、「なりすましや偽装などの偽の情報に惑わされそう」とか、「不適切な投稿の削除が間に合わないのではないか」などといったデメリットの観測が飛び交っています。

 おそらく選挙期間に入ると支援と誹謗中傷の情報が膨大に飛び交うようになるのではないかと思いますが、私が一番変わるだろうなと思うのは、有権者が立候補者に対して直接「この問題をどう思うか」という問いかけがあって、立候補者はそれに明確な考え方を示さざるを得なくなるのではないか、というのが私の予想です。

 どうなるかというと、今までは候補者は自分の言いたいことだけを言って有権者に判断してもらえば良かったのが、有権者の側が、「訊きたいのはそんなことじゃない。○○については賛成か反対か、その理由と共に教えてほしい」というリクエストがネットを介して簡単にできるようになるのではないかと思うのです。

 すると今までのように、言いたくないことに対して態度をあいまいにして過ごしてはいられなくなりますし、さらにはその回答が強力なネット住民の力で比較されて、全てを晒されることになります。

 態度を明確にして耐えられるだけの理論が自分の中にあればよいですが、嘘や偽りや支援団体の意向を代弁するだけの候補者ではたちまちメッキがはがれてしまうのではないか、という期待と恐れを感じています。

 大衆が情報を得て分析できるようになった時代の選挙とはどうあるべきかが問われますが、それによって、あまりにひどい候補者は淘汰され排除されてゆき、立派な政治家だけが残るようなら良いのに、と思うのです。

 まさか社会に害を与えようとする候補者がいるとは思いませんが、もしそういう人がいるなら、アレルギー反応のように、体内が抗体を作って排除する苦しみがあっても良いかもしれません。

 
   ◆   ◆   ◆

 

 釧路にいたときは、スギはもちろんないうえに、北海道なのにシラカバも少なくてシラカバ花粉症の私がほとんど苦しまずにすみました。

 釧路では今、夏の避暑地としてブームになりかけていますが、春先の「避(花)粉地」としての地の利も売り出しています。

 まだまだ知名度は低いですが、花粉症に苦しむ人たちが高齢化して、暇とお金をかけても楽な日常を取り戻したいと思ったときは、きっと釧路をはじめとした道東が有力な避難地になるに違いありません。

 道内のシラカバ花粉症の人たちにとっても、道東は避粉地になりうるわけで、やはり引退した後の長期滞在に道東は魅力です。

 ああ、この時期は道東にいたいですね。

 

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旧島松駅逓を巡る三人の物語

2013-05-19 23:45:27 | Weblog

 恵庭の管理釣り場へリベンジに行き、帰りに島松の国指定史跡「旧島松駅逓所」を見てきました。

 島松駅逓は、北海道開拓を進める中で、北海道各地に設置された駅逓の一つです。

 明治の初期にはまだ海岸沿いを船で移動するのがやっとだったのが、札幌まで行くのには苫小牧から陸路をたどる必要があり、そのために交通不便の道の途中、宿泊と人馬継立・逓送等の便を図るために置かれたこの駅逓という施設です。

 今道内には三か所の駅舎が復元されて残っているのだそうですが、そのなかでも最も古く、明治初期の姿を残す貴重なもので、国の史跡に指定されています。
 
 北海道における駅逓制度は、古くは松前藩時代に遡りますが、明治に入ってからは開拓使が駅逓業務を受け継ぎました。

 島松駅逓は、明治6年に設置されましたが、ここを歴史的に有名にした人物は三名います。

 一人目は、ここを明治10年から請人として、また17年からは正式な駅逓取扱人としても業務を運営した中山久蔵という人。


 【中山久蔵氏の写真】

 この人は今の大阪府太子町で1828年に生まれ、43歳の時にここ島松沢に移住し開墾を始めました。
 
 この時代は当時のお雇い外国人ホーレス・ケプロンなどの提言で、「北海道では寒くて稲が育たないから麦を栽培せよ」という方針が出されていました。

 しかし、中山久蔵はその中にあって「農業は米だ」として、函館から寒さに強い「赤毛種」を取り寄せ、栽培にあたっては、田んぼの水温を上げるために風呂を沸かしてお湯を田に注ぐなど、必死に取り組んでとうとうこの地で、米を実らせることに成功しました。

