北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「パッチワークのみち」ってどこですか?

2016-06-09 23:45:45 | Weblog

 

 ある会合の懇親会で知人に会いました。

「今は舗装事業の協会で働いています」と言うと、「あ、そうですか、最近は道路の状況が悪いもんね。頑張ってください」と激励されました。

「そんなに道路がひどいなんて感じますか?」と聞くと、「ええ、今もだいぶ傷んでるなと思いますが、数年前それが大きな社会問題になって、そのときにずいぶん補修をしたと聞きましたよ」としっかり覚えておられました。

 そして、「あ、そうだそうだ、そのときに面白い話をカミさんとしたんですよ」とちょっと苦笑い。
「え、なんです?」

「いやね、小松さん、美瑛には行ったことがありますか?」
「ええ、何度も」

「じゃあケンとメリーの木も知ってます?」
「初期のスカイラインのコマーシャルですよね。懐かしいです」

「あのあたりをドライブすると、遠景に十勝岳連邦が見えて、手前には麦や野菜などを植えていてまるで日本じゃなくてヨーロッパの田園地帯にいるような美しい風景が広がっていますよね」
「はい」

「あれって畑作地帯なので連作障害を防ぐために毎年植える作物を変えるんですね。だから今年の風景と昨年の風景は違うものだし来年の風景もまた違う。そんな作物独特のいろどりが茶色だったり緑だったり緑でも色味の違うような緑でなんともカラフルな区画がいくつも組み合わさっています。いろいろな色味の違いが組み合わさっているので"パッチワークの路"とか"パッチワークの丘"とか名づけられて有名な観光スポットになっている」
「目に浮かびますよ」

「フフッ…それを前提にしてくださいね。その昔妻とドライブに行ったときのことですが、途中の道路がとても傷んでいて、穴を塞いでいるんでしょうね、何か所もアスファルトの合材で修繕している跡がありまして。妻がそれを見て、『あなた、これこそパッチワークの道なんじゃないの!』って言って、二人で大笑いをしたことがあったのを思い出しちゃいました」

「修繕跡だらけのパッチワークの道ですか!それはちょっといただけませんねえ」
「北海道はこれから観光と農業で行くんだ、って誰かが言っていましたが、それでは観光客の人たちのおもてなしになるかなあ、って心配です。そんなわけで、小松さん、頑張ってくださいね」


 ずいぶん強烈な皮肉を言われてしまいました。インフラのメンテナンスのための先立つ予算も少ない中で何ができるでしょうか。まずは現実を見つめてみます。

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農業には有望な若者が入ってるってよ

2016-06-08 23:39:26 | Weblog

 ここのところ、建設業界人が集まると「建設業界に若い人が入ってこない」ということが話題になります。

 若者人口が減る中で、最盛期には休日がとりにくいとか、屋外で働くことが辛いなどといった理由でこの世界に入ってくれる人がなかなか増えてはくれません。

 建設業は新しい施設を作るだけではなく、これまで作ってきた資産を維持管理するということも担っています。

 生き物のように神様が作ったものはケガをしても独りでに治りますが、人間が作ったものは独りでには治りません。

 人間が作ったものは人間がコツコツと修繕し続けるしかなく、その修復がおろそかになり、しかも修復をする力がどうも衰えてゆくというのは将来への不安が増すばかりです。


          ◆ 


 先日ある建設会社の社長さんと話をしていて、やはりそんなことが話題になりました。

 私が「農業も建設業も、労働集約型の産業は担い手や労働力の確保が大変になりますね」と言うと、その社長さんは「建設業は確かに大変なんですが、農業の特に畑作などは農家の子供さんが後を継いだり新しい人が入ってきたりでわりと困っていないという話を聞きました」とおっしゃいます。

「へ?農業も大変なんじゃないんですか?」
「それがね、農業って今は大型のトラクターなどの農業機械がどんどん充実しているじゃないですか。もちろん投資も大きなものになりますが、機械がありさえすれば大概のことが楽にできる作業環境になっているんだと。そしてそんな機械だとかコンピューターだ、情報だということになるともっぱら若い人の方が得意分野で、若者の能力を生かせるのが今日の農業みたいですよ」

