富士山が世界文化遺産になるという報道が日本中を駆け巡りました。
以前は世界自然遺産で登録を目指しながらそれは叶わず、文化遺産で再チャレンジし、ついに登録を勝ち取ったとのこと。関係者の努力に敬意を表したいと思います。
世界にはもちろん、畏敬と信仰の対象となった山は数多いと思いますが、富士山はそんな中でも特に日本人に愛された山です。
北海道にいると、その信仰の強さがよくわからないのですが、かつての江戸には、江戸時代に盛んになった富士講に由来する富士塚が実に多くあります。
富士講とは、地域社会や村落共同体を代表する何人かが皆で積み立てたお金を使って皆の代わりに富士登山をしてお参りをするというものです。
その際に富士山の岩を持ち帰って、富士山に見立てた築山を作るのですが、これが富士塚と呼ばれるもので、東京では今でも多くの神社の境内に見られます。
【豊島長崎神社の富士塚】
【駒込富士神社の富士塚 その1】
【同上 なかなか不思議な雰囲気です】
【同上 いまでも見学者は大勢います】
富士信仰は一応コノハヤサクヤヒメをご祭神と仰ぐ、浅間神社を祀る関係から、神道系列に属するのですが、変わり種は護国寺にある富士塚。
お寺の中に神社があって、神仏習合時代を思わせる、まあ大らかな信仰の姿です。
東京にいた時は、毎週末に自転車で都内を駆け巡りましたが、富士塚はまち巡りの興味深い対象の一つでした。
懐かしいですね。
【護国寺にある富士塚】
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さて、富士塚で面白い話は、蝦夷地の北方の島々を探検した近藤重蔵のお話です。
近藤重蔵は、最上徳内と共に北方四島を探検して、択捉島の岬に「大日本恵登呂府」という標柱を建てて帰ってきましたが、これが日本人による北方四島開拓の歴史として、これらの島々が日本に帰属する根拠の一つとされています。
彼は目黒に家を構えていましたが、邸宅の中に富士塚を作りました。
目黒川の北側の段丘は高みから富士山を眺めるのに最適な場所の一つです。
目黒にはそれまでも富士塚があったのですが、重蔵の富士塚は庶民から新富士と言われて人気を集め、以前の富士塚は元富士と呼ばれるようになりました。
【目黒区の地域案内看板】
江戸時代の浮世絵師歌川広重も、名所江戸百景として目黒新富士を描いた作品を残しています。
安倍総理がロシアのプーチン大統領と北方領土問題の解決に向けた対話を始めるとした直後に富士山が世界自然遺産となるニュースが伝わりました。
これらをつなぐのが近藤重蔵という人物で蝦夷地所縁の武士でした。
北方領土問題もなんとか解決して、富士浅間神社のご祭神コノハナサクヤヒメにあやかって、大輪の花を咲かせると良いですね。
【歌川広重「名所江戸百景」より『目黒新富士』】
→ http://bit.ly/102XmWG