北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北海道には屋内施設を

2016-06-19 23:44:44 | Weblog

 

 孫の通う幼稚園の運動会がありました。

 なにしろ初めて参加するので、雨が降ったらどうなるのかや席取りはどんなことになるのかなどの様子がよくわかりません。

 娘に訊いたところ、「農試公園の屋内施設でやるから雨でも中止はしないし、席は抽選で決まっているからね」とのこと。

 農試公園のツインキャップは屋内施設ですが床は木の体育館のようではなく土でできています。土の広場に屋根がかかったもので、冬でも夏と同じような土の上の活動ができるのです。

 これが子供たちの運動会として使われるということは少子高齢化対策にいくばくかの寄与貢献があることでしょう。都市公園は地域社会に役立ってますな。

 
 孫は三歳で年少組。まだ集団生活は始まったばかりでどこまで慣れたのかと不安でした。会場で同じ組の子たちが揃う控えのコーナーでは親から離されてビービー泣いている子もいましたが、まあなんとかちんまりとしゃがんで待っていることができていました。

 来年からは小学生という年長組ともなると、複雑な太鼓演奏や旗を持った運動なども集団で立派にやりとげています。こんなちび助たちを相手にしてこれだけの集団行動を果たすとは立派です。教育とはこういうことの積み重ねなんでしょうね。

 私も6歳の時に保育所の運動会で輪の中心で大太鼓をたたいたことをいまでも覚えています。子供たちもこういうイベントの思い出を大事にしてほしいですね。

 これが我が国の未来を支える子供たちの姿です。じじばばでもこれからできることでもっとお手伝いをしたいですね。

 

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支笏湖畔で食べ物自慢

2016-06-18 23:45:45 | Weblog

 六月のこの週末は、釣りを中心とした"GGアミーゴ"という仲間によるキャンプが行われます。

 今年は支笏湖畔西岸の美笛キャンプ場で開催しましたが、昨日までの雨が降って寒い天気が回復して晴れ間も見える絶好の週末になりました。

 恵庭だけに風不死岳、樽前が見えてきて最高の景色。キャンプ場は家族連れで大変な混雑ぶり。で、みんな外に出たくてうずうずしていたんでしょうねえ。

 

 我々のキャンプスタイルは会費が一人500円で、あとは自分たちが食べたいもの、食べさせたいものを持ち寄って交流を深めるというものです。

 皆自慢の料理や調達できる素材を存分に持ってきてこれがまた普段は目にしないようなものばかりで大きな楽しみです。

 会場ではすでにコーヒー屋のマスターになりきってコーヒーサービスをする知人あり。 

 今日はわが家からは豊富町川島旅館製造の"バターフィールド"とクラッカーのおつまみが人気。知人はダッチオーブンに下ごしらえをして持ち込んだジャンバラヤをもってきたのですが、これが辛くて旨い。

 

 本場のジャンバラヤを食べたことがあるという友人も「この味は本格ですね。ケイジャンシーズニングが効いてるわ~」と感動。見た目も美しくて、料理は勉強しておくべき大人の教養だな、と再認識しました。

 余市から参加している友人は海産物をたくさん持ち込んできましたが、なかでも「Hガニがうまいよ」とのこと。

「Hガニ?」「そう、甲羅の真ん中にHの文字が浮かび上がってるの」「ほんとだ」

 正式な名称はヒラツメガニと言うそうですが、大きな鍋にグラグラとお湯を沸かして塩を入れこれで茹でると、茶色い甲羅が見る見るうちに赤くなってゆきます。食べるところは決して多くないけれど、パスタに入れるといいかも。


 
 自宅で蕎麦を打ってきて持ち込んできた人もいて、茹でるのは私もお手伝い。いやあ人を喜ばせようという人たちが集まると面白いですね。

 残念ながら今日は夜でお別れし、泊まることなく自宅へ戻ってきました。明日の釣り大会も参加できずちょっと残念。

 野遊びの達人たちと楽しい時間でした。

 

