不思議に今日は釧路からの訪問が多かった一日でした。
一人目は商工会議所の方、二人目は大学、そして三人目は市役所の方。皆さん、私が市役所にいた間、いろいろな形で助けてくださった方たちばかりです。
私からは、今の機械課での仕事を紹介ましたが、そのうえでの現下の悩みは、除雪機械の老朽化問題。
これを話している中で、面白かったのは「問題の中心にいる人がいくら話しても、私利私欲と思われてしまって、本当に大切なことが伝わりにくい」ということでした。
つまり、最前線で除雪事業を担う事業者さんたちが、いくら機械の老朽化問題を訴えても、「それは事業者さんたちが楽をしたり儲けたいから言っているのではないか」と思われるのではないか、ということ。
課題に最も最前線で接しているからこそわかることですが、業者さんという立場ゆえに、悲しいことながら、仕事や儲けということと一緒に見られてしまうという宿命を背負っています。
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釧路市では公有資産マネジメントという形で、様々な施設の建物そのものの老朽化度合いや利用のされ方などを客観的な指標で表して、これからのあり方を議論するうえでの参考にしようとしていますが、これからは課題を市民議論にしてゆく必要があります。
様々な検討のうえで今後、「こうしましょう」という提案を市側からすることになるのかもしれませんが、その場合に、「市の都合なのではないか」と思われてしまわないでしょうか。
これもまた客観性をいかに表すかがカギになるでしょう。
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私の愛読する「言志四録」には、こういう一節があります。
私欲はあるべからず。公欲はなかるべからず。
公欲なければ、すなわち人を恕する能わず。
私欲あれば、すなわち物を仁する能わず。
(言志録221)
この意味は、「私欲はあってはいけないし、公欲はなければならない。こうよくがなければ、他人に対して思いやりを施すことができない。また、私欲があれば、他人に対して慈悲の心を起こして物品などの恵みを与えることができない」というもの。
私欲という単語はよく聞きますが、公欲という単語もあるのです。
公欲とは、国家や社会を利する欲ということですが、公務員ならずとも持っていたい気持ちだと思います。
深く味わいたい言葉です。