 若者の得意な機械やITを産業の中にしっかりと取り込んで効率的な作業が果たせるのが今や農業ということのよう。

 二~三年後には日本列島上空の準天頂衛星システムがいよいよ充実してGPSによる位置計測の精度が格段にあがる予定です。

 そうなると農業での自動作業や自動車の自動運転など夢の技術がどんどん現実化してきそう。イノベーションが人口減少を救うことになるでしょうか。

 建設業界も効率化と魅力的産業としての受け皿づくりを進めなくてはいけません。

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稚内の情報は面白かったよ

2016-06-07 23:53:34 | Weblog

 新しい仕事について札幌市内の各所であいさつ回りをしていると、「やあどうも、稚内におられたときはブログを見ていましたよ」と言ってくださる方がいます。

(じゃあ札幌に戻ってきてからは見てくれていないんですね)などと皮肉を言う私ではないのでニッコリ笑って「それはありがとうございます」とお礼を言う私。

 しかしそこで気が付いたのは「稚内での記事にはニーズがあった」ということ。やはり稚内という最果ての地の現場からの情報は数が少なく、しかもあまり知り合いもいないのでしょう。

 たとえ稚内の記事があっても知らない人の記事だとあまり共有感が出ないのに対して、少しでも知っている人からの情報だと「あの人はどうしているかな」という気になるらしい。

 "知り合いでいる"ということは情報が伝わるある種のインフラになっています。

 新しい繋がりを生み出すのはいつでも「交流すること」。小さな地域にとどまっているのでは知り合いの輪を広げるのは難しいことです。

 だから転勤族のように半分強制的に交流する人生を歩んでいる人をうまく使えれば、友人関係を譲ってもらうこともできるでしょう。またそもそも転勤族は自分の友達資産を生かして、地域からの情報を発信すべきなのです。

 フェイスブックの「いいね」だって、細いながら繋がりを確認しながら情報が伝わっていくツールの一つ。「いいね」が欲しければ「いいね」を打つことです。

 
          ◆ 


 新しい職場で付き合いのある会社の営業マンが挨拶にきて、「実は私、少し前に釧路にいて小松さんがらみの仕事をしたんです」と話してくれました。
「実はフェイスブックで友達にもなっているんですよ」
「えー?ちょっと待ってください…あれ、本当だ!」

 "友達"になっていても気が付かないこともありますが、わずかな繋がりが後々生きてくるということってあるものなんですね。しかも彼のお父さんと私も仕事上の関係があることもわかりました。
 
 ちょっと面白かったなあ。

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俺もあんたも芋なんよ~互いに磨きあう「芋こじ」

2016-06-06 23:43:43 | Weblog

 新しい仕事についてまだ一週間。あいさつ回りで新しい関係のみなさんはもちろん、古い友人などを含めいろいろなところを訪ね歩いています。

 ある研究機関で道の駅について造詣の深い友人のMさんを訪ねたところ、以前私がアドバイスを依頼した道内の自治体の話になりました。

「そうだ、小松さんから依頼を受けたところ方が訪ねてきましたよ」
「そうですか。話を聞いてアドバイスしていただけましたか?」

「はい、まずは話を伺いました。来られた方は、その方の自治体で作ろうとしている道の駅について、郊外の高速道路近くに作るべきか中心市街地に作るかで地域の中の意見が分かれていることを憂いていましたね」
「話を聞いて、どちらが良いというようなアドバイスをしたんですか?」