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演説じゃないんだ、独り言なんだ

2016-06-17 23:45:45 | Weblog

 新しい職場では立場上いろいろな会合に声がかかります。

 今日参加した集いにはなんと麻生太郎副総理兼財務大臣が来られて、「これからの日本」という演壇で三十分ほどの講演をされました。

 テレビでマスコミを相手にしているときわ強面の麻生副総理ですが、こうした地方で聴衆を前にするときはにこやかでジョークも交えて会場を沸かせます。

 今日の講演では現政権の経済政策についてと見通しが語られました。
「数字でいうとこの3年で間違いなく企業は儲かった。だって法人税は15兆円増えたんです。企業の内部留保も50兆円増えました。しかし設備投資には5兆円しか使っていないし、給料は5千億円しか増えていない。企業のみなさんはお金を貯めてどうするつもりなんですかね。『政府は今後どうするんだ』ってよく訊かれるけど、この点はこっちが訊いてみたいですね。経営者のみなさん、本当にどうするの?」

 会場からは笑いが出ましたが、まさにここが現下の大きな問題の一つでしょう。人口が減少して経済が縮むと皆身を小さくして内向き志向になっていやしないのか。しかしそうはいっても、投資をして儲かるという見込みのある分野や産業はなんなのかがなかなか見えないというジレンマです。

 麻生節は続きます。「かつて繁栄を誇った国はイギリスでもアメリカでも世界のお金を集めてそれを世界中に貸して利子で設けている。いわゆる債権国というやつだ。日本も借金が多いというけれど、借金をしているのは日本政府であり、お金を貸している人は国民ですよ。国民は政府に金を貸している債権者だ。しかも借りているのは自国の通貨。自国の通貨で借りているのは日米英仏の四か国だけなんですから」


「そして格付け会社なんてものを作って、世界中に貸し付けるシステムを作ったのがアメリカだし、格付け会社の一番手がリーマンブラザーズだったんだからいいかげんなもんだ。リーマンショックで世界中の銀行は手痛い目にあったけど日本は被害を受けなかった。勘が良かったというより英語が読めなかったんじゃないかな(会場爆笑)」

「でも日本も世界中にお金を貸して債権国として利子で儲ける国で行くのだろうか。僕はそうは思わない。悠久の昔から一粒の米を植え苗を育て米粒を増やして国づくりをしてきたのが日本なんだ。世界に冠たる技術を駆使して、未来を変えるモノづくりで世界に貢献できるのが日本だ。俺たちは職人だ、という気概を持とうよ。あとはドイツくらいしかそんな国はないんじゃないか」

「だから企業のみなさん、お金なんて眺めるもんじゃないんだからどうやって何に使うかを、お願いだから真剣に考えてくださいよ」


           ◆   


 さまざまな最新の技術開発のエピソードなども交えながら、あっという間の30分。

 思ったことは、(これは演説じゃないんだ。たとえば麻生さんが普段考えていることを独り言として言っているんじゃないか。皆説得されようとしているんじゃなくて、麻生さんの独り言を聞かされて、『あ、なるほど』と思っているだけなんだ)ということ。

 やはり手練れの政治家というのは聴衆の心をつかむのが上手ですね。何を話したから人気が出るんじゃないんだな。人気があるから話を聞いてくれるんです。

 人気を失った知事との違いはそういうところにある。勉強になりました。

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仕事の基本は「的確な伝達にあり」を思い知る

2016-06-16 23:24:57 | Weblog

 

 新しい職場での仕事も少しずつペースを作りつつあります。

 スタッフや部下がたくさんいるわけではなく、それぞれが持ち分をこなして日々の、月々の仕事をこなしているのが実際の姿。公務員時代と違って、多くの部下の人たちが資料整理や作業をしてくれるわけではありません。

 今は舗装事業協会の事務局ということで、会員企業に対して情報提供をしたり逆に会員各社に対する情報提供のお願いもしなくてはなりません。

 それに今は、単純な作業だけではなく、「今後どうあるべきか」という方向性まで考えて、関係者に調整のうえ作業に移るという意味では、係長に課長補佐と課長が加わったような感じ。

 とにかくなんでも自分で発案して調整して指示・連絡をし、最終のペーパーまで作成するという日々の連続。緊張してアドレナリンが出てきますが、しかし人に任せずにすべて自分の思い通りにやれるというメリットも。まあ自分の手を動かす量が格段に増えました。(笑)