 さらには石狩川周辺でのコメ作りのために惜しげもなく種もみを提供し、また農業指導にも当たり、北海道の米作りの父と呼んでも過言ではないほど高い志を持った人でした。

 駅逓の中には中山久蔵に関する様々な資料が展示されていましたが、その中に明治十年の内閣勧業博覧会において、この地で栽培したコメを出品して報奨を受けた記録がありました。

「新開の地に於いて、このような良いコメを出品できるような労力をよくかけられたものだ」として、内務卿大久保利通の褒状です。立派ですね。


 【大久保利通からの褒状】


   ◆   ◆   ◆


 二人目は、北大の教頭を務めたクラーク博士。かれが任期を終えて札幌を去る際に、別れがたい教え子たちがいつまでもついてきて、最後の別れの場所がこの地だということ。

 記録によると、クラーク先生は、日本から来国を求められた時に一度大学側がこれを断り、クラーク先生に一年間の休暇を与えたうえで、来日を果たしたのだそう。

 なので実際に北大にいたのはわずか9ヶ月程度だったとのことで、案外知らなくて驚きました。

 敷地の中には、クラーク先生の碑と中山久蔵氏の記念碑が並んで建てられています。


 【右がクラーク先生の碑で、左が中山久蔵氏の碑】


   ◆   ◆   ◆


 そして三人目は明治天皇です。明治14年に明治天皇は北海道視察のために行幸されていますが、その際の大きな目的の一つが、寒冷地でのコメの栽培を成功させた中山久蔵に声をかけたかったことだったのではないか、とのこと。

 ここ島松駅逓は、ご行幸にあたって中山久蔵が私財を用いて増築をさせたお休みどころが残されています。

 畳のヘリの文様一つでも、簡単に使用の許されないものが使われているそうですよ。

 建物の裏には、「駐蹕處(ちゅうひつしょ)」という石碑が建てられていました。


 【駐蹕處の石碑】

 神事の際に神さまが下りてきたりまた昇っていただく降神の儀・昇神の儀の際に神官が「ウ~~~」とサイレンの様な声を発しますが、あれを「警蹕(けいひつ)」と言って、貴人がお通りになる合図、とされていますが、それ以外では初めて見る文字使い。。

 「駐蹕」の「蹕」には「貴人が通ること」と併せて「天皇陛下の行幸」という意味もありました。


   ◆   ◆   ◆


 入場料は大人一名200円で、ガイドの方はシルバー人材センターからの派遣とのことでしたが、ご立派な説明で充実した見学となりました。 

 ちゃんとガイドは受けるべきですね。

 釣りは今日もダメダメでしたが、歴史の良い勉強になりました。


 【展示コーナーとガイドの方】
 

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ビートたけしのお母さんの話

2013-05-18 23:45:51 | Weblog

 世の中には人に何かを伝えるために、しかつめらしい顔をして説教をするよりも心にしみることがあります。

 今月号の「致知」からのお話です。


   ◆   ◆   ◆


  「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」

 