「そんなに単純な話じゃないことはお分かりのはずです。どこに作るか、ということよりも、決め方のプロセスの方がずっと大事なんですから」

 
 最近は地域のものが売れたり、結果として町の知名度が上がる道の駅が注目をされていて、地域振興とビジネス活性化のために道の駅を作りたいという自治体が増えています。

 しかし、ではそれがどうなったら成功したと言えるかは様々な評価の仕方があります。
 物が売れれば良いのか、物はそれほど売れなくても地元と他所からの人との交流拠点になればよいのか。
 管理のための費用くらいは稼げなくてはいけないのか、たとえ赤字であっても、地域の名前が売れれば良いのか。

 大切なことは道の駅でもなんでも、これからやろうとする事業について、「そもそもなんのためにやるのか」という基本的なコンセプトのコンセンサスが地域の中で共有されているかどうかです。

 しっかりと共有するためには、大勢の参加を得て全員が発言したうえで全員が納得するまで徹底的に話し合わなくてはなりません。そのうえで理想に燃えつつ限界も感じて、大風呂敷を広げずに慎ましい成果を地域全体が納得するまで徹底することが大切。

 しばしば見受けられるのは、そういうことをしないままに「補助金の締め切りが来月だから今月中に方向性を出そう」というような、妙な締め切りに制約されてしまうこと。
 あるいは、「これだけ議論したんだからそろそろ結論を出すべきだ」というとにかく前に進めるよう主張すること。

 地域の中で思いが共有されないということは家を建てるうえで基礎がしっかりとできないということ。それなのに柱を立てて屋根をかけようとするから、「やっぱり大本に立ち返りましょう」という意見が出てまた振出しに戻るということが繰り返されてしまうのです。


「その自治体はどうなりましたか?」 
「まずは持ち帰って地元で話し合うって言っていました。その話し合いの議論は必ず次のための肥やしになりますからね。あとは『もう時間がないから』という見切り発車にならないように祈るばかりです。もちろん求められればいくらでもアドバイスをする用意はありますが、最後に決めるのは地域の皆さんですからね。そこがちゃんと理解されれば変な失敗はしないと思いますよ」


          ◆ 


 補助金や交付金をもらうために期限を区切って計画を立てた事業が行われることがありますが、補助金がなくなったときに自立ができるような現実的なプランを描けているでしょうか。

 何よりも、それをすることで地域の結束が増して皆の活気が出るような一体感を醸成できているでしょうか。小さな町でも小ささを逆手に取って、全員が参加して役割を分担して頑張るような取り組みになれば十分に意味のあるものになると思います。

          ◆  

 二宮尊徳は地域の住民たちが相互に意見を言い合って互いを高めあう活動を「芋こじ」と言いました。

 里芋を洗う時は、樽の中に入れて棒でかき混ぜれば互いが擦れ合って互いにきれいになる。誰かが一個一個を洗うのではなく、互いに切磋琢磨してきれいになる、高めあうという行為が参加と共感を呼ぶことを知っていたのです。

 まちづくりは「芋こじ」でまいりましょう。

 

 

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「こ、これでタダはないでしょう」~オホーツクミュージアムえさし

2016-06-05 23:49:57 | Weblog

 

 稚内での依頼仕事終えて今日は札幌へと戻ってきたのですが、途中でなんとしても見ておきたかったのが枝幸町でリニューアルオープンされた『オホーツクミュージアム』でした。

 オホーツク地域は古代からの歴史の中で、日本の正史とは異質な道筋をたどりました。

 日本の歴史の教科書では縄文時代の後には弥生時代がきて古墳時代、飛鳥白鳳時代…と続くとされていますが、北海道では米の栽培ができなかったために弥生時代ではなく狩猟文化である続縄文時代という時代区分が続きさらに擦文文化、アイヌ文化と続きます。

 そんな北海道の歴史の中でもオホーツクは特に大陸や北方諸島、サハリンとの交流による民族や文化の交流が盛んで独特の変遷をたどりました。

 そうした研究はオホーツク地域の古墳や考古学研究が進んだ結果わかってきたことですが、特にそれを面白がったのが司馬遼太郎さんでした。

 彼は日本だけでなく世界を旅してそれを『街道をゆく』というシリーズの紀行文を著していますが、その第38巻でオホーツク街道を取り上げています。
 
【司馬遼太郎 街道をゆくシリーズ38 オホーツク街道】
 http://publications.asahi.com/kaidou/38/index.shtml

 
          ◆ 


 そうしたオホーツク考古学の成果をわかりやすく展示している施設が「オホーツクミュージアムえさし」なのですが、私が稚内にいた一年の間はずっとリニューアルのため閉館中でとうとう見ることができませんでした。