 
          ◆  


 
 さて今日も札幌市内にある会員企業を相手に、一斉メールで情報提供をお願いするという案件がありました。お願いするや否や、すぐにメールで答えを返してくれるところもありましたが、「先ほどのご依頼ですが、そちらへ返信の様式や決まった書式はありますか」という問い合わせの電話が数件ありました。

 情報提供の内容は、ある会合に「出席される方の名前を教えてください」というもので、こちらとしては参加者の名前を簡単にベタ打ちのメールで返してくれさえすればよい、というイメージでした。

 ところが問い合わせの内容の多くは「名前を送りたいのですが、書き込む用紙が送られてきていません」というもの。

 なんのことはない、送付した一斉メールに「お名前をベタ打ちで結構ですのでメールで送ってください」と一言添えさえすれば良かったのに、それを伝えなかったために何本もの電話を受ける羽目になったというわけ。

 そういえば係長の時にも、「作業をお願いするときは、答えのイメージができるだけわかりやすくして伝えることで相手の作業も軽減されるし、こちらの作業も軽減される」という経験があったことを思い出しました。お願いの仕方の腕がなまったかな。

 「何とか理解してやってくれるだろう」という安易な思い込みは相手に理解されないものです。

 あらかじめ時間をかけて答えやすい回答様式をしっかり作りそれを埋めるだけにしてもらうなど、欲しい内容を的確に伝達するということを大切に考えることが結局作業の効率化と時間短縮につながります。

 仕事の基本的なポイントを改めて思い知ってなんだか懐かしく感じています。気持ちが若くなるなあ(笑)

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まちなかの静寂空間

2016-06-15 23:55:06 | Weblog

 

 新しく勤めている舗装事業協会のオフィスは札幌市のほぼ中心部にあります。

 お土産屋さんやら飲食店が多く外国人もたくさん歩いている狸小路からもほど近くとっても賑やかな場所で、今は市内を練り歩く北海道神宮例大祭の練り歩きの音が響いています。

「新しい場所へ行ったら地域の神社、お宮さんへ挨拶に行きなさい」と、そう教えてくれたのはかつての職場の上司でした。

 その意味は、公共事業や建設業に携わるものとして持つべき心構えだと彼は言いました。

「公務員といえども我々のやっていることは、人間のためとは言いながら、建設事業を通じて木を伐り土を掘り、そこにいる生き物の住処や命を奪うことになる因果なものだ。だから『申し訳ありませんが、そんな仕事をさせていただきます』という挨拶をしに地域を見守ってくれているお宮さんへ行くんだ」

 その言葉はじんわりと効いてきて、やがて「神社とは何か」「神道とは何か」ということを勉強するようになり、勉強すればするほど、その風土からくるわが国の背景や日本人のものの考え方などがますますよくわかり、日常に根差している実に興味深い精神世界がそこにあります。

 
 たとえば神道では「禊(みそぎ」)と「祓い(はらい)」がとても大切ですが、禊は水を使って罪穢れ(=清潔さ)を取り戻し、祓いは箒で掃くことによって清潔さを取り戻す行為。これって日常の中の洗濯と掃除ではありませんか。

 日常の身の回りを清潔にすることは神様に通じる行為なんだと思えれば、それらはおろそかにはできませんね。

「お天道様が見ているよ」と言われたら嘘をついたり良心に恥じる行為ができないという日本人は多いはず。それが日本人の精神構造なのです。


             ◆ 


 そんなわけで、新しい職場に来ることになった機会に先日、職場の近くにある三吉神社さんへお参りに行ってきました。

 ここは札幌の電車通りに面した神社で、周りはビルですがここだけは静寂の空間。ご由緒は明治11年に秋田県の太平山三吉神社の分霊を祀ったのが始まりなんだそう。

 お願いというよりもまずはご挨拶ですが、すがすがしい気持ちになりました。

 良い仕事ができるよう頑張っていきたいと思います。


 
 

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「連綿と」…でいいのかな?