 …いまの日本には偉人伝というだけで拒否反応を持つ人がいるんですよ。

 それ自体、異常な社会だと思うのですが、そういう時、私はタレントの北野武さんの話をするんです。
 
 そうすると皆さん「なるほど」と言って聞いてくださいます。
 
 それは北野さんのお母さんのお話なんですね。
 
 北野さんが芸能界に入って売れるようになった頃、お母さんから「金をくれ」と言われたというんです。
 
 それからも何かにつけて法外なお金を要求されたと。
 
 とんでもない親だと思ったけれども、親には世話になったし迷惑を掛けたのも事実だから言われたままに出していたそうです。
 
 そして、お母さんの命がもう何日もないという時に軽井沢の病院に行った北野さんはお母さんから一冊の通帳を渡されるんです。
 
 帰りの新幹線の中でその通帳を見た北野さんはビックリするんですね、いままで渡していたお金が全額入金されていた。
 

 芸能界は浮き沈みの激しい世界ですから、お母さんとしては息子が売れなくなった時のことを考えて、そっと蓄えておられたのでしょうね。
 

 子供は親孝行したいと思っているけれども、親が子を思う気持ちはもっと深い。
 

 吉田松陰が「親思う心にまさる親心」と詠んでいますが、親が亡くなって「もっと孝行しておくべきだった」と子供だったら皆思うんじゃないでしょうか。
 
 これは何も国が「親孝行しろ」と言うのとは違うわけでしょう。
 
 道徳の授業の中でそういう話がエピソードとして出てくれば、誰でも素直に皆受け取るはずです。
 

 人が人として生きるために大事なことを学ぶのは、本当は英語や数学の学力を高めること以上に必要なことなんですね。
 
 …

    下村博文(文部科学大臣/教育再生担当大臣)
              
              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より

   ◆   ◆   ◆


 下村さんは、若い時から教育問題に力を入れていて、周りからは、「教育は票にならない」と言われ、「よし、それなら余計にやってやろうじゃないか」と心に決めたそうです。

 世の中にはいろんないい話がありますね。 

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インフラは明日の地域を変える

2013-05-17 23:45:51 | Weblog

 職場の技術士会でミニ講演をしました。

 いただいたお題は、「地方自治体の中から見た公共事業と開発行政」でしたが、私からのプレゼンは、「地方自治体にとって公共事業で作られるインフラによって、地域の姿は変わる」という釧路での事例紹介です。

 まずは釧路川。

 原始河川だった釧路川は勾配が小さく幅もないためにしょっちゅう洪水を起こしていましたが、大正時代に起きた大洪水を契機に本格的な治水計画を整えました。

 その内容は、釧路川を岩保木地区で分水し、市の西側に川幅百間の新しい水路を開削するというもので、これが今の新釧路川になっています。

 当時は旧の釧路川を木材運搬など舟運として使おうと、岩保木に水門を作りましたが、その後鉄道が発達したために舟運は使われなくなりましたが、そのため川は残りました。

 国はこれを北海道拓殖計画として推進し、新釧路側が完成し、治水事業としては完了しました。

 私が面白いと思ったのは、この事業のおかげで洪水が防止されるというインフラが整備されましたが、残された旧の釧路川は上流で増水は新釧路川に流されるために、洪水のない川となりました。

 そのために、都市の中に堤防のない川という日本では珍しい風景が誕生したのです。

 あまり気付かないところで、人の力が風景を作り上げた事例だと思います。


   ◆   ◆   ◆


 また、新しい耐震岸壁ができたことで、釧路はクルーズ観光のおもてなしのすばらしいマチになりました。

 それまでの貧相な停泊地から、都市の中に豪華客船が滑り込むように入って来て、都会が船を迎え入れるマチです。

 その他にも、高速道路や空港、国際バルク戦略港湾などができること、できたことで、地域は発展の姿を変えてきました。

 作るのに時間もお金もかかる公共インフラは、社会の未来をある程度予想しながら作らなくてはいけません。

 しかし、子孫によりよい社会を残すことは現代の私たちにしかできません。

 過去の遺産を今の我々がむさぼるだけではなく、しっかりとした社会を後代に残していきたいものです。

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自分の体とは何か~アンジェリーナ・ジョリーの決断に思う

2013-05-16 23:45:47 | Weblog


 奥歯をインプラントにする手術を受けてから1か月半が経ちました。

 微妙な噛み合わせもしっかりと調節してくれて、しっかり咀嚼ができることのありがたみを感じています。

 治療の過程で、先に埋め込んだチタン製の土台周辺が安定するのを待つために、四か月以上、奥歯が二本ない生活が続きました。

 そのため、舌が、歯がない口の中でだらっと広がる感覚になっていて、歯が入ってからときどき新しい歯で舌を噛むという目にあいましたが、それも少しずつ慣れて納まってきています。

 しかしながら、一つだけ事前に予想ができなかったことがあります。

 それはやはり微妙に食べ物の味がしないこと。

 それ以前にも歯の中の神経を取って銀をかぶせる治療をしていたので、神経はないものと思っていましたが、改めてインプラントにしてみると、反対側のまだ残っている自分の歯に比べて食べ物の味がしないんだなあ、と思います。