 今回せっかく宗谷地域までこれたので何とかして観たいと思い、遠回りですがこのオホーツクミュージアムに立ち寄ったのです。

 館内に入って受付で入館料を払おうと「大人一人です」と言うと、「当館は無料です」とのこと。

「え?」思わず聞き返してしまいました。タダとはありがたいやら申し訳ないやら。

 館内はまず、この地域の動植物の自然展示が登場します。大きな骨格標本が目立ちますよ。

 続いて奥がいよいよこの地域の考古学的歴史展示。実際に見てみると歴史好きには実に興味深い展示になっていて思わず見入ってしまいました。

 特にオホーツク海の豊かさに恵まれて海からの狩猟を生業とした人たちがこの地域に根付いて活躍していた時代があるというのがオホーツク人らしいところ。

 私自身、縄文時代などの狩猟文化と聞くとついクマや鹿などの陸の動物や植物を採っていたのだろうと思っていましたが、海に特化した狩猟文化というものがあったとは目からウロコでした。

 亡骸に甕を伏せて埋葬する風習があったとか、実用にはならない小さな子供のままごとのような土器があったというのは実に面白い展示です。

 興味がなければ難しい内容と言えるかもしれませんが、稚内から紋別や網走方面へ移動する途中でオホーツク圏について深い勉強ができる数少ない施設でしかも内容はとっても充実したものです。

(これで無料はないなー!)と強く思った次第。知識や研究の成果が売れないと思っているのかもしれませんが、もっと宣伝をしたり見に行った人がちゃんと評価をしてあげるとよいと思います。

 稚内へ向かう国道40号線のルートからは離れるので簡単にアクセスができませんが、近くへ寄ったときは一見の価値ある「オホーツクミュージアムえさし」。

 道産子なら一度は見ておきたい。超おすすめです。

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公共事業屋からみた神道の世界

2016-06-04 23:41:55 | Weblog

 稚内のロータリークラブから依頼されて講演を一つしました。

 タイトルは「公共事業屋から見たちょっと知らない神道の世界」というもの。

 神道や神社のことって、日本人としては知っておいたほうが良い素養だと思うのですが現役の公務員時代はなかなか発言が憚られました。しかし今は民間人として発言の自由度が少し高まりました。

       ◆ 

 私が神社や神道の世界と初めて真剣に触れたのは、東京から長野県松本市へ転勤したときのこと。他所から来た人を簡単には受け入れてくれない信州での仕事で、どうやって地域に溶け込んで仕事ができるか、ということに悩みました。

 そんなときに東京の先輩からの一言が。「小松君、信州一之宮はどこか知っている?」
「ええ…と、諏訪大社…ですか?」
「正解!もうお参りに行ったかい?」
「いえ、まだですが。だめですか?」

 すると先輩はこういいました。「いかんねー。公共事業に携わる者は、人間のための施設を作る反面、木を切ったり土を削ったりして小さな生き物の命や住処を奪ってしまう因果な仕事なんだよ。だから新しい地域に行ったなら『これからそういう仕事をさせていただきます』という挨拶をするのがよい。その行く先が神社なんだよ」

 私としてはその言葉に感じ入るものが多く、それ以来古事記を読んだり神社や神道とは何かということを考えるようになりました。

 もちろん、信仰の世界はいろいろな説もあって私などが絶対的な事実を話すなどというおこがましいことは到底できません。しかし、自分自身が勉強してきたことで心の中にストンと腹落ちするようなことはそれなりにあるので、そういう体験談としての話をさせてもらったのです。