2016-06-14 22:50:25 | Weblog

 

 舛添東京都知事の進退が風雲急を告げてきました。

 政治資金の使い道に関して「公私混同が過ぎる」という批判に対してしっかりした説明で都民を納得させることができるのどうか。

 都議会総務委­員会は13日、舛添氏に出席を求め、集中審議を行いましたが、この中で舛添氏は、共産党が14日に不信任決議案を提出する方針であることなどを踏まえ、「少しの猶予をいただきたい」と述べ、辞職を考慮していることを示唆した、と一部のマスコミは報じました。

【舛添氏が辞職考慮=「連綿とせず」五輪後に判断】
 https://www.youtube.com/watch?v=Eq9LmXQ8hwU

 「もし私に対する不信任案が可決された場合には、法律上は私が辞任するかないしは議会を解散するか、という選択を迫られます。そうしますといずれにいたしましても選挙ということになる。この選挙の時期がどうしてもリオのオリンピック・パラリンピックの時期と重なります」

「(リオ五輪の時期に時期開催都市の)東京が選挙をするということは、国家的事業である2020年オリンピックにとって極めてマイナスだ。それは私が知事の座に連綿としてしがみつくということではございません。(3分45秒あたり)」


 この舛添都知事の最後の発言を聞いていて気になったのは「連綿として」という表現の部分です。確かに舛添知事は「れんめんとして」と言っています。

 しかし辞書を引くと「連綿として=途絶えずに長く続くさま」とあり、例文として「連綿として続く文章」が示されています。

 意味としては「いつまでもずっと知事の座にしがみつく」ということなのかな、と思いつつ、ここは「恋々(れんれん)として」の言い間違いではないのかなあ、と思った次第。

 「恋々と=未練の気持ちが強く,思いきれないさま」とあり、例文として「その地位に恋々としてすがりつく」という表現が示されています。文脈からするとどうもこちらの方がしっくりくると思うのは私だけでしょうか。

 発言の意図はご本人しかわかりませんが、私としては「恋々として」と言ってくれた方が格調が高くなったような気がします。日本語って難しい…。

 

 

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一本の糸で姿勢をよくする方法

2016-06-13 23:25:20 | Weblog

 

 釧路にいたときには知人に恵まれて馬に乗る機会が多くありました。

(これもまた他にはない、釧路らしいアクティビティだな)と思い、できるだけ馬に乗ってみようと思ったものです。

 なんといっても、動物園のある山花公園では格安で乗馬のレッスンを受けることができ、東京の友人からは「そんなに安く馬に乗れるんだったらどうしてみんな乗馬をしないの!?信じられない!」とうらやましがられたものです。

 まあ不真面目な生徒としては、結局それほど上手にはならないままで終わってしまったのですが、印象的だったのは馬に乗ったときにインストラクターの方から、「姿勢は頭のてっぺんに糸が付いていて上からつるされているような気持ちで乗ることです」と言われたこと。

 「上から糸でつるされているような姿勢」というのはとても印象的な表現で、頭を背骨の真上に置くように意識すると自然と背筋が伸びていきます。胸を張るようになり猫背も矯正されるでしょう。

 スポーツの基本は姿勢にあるのです。


             ◆


 姿勢をよくしようという意識が強くなると、椅子に座るときでも疲れたように力なく背もたれに背中をつけることもなくなります。
 
 そしてそんな姿勢を一番印象的に見せてくれるのは、夜にお酒のお相手をしてくれる女性たちではないでしょうか。

 彼女たちはどうやったらきれいに見えるかをしっかりとトレーニングされていて、ちょっとくらい飲んだり、こちらの話で笑ってくれていても、基本的に姿勢が崩れるということはありません。

 たとえ美人でも姿勢が悪いとそれだけで幻滅です。逆に美人でなくても良い姿勢できちんと接してくれるとすがすがしくてとっても気持ちが良くなります。あまり飲み歩かない私ですが、そういう機会に相手をしてくれる彼女たちの姿勢の美しさにはいつも感心をするのです。

 『姿勢を正す』なんて、意識してトレーニングすれば誰でもできるはずなのですが、そういうことを家庭でも職場でも学校でも地域社会でも、上の人が指摘したり注意をしなくなってしまいました。