 痛くて噛めないことを考えると贅沢と言われるかもしれませんが、やはり人工の器官は本物に比べると機能が完全じゃないのかな、と思うのでした。

 これからも精々歯磨きと歯周病予防に取り組んで、この歯には長く頑張ってほしいところです。


    ◆    ◆    ◆


 【ニューヨークタイムスより】


 さて、女優のアンジェリーナ・ジョリー(愛称アンジー)さんが、遺伝子検査の結果で乳がんリスクが高いということから、正常な両乳房の乳腺の摘出手術を受けた、というニュースが世界に衝撃を与えました。

 yahooニュース http://bit.ly/YM7KWC

 
 記事を読むと、アンジーのお母さんは乳癌でわずか56歳で亡くなっていたとのことで、アンジー自身の乳癌になるリスクが87%という診断を聞いて、手術を決断し、しかもそれを公表しました。

 公表した理由は、「世の中の女性の多くにもっと乳癌のリスクについて知り、乳房切除という手法があることを認識してほしいから」と述べています。

 立派な決断だ、という声も多い一方、同じニューヨークタイムスの健康に関するコラムでは、それ以外の様々な医師の声を紹介しながら、「予防的な乳房切除は、板挟みを浮き彫りにした」と評しています。

 それは、アンジーが診断されたBRACAと呼ばれる遺伝子の突然変異は極めて高いリスクのある事例であって、これに該当する人は極めて少ないということ。

 また、1970年代から80年代にかけての調査でも、発症してからの腫瘍摘出手術は十分に成果のあることだという結果が出ていると言います。

 また、BRACA遺伝子を持っている女性でも、年に一度の乳房X線検査とMRI診断、または半年に一度のX線検査で乳がん診断はかなり簡単になっています。

 ベドロシアン医師は、「今回のアンジーの決断を前向きに理解すると、女性たちはもっと家族の病歴に関心を持ってほしい、ということになるでしょう」と言っています。

 アンジーのケースは極めて特別なものだという理解を踏まえたうえで、なお、乳癌に対する世間の関心を引き寄せたという意味で、彼女の思いは果たされたというべきでしょう。


    ◆   ◆   


 しかし自分に照らしてみると、歯の一本でも、体の一部が失われるということにはかなりの喪失感があります。

 注目される強い女性像としてのアンジーの役者魂が、こっそり隠しても良い手術を公表させたとも言えそうです。

 セレブもつらいものですね。

 
 
【ニューヨークタイムスコラム"HEALTH"】
 『ジョリーの予防的乳房摘出は板挟みを浮き彫りにした』

 "Jolie’s Disclosure of Preventive Mastectomy Highlights Dilemma" 

http://nyti.ms/11HqISc 

 

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再び「巷論」で会いましょう

2013-05-15 22:34:43 | Weblog

 釧路時代に、ガールスカウト日本連盟の評議員になり、個人の資格で活動をしていたのですが、国の職員に戻ってもできるかどうかを確認していたところ、「個人の資格の範囲内なら構わない」という判断だとのこと。

 市役所の特別職というのは、何をやっても地元のためという確信があれば、実に自由に活動ができたのですが、国に戻るとそう簡単にはいきません。

 特に最近はコンプライアンス(法令順守)への指導は厳しいものがあるので、軽々しい行動は慎まなくてはなりません。

 元々評議員というのは、ガールスカウトの事務方ではないので、活動そのものを行うことはないのですが、ガールスカウト活動に関心を持つものとして、これからも休日や休暇を利用して適切な助言をしてゆきたいと思います。


    ◆   


 また、同じく伺いを立てていた、釧路新聞の「巷論」欄への投稿も可能ということでした。

 自分の発言が公共の場面で取り上げられる機会はそう多くありません。

 釧路では巷論欄に一か月に1~2度原稿を送るにあたって、釧路のことをどういう切り口で読んでもらうか考える良い機会になりました。

 また、文字数にして800字程度で起承転結を構成する良い練習にもなり、ブログとはまた違った緊張感がありました。

 ブログでも巷論でも、釣りでも蕎麦打ちでも、自分が一番精神と時間を費やすことが最も上達する分野なのだと思います。

 ある分野で上手になりたい、成長したいと思ったら、一番時間をかけること、これしかないのです。

 巷論欄は私にとっても貴重な情報伝達ツールですので、これからも釧路のために、そして自分自身のためにも活用させていただきたいと思います。

 そんなわけで、釧路を離れてからちょっと時間が経ちましたが、やっと本日原稿を釧路新聞のご担当者に送りました。

 釧路の皆さん、これからもときどき巷論欄でお会いすることになろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 