 神社での手水の獲り方や玉ぐし奉奠の所作などは、一度しっかりと覚えておけば後々役に立つような知識ですが、なかなかまじめに教えてもらう機会もありません。

 祭りが盛んな土地柄であれば、地域の中で年長者から自然に学べるような事柄も地域の力が弱り社会での教育や家庭での教育の力が弱まるとそんなことを知る機会がないのです。

 神事などにも出席をする機会が歳と共に増えますが、ちゃんとできる自信があった方が絶対に良いに決まっています。しかも神事の一部は古事記の中の物語に由来しているなどという話もあまり知られていませんね。

 最近は外国人観光客が地域を訪れてきて、神社建築やそのたたずまいの美しさに興味津々なのですが、肝心の日本人の方が神社を案内したり作法を教えてあげることができないというのでは、来訪者に正しいおもてなしができているとは言えません。まずはそのあたりが大切なのだと思います。

 今日のメンバーの中にはある神社の宮司さんもいたのですが、その方が「こういう話を僕がしてしまうと布教のようになっちゃうから言えないものね。この世界の外の人が、『横からこう理解しています』という話はよかったよ」と言ってくださいました。

 まあ今日の話だけではなく、これを機会にネットや本で調べるきっかけになってくれればそれだけでもやった甲斐があるというものです。


      ◆ 


 最後のおまけのスライドは、和歌山県の熊野古道の道の話。

 日本の歴史上、古代から中世にかけて時の天皇を始めとして熊野本宮、新宮、那智大社の熊野三山をお参りすることが大変なブームになった時がありました。参拝者がぞろぞろと連なって参道を行くので『蟻の熊野詣』とさえ言われた社会現象です。

 そうしたブームを支えた信仰の道が熊野古道で、現在は世界文化遺産に登録されています。

 私も二年前に熊野古道を歩いてきましたが、ヒノキの話の中に石畳が敷かれているところはとても美しく、『次に歩いてくる人に良い道路状況を送りたい』という長年の関係者の思いがこうした施設と風景に現れています。

 この当時の石畳が現在の舗装にほかなりません。道路を舗装して雨に強く耐久性を増した道路こそ、おもてなしの道なのだと感じたものです。ちょっとだけ自分の仕事に絡んだエピソードがあって、私としてはちょっと嬉しいところです。

「神社とは何か、神道とは何か」

 日本人ならもっていたい素養として勉強してみてはいかがでしょうか。 

 

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ここでそれはないでしょう…

2016-06-03 23:55:55 | Weblog

 二か月ぶりの稚内訪問。

 天気は良くて、早朝に札幌を出発して稚内を目指して車を走らせます。

 一車線の道路を長距離でドライブしていると、ときどき制限速度を下回る速度でゆうゆうと走る車がいます。
(さすがにこれはないだろう!)

 北海道では「追い越し禁止」ではないけれど車線をはみ出してはいけない「はみ出し禁止」が多く、この黄色い線が続くとやはり遅いとはいえ車線の中で追い抜くわけにもいかず、後続の車がイライラしているのが分かります。

 遅い先頭車がようやく右折をしようとして右折レーンに入って、交差点で横に並んでみると先頭車の運転手は高齢者のお爺さん。なるほど、歳を取るとスピードも出さない(出せない?)し、後ろにどれだけ車が連なっていても気にしないのでしょう。

 私だったら自分の車のスピードが遅いため後ろにたくさんの車が連なっているのに気が付いたら、車を左に寄せるかパーキングに止めて後ろの車をやりすごし、早く先に進みたいという交通の流れを大事にします。