 思い出した時だけでも、一本の糸で吊り下げられている気持ちになってみてはいかがでしょうか。

 タイトルの「一本の糸で姿勢をよくする方法」というのは「吊るされていると思うこと」でした。

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良い仕事ぶりの見分け方

2016-06-12 23:57:09 | Weblog

 

 札幌は今日も気温が上がらず風の強い一日。二階のベランダで今年から始めたコンテナ野菜栽培のミニトマトが折れそうです。


 壁の点検をお願いしていた業者の社長さんが、足場が組みあがったところで見に来てくれて立ち話。

「久しぶりに職人さんの仕事というのを見せてもらって、細かいところまで丁寧にやるなあ、と思いました」と私が言うと社長は、「そうかい、足場がちゃんと組まれないとそこから先の仕事の効率が悪くなるからね。なんでも仕事の基本は足場さ」

「よくわかります。見ていて、ちょっと斜めに足場を掛けなくちゃいけなくて、部材が規格通りにカチッとはまらないところは針金で固定していました。それくらいはいいだろうと思ったけど、やっぱりそれが危険の元ですもんね」
「そうですよ。それに足場が悪くて次の仕事の職人がケガしたとなると、責任は足場を組んだ業者が問われることになります。建設の仕事って分業で、ここまではこの業者、そこから先は次の業者って受け渡されていきますから、責任の範囲も明確なんです」

「なるほど」
「それにね、最近は労働基準監督署もこんな個人宅の現場まで抜き打ちで見に来ることがあるんです。昔だったら大きな現場しか来なかったんだけれども、今は小さな現場でも来て、何か不手際があれば呼び出されて怒られる。何より事故なんて起こそうもんなら何度も呼び出されて事情聴取されたり資料提出をさせられたりで仕事にならなくなっちゃいます。変に手を抜かないのが一番なのさ」

「作業を見ていて、そういう姿勢がとても感じられました。何を聞いてもちゃんと答えてくれましたしね」

       ◆

 良い仕事をする人とそうでない人の区別の仕方っていろいろあると思うのですが、私は見ていてわからないことについて、話しかけて訊いてみます。

 そのときに「それはこういうことなんです」とちゃんと受け答えをしてくれる人に対して、しっかりしているという印象を強く感じます。

 良い仕事とは何かについて自分が考えていることをちゃんと話してくれた方が絶対お互いに良い関係ができるのに、(素人が俺に話しかけるな)というネガティブなオーラを出している人もたまにいますが、損をしているなあと思います。

「女は愛敬、男は度胸、坊さんお経でお猿はらっきょう」なんて言いますが、女も男も愛敬一つで印象は変わります。

 良い仕事ぶりはちゃんと伝えられるようにしたいものです。
 

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職人技の源はあのときにあったのか

2016-06-11 23:45:09 | Weblog

 

 わが家の壁面に痛みが見つかって業者さんと相談したところ、「一度ちゃんと点検した方がよい」ということになり、南面と西面に仮設の足場を組んでもらいました。

 業者さんはトラックに足場資材を山ほど積んで朝一番にやってきて、足場を組む真下の位置に資材を置くとどんどん組み始めます。

 こうした作業足場、昔はカラマツ林の間伐材でしたが今ではスチール製の規格品で組まれます。手際の良さはさすがのプロですが、これも規格品による作業の効率化が見て取れます。

 足場の部材は昔の尺が単位で、二尺(=約60センチ)、三尺(=約90センチ)、六尺=一間(=約1.8メートル)の部品があり、曲がり方や細かな壁の凹凸に合わせてこれらを組み合わせて壁近くで作業ができるように設置されていきます。

 こういう足場は縦と横の部材だけで組むとゆらゆら揺れて危ないので、そのために筋交い(=ブレース)と呼ばれる斜め方向に支える部材を使います。

 これをちゃんと定められた接合部に差し込んで金づちでカンと締めるともうしっかり固定されるのですが、これを数か所に入れることで揺れが治まってしっかりした足場が出来上がってゆきます。まあ見事なものですなあ。

          ◆ 

 職人さんの作業は無駄がなくて、下から部材を上げる人、中間でもらって作業する中継する人、それらを次々に組み立てて固定してゆく人。三人の息もぴったりで見ていてすがすがしくいものです。