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情報は足とネットワークで稼げ

2013-05-14 23:45:53 | Weblog

 メールで連絡をくれた福岡の友人と電話で話しました。

 九州はもう連日暑い日が続いているとのことで、まだ朝夕の通勤時にコートが手放せない北海道との差を痛感しました。

「北海道はゴールデンウィークが連日雨で気温が低かったので、アウトドアレジャー施設は軒並み入込が減っていますよ」と言うと、「いやあ、こちらはその対極というか、連日調子が良かったですよ。こちらの施設も歴代二位の入れ込みなんて言うくらいです」といたって景気が良さそうです。

 やはり天気は季節に応じた感じが良いですし、暑くなれば人々の気持ちも明るくなり、暑くなったなりの消費も増えることでしょう。

 札幌はやっと桜が咲き始めたくらいで、お花見の気分になれるかどうか。やはり寒いというのは気持ちも沈みがちですね。


   ◆   ◆   ◆


 一方、東京にいる友人からは、ネットを通じて、「なんだか少しずつ仕掛けていたようなことが一気に動き出しそうな雰囲気が出てきました。アベノミクスの景気効果なのかもしれませんがね」という連絡が来ました。

「北海道にいるとどうも東京の動きにはついていけなくなりますね」と言うと、「東京にはいたはずの小松さんでも駄目ですか。やっぱり情報は近くにいないと入ってこないものですし、情報発信源の近くにいるというだけで入って来るものなんですね」と納得の様子。

 
 かつて、ある国家試験の採点に携わったことがありましたが、受験者の地域別で随分と成績に優劣があるのに気が付きました。

 やはり首都圏近郊からの受験者は良い回答で点数が高かったのに対して、北海道や九州が格段に成績が悪かったのです。

 これも試験に出るような時事ネタや最先端の課題に対する情報に接していられる環境ゆえなのかな、と強く感じたことを思い出しました。

 
 情報発信とは言いますが、首都圏や都会からは自分たちの身近な情報なんて黙っていても出てくるもので、そんなものでも地方にいるとなかなか入ってこないために取りにゆくのに必死の思いをしています。

 まして、情報過多のところへ分け入って、地方発の情報をねじ込もうというのは至難の業。

 そんなところで目立とうと思えば、どうしても「初めて」とか「これまでで最大の」などといった、形容詞が必要になり、大げさな言い方になってしまいます。

 素直な情報を素直に欲しい人に届けるためには、もっとネットを上手に使わないといけませんし、そんな現代でも、「情報は足とネットワークで取るもの」という真理は変わらないような気がします。

 さて、そろそろ北海道も暑くなってもらって、気分を盛り上げたいものです。

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魂の除雪

2013-05-13 22:59:35 | Weblog

 道内の国道を維持・除雪してくれている業者さんたちが参加する、北海道維持除雪管理ネットワーク協議会の総会ならびに懇親会があって、参加してきました。

 全道各地で夏は道路維持、冬は除雪に力を尽くしくれている皆さんが集まるというので、こういう場は現場の生の声を聞く絶好の機会というわけです。

 懇親会の冒頭で宗谷枝幸の安田会長から、今年の北海道は寒いという話の流れで、宗谷バスが5月2日に雪のため動けなくなって地域の公民館へ避難した事件があった、という話が紹介されました。

 地域の公民館では地元の女性たちが炊き出しをしてくれて事なきを得たそうですが、5月上旬に雪で遭難しかけるというのは、北海道の道を守るというのは実に大変なことだと改めて感じました。

 
 立食でいろいろな方と話ができましたが、その中の一人は、前回お会いした時に、私が話した「一見関係のなさそうな方たちの共感を得る努力が必要です」という話に感心したそうです。

