歩道を歩いていて、後ろから自転車にチリンチリンと鳴らされるのは、嫌いである。
「ここは、歩道なんだぞ。少しは遠慮しながら行けよ」
と思い、腹が立つ。
一方、車に乗っても、自転車がじゃまである。後ろからくる車に気遣いもせず、ふらふらと道路の中央方向へふくらんでくる自転車もある。
「危ないだろ、歩道を通れよ」
と思ってしまう。
コウモリは、鳥にも動物にもなれなかったが、自転車は人にも車にもなれない。考えてみれば、悲しい運命を背負った存在ではないか。
道路交通法では、自転車は車の仲間である。基本的には歩道でなく車道を、その一番隅を遠慮しながら進まなくてはならない。
理想をいえば、自転車専用の道が要るのであろう。車道と歩道のあいだに、「輪道」が整備されれば、しかも全国的に整備されれば、例えば、
「地球温暖化防止のためにみんな自転車に乗ろう」
とキャンペーンがうたれることになり、自転車は一躍環境保護のエースになれる。しかし、日本の諸道路にそれだけのスペースはあきらかにない。
先日、日曜、早朝ウォーキングのため家の近くの歩道を歩いていると、後ろから野球のユニフォーム姿の少年が自転車で追い越していった。わきに退いたわたしに、
「ありがとうございまーす。」
と、さわやかな声をかけてくれた。
まわり(歩行者)に気をつかい、頭を下げながらゆっくり歩道を行く。これが自転車の一つの生き方なのかもしれない。
2001.7.20
「ここは、歩道なんだぞ。少しは遠慮しながら行けよ」
と思い、腹が立つ。
一方、車に乗っても、自転車がじゃまである。後ろからくる車に気遣いもせず、ふらふらと道路の中央方向へふくらんでくる自転車もある。
「危ないだろ、歩道を通れよ」
と思ってしまう。
コウモリは、鳥にも動物にもなれなかったが、自転車は人にも車にもなれない。考えてみれば、悲しい運命を背負った存在ではないか。
道路交通法では、自転車は車の仲間である。基本的には歩道でなく車道を、その一番隅を遠慮しながら進まなくてはならない。
理想をいえば、自転車専用の道が要るのであろう。車道と歩道のあいだに、「輪道」が整備されれば、しかも全国的に整備されれば、例えば、
「地球温暖化防止のためにみんな自転車に乗ろう」
とキャンペーンがうたれることになり、自転車は一躍環境保護のエースになれる。しかし、日本の諸道路にそれだけのスペースはあきらかにない。
先日、日曜、早朝ウォーキングのため家の近くの歩道を歩いていると、後ろから野球のユニフォーム姿の少年が自転車で追い越していった。わきに退いたわたしに、
「ありがとうございまーす。」
と、さわやかな声をかけてくれた。
まわり(歩行者)に気をつかい、頭を下げながらゆっくり歩道を行く。これが自転車の一つの生き方なのかもしれない。
2001.7.20