 するすると足場を上下したり部材を投げ上げてこれをキャッチする、という体のさばき方なんてまるで小学生の時に学校や放課後に鉄棒や公園で遊んでいた動作のよう。決して大人のやるスポーツではなくて、臨機応変に体が反応する運動神経と筋力とスタミナなんだなあ。

 運動神経や運動能力って小学校の時に培われて成長とともに筋力やスタミナが備わってきますが、大人になってから使える体にとって基本的な動きや感覚は子供の時の遊びに全て入っていたんだな、と作業を眺めながら幼い時を思い出していました。

 我々の世代って、子供の時には本当にランドセルを放り投げて遊びに行ったもんだと思うのですが、翻って、今の子供たちは大人になるための準備として、体を使って汗をかいてちゃんとまじめに遊んでいるのでしょうか。

 特定のスポーツに専心するのも良いけれど、多様な遊びの中から総合的に培われる基礎的な体って大事なんですね。

 社会は健全な肉体に支えられている。ちょっと心配になってきました。

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ラベンダーのドライフラワーの思い出

2016-06-10 23:57:28 | Weblog

 

 夜の会合の後で会場のホテルを出ると、品のよさそうな年配のご婦人がニコニコしながら話しかけてきました。

「あのう、○○ホテルはどこでしょうか?」

 地図を持っているものの、あまり聞いたことのないホテル名。最近は新しいホテルがどんどん建っているので札幌市民の私でもよくわかりません。しかしそんなときの武器はスマホです。

「はいはいー、ちょっと待ってくださいね。ええっと…○○ホテル…と」
 地図アプリで目的のホテルの名前を入れるとそれは確かにすぐ近くにあるはず。ただビルの陰に隠れていて見えないだけのよう。

 ほんの1~2分で着くところにあるはずのホテルは、東西南北さえ間違えなければたいがいわかります。

 あとは家に帰るだけなのでそのご婦人を、ナビの示すところまで一緒に連れて行ってあげました。

「なんだこの建物か」 ときどき前を通っているのに、建物の横に入口のあるビジネスホテルだと実にわかりにくいものです。

「ありがとうございました」「いえいえ、どういたしまして」


 つい最近も市内を歩いていたら若い女性の二人連れが大通公園の近くでスマホを見ながらウロウロしています。

(どれどれ)と思って声をかけたところ、どうやら相手は台湾の女の子だったよう。大通の住所のビルに行きたいようでしたが、札幌の大通りは大通公園の北も南も同じく"大通西○丁目"なのでわかりにくかったのです。

 幸い知っているビルだったので、「このグリーンベルトを渡って左側にあるよ」とカタコトの英語で教えてあげたら喜んで、ずいぶんお礼を言ってくれました。 


          ◆ 


 相当前ですが、明らかに外国から来たと思われる海外からの家族客がやはり道に迷っていました。

「どうしましたか?」と近寄ると、「郊外のホテルにゆくためにバスがでるのだけれど、時計台近くにあるはずのバス停がわからない」ということのようでした。やはり台湾の家族連れで、ホテルからの説明がわかりにくかったのです。

 その地図は私が見てもわかりにくかったので、そのホテルに電話をしてバス停の位置を確認してそこまで連れて行ってあげました。

 ホテルへのバスは30分に一度しか来ないというものでしたが、「あと20分くらい待つとバスが来るはずだからここで待っていなさいね」と伝え、「どうしてもだめだったら私の携帯に電話をちょうだい」と携帯番号を教えましたがなにも言ってこなかったのできっとうまくホテルに着いたことでしょう。

 「それでは」と別れようとしたところ、そのファミリーのお母さんとおぼしき女性が「お礼に」と言ってラベンダーのドライフラワーをくれました。「結構ですよ」と固辞したのですが「どうしても」と言ってきかないので、いただいてきました。

 今でもそのドライフラワーはわが家の部屋の片隅に飾ってあって、それを見るたびに、道に迷っている人がいたら案内をしてあげようという気持ちが強まるのです。

 そのまちの案内は市民一人ひとりがなれるもの。それがきっとおもてなしなんだと思います。

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