「そうしたら先日丁度、地元のPTAの会合で話をする機会がありましてね」
「それは良かったですね、反応はいかがでしたか」

「はい、ちょうどPTA会長が、『最近通学路の除雪が遅いと感じているのですが、なぜでしょう』と振ってくれたんです。それで、(これはチャンスだ!)と思って、20分くらい、除雪機械の老朽化と降神の遅れについて話したんです」
「…そ、そうですか。それで反応の方は…?」

「…はい、ドン引きされました(苦笑)」
「やっぱり(笑)」


 私も、この会の皆さんの前で、「老朽化を世間の話題にしてください」と話しましたが、それはあくまでもこうした問題に基礎知識や問題意識がある人に対しての話し方でした。

 PTAに参加してくれているような、小さなお子さんの保護者となると、話し方や話す時間などに工夫が必要だったのでしょうね。

 まあ、人に分かりやすく伝えるためにはひたすら場数を重ねるしかないのですが、こういう地道な努力が始まったことは一つのエポックかもしれません。

 地道に地道に参りましょう。


   ◆   ◆ 

 
 別な業者さんは、「除雪隊が出発するときはなにか背筋が伸びる思いがしますよ」と言います。

「除雪隊の出発と言いますと?」 
「私が除雪隊の監督になっているものですから、シーズン初めての出発式の時に号令をかけるんです。グレーダーが何台か並んでいて、そこで私が『出発!』と声を発すると、一台また一台とブレードが地面に擦れて火花を発しながら、次々に公道へ出てゆくんです。そのときには『頼むぞー』という気持ちになって、何というんでしょう、背筋が伸びる感じがするんです」

 こういう現場に立ち会ってみたいものです。仕事に誇りを持って出発する人たちのドラマをもっと紹介してほしいものです。


   ◆   ◆   ◆


 さて、今日の深夜1時25分からNHKで、「地方発ドキュメンタリー」として、「日本一困難な除雪~知床横断道路 雪と戦う男たち~」が放映されます。

 生で見なくても、まずは録画しておかれてはいかがでしょうか。誰かがどこかで誇りを持って社会の秩序を保ってくれています。

 お勧めです。

 →http://bit.ly/12p2Tve

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管理釣り場で練習~恵庭の10Pounds

2013-05-12 18:42:58 | Weblog

 恵庭市の奥にある管理釣り場「10Pounds(テンパウンズ)」へ行ってきました。

 昨日の雨も上がって、週末としては久々にお天道様も出ていたので行く気になりました。

 札幌へ戻ってきてからこちらへ行くのは初めてで、ラインの結び方やキャストなども下手をすると忘れかけているので、練習の気持ちです。

 こちらを管理している佐藤佳夫さんとはフェイスブック仲間で、昨日「魚の調子はどうですか?」と訊いてみたところ、「魚はかなり食うようになってきたけれど、寒くて参っています」とのこと。

 現地の様子をすぐに知ることができるのは嬉しいですね。

 
   ◆   ◆   ◆


 家から高速を乗り継いで車を走らせると、10Poundsまでは距離にして40キロ弱、ドア・ツー・ドアで時間は50分弱で着くことができました。案外近いものです。

「そろそろ虫が出始めていますから大丈夫ですよ」と言われたものの、どんなフライが当たるかはいろいろと試してみないといけません。

 着いてすぐに、投げてみるとすぐに二匹釣れました。体長は40センチくらいなので、そこそこの大きさのニジマスです。

 フライを喉の奥まで飲み込んでしまっていて、取るのに苦労しました。


 最初は調子が良かったのですが、そこからどうも調子が上がりません。

 風も出てきて、風向きを考えないとなかなか思うようなところへも落とせないのはつらいところです。

 最後は沈むタイプで引っ張ってみましたが、これでちょっと復活し、45センチクラスが一匹来ましたが、今日はこれで打ち止め。

 周りでは、釣る人はバンバン釣り上げていて楽しそうです。

 まだまだ修行が足りませんが、頭の中を空っぽにして自然の中で鳥の声を聴きながら一心に魚を追っている、というのは楽しい時間でした。

 道具の手入れとフライ作りを進めながら捲土重来を図りましょう。

 次の釣りはいつかなあ。 

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