 決して悪気があるわけではないのでしょうが、日本の社会が高齢化するということは、こういう形で社会の効率化が下がるということなのかな、と考えてしまいました。

 道路も追い越し車線があれば前の車を追い越することも楽ですが、北海道は一車線のうえにはみ出し禁止の制限区間が多いので仕方がありません。

 最近は高速道路での逆進をはじめ、ドライバーの高齢化による、これまでは想像もできなかった事故が増えているという話も聞きます。

 超高齢社会になると、事故にまで至らないとはいえ、こういう運転をする人が増えるのかな、と未來が不安になりました。

 せめて自分も年を取った時には周りに気を付けるような運転をしなくちゃな、と思った次第。ドライブ中の交通安全をお祈りします。

 ちょっとしたことなんですがねえ。
 

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一極集中ではだめなんです~地域に点在するインフラ工場

2016-06-02 23:01:30 | Weblog

 明日から日曜にかけて稚内方面へ向かいます。

 土曜日の午後に、稚内地区のロータリークラブで講演をお願いされているのですが、そのついでに稚内地域の舗装関係の会社を訪問して施設を見せてもらったり、お話を聞いておきたいと思ったのです。

 アスファルト舗装は、プラントと呼ばれるアスファルト製造工場で材料を配合して熱くして作ったものを現場へ運んで、そこで敷きならして締め固めることでよく見る美しい舗装面を形作ります。

 200℃以上もの高温で作られたアスファルトを熱いうちに現場へ運搬するにはある程度距離が近くないといけないため、こうした工場は全道に点在する形で作られていて、一極集中ではだめなんです。

 しかし昨今の公共事業費の伸び悩みやトンネルや橋梁の点検補修が優先される時勢の中で、なかなか舗装をきれいに治すところまで予算が回りにくくなっていて、稼働しなければプラントを維持するのは大変なわけ。

 インフラというのは、そこにあって地域の人たちの暮らしを支えるハード的なものはもちろん大切ですが、壊れたら治せるとか、災害時に急行する人材と機械があるといった、ソフト的なインフラも車の両輪のように大切。

 いくら予算がついてもそれで要求を満たすだけの能力が失われてしまえばインフラとしては機能しないのです。

 そんな能力の一つに舗装を維持するための材料供給の工場というパーツがあるわけですが、なかなか一般の話題になることはありません。あくまでも裏方のお話し。

 まあ世間は働いている姿が見えない多くの人たちによって支えられている、ということへの想像力が欲しいところです。

 稚内のみなさん、まだ寒いですか?

 


  【道路工業株式会社のホームページより】

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今日から新しい仕事に就きました

2016-06-01 23:09:35 | Weblog

 長くも短かった退職からの二か月。この間に様々なご縁をいただいた結果、本日から(一般社団法人)北海道舗装事業協会というところで働くこととなりました。

 本協会は、舗装事業に関する調査・研究を行い、業界の進歩向上に努め、北海道総合開発の促進に寄与することを目的に昭和45年1月に設立されたもので、現在72社が会員として名を連ねています。

 道路整備事業を通じながら、責任と誇りをもって豊かな地域社会の構築に貢献し、また時代の流れに機敏に対応して、他の道路団体と協力しながら会員企業の発展に資するべく本協会の運営を行ってまいります。

 舗装は道路整備の最後の仕上げですが、長年使うことで劣化して傷んでくるものです。一定の時がたてばメンテナンスや再整備を行う必要がありますが、昨今の公共事業費の減少により、傷んでいることは重々承知していても「もう一年、あともう一年」とメンテナンスが長延びになりやすい部分でもあります。

 しかしやはり適切なメンテナンスは、道路を利用する人たちの安全性や快適性、さらには運ぶ品物の品質にまで影響しかねない重要な項目です。

 北海道を世界レベルの観光の島にしたいという長期ビジョンも作られたところです。自転車を利用する観光客も高いペースで増加しており、きれいな道路でおもてなしができるように、活動を頑張っていきたいと思います。
 各方面のご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

          ◆ 

 それにしても、退職後の二か月はあっという間に過ぎました。

 楽しみにしていた九州旅行は熊本地震のために行けなくなりましたが、その代わりに道内と東北へのちょこちょこ旅を堪能。知らない日本の広さを感じました。

 さて、新しい目標に向かってがんばります。

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