今年のはじめのNHKテレビ「土曜オアシス」に、ロシア語の同時通訳者で作家の米原万里さんが出ていた。
米原さんは、小さい頃から節分の豆まきをしたことがなかったそうである。それは、お母さんが個性的な人で、「豆まきの哲学」が気に入らないといって、やらなかったからだという。
そのお母さんの考え方を米原さんは詳しく説明していなかったが、察するにこういうことであろう。
人生には良いことも悪いことも起こる。良いこと(福)だけを選んで、悪いこと(鬼)を避けることはできない。福だけを呼び寄せ、鬼を追い出すという(豆まきの)考え方は虫が良すぎる、というようなことではないだろうか。
わたし自身は、幸せへのささやかな願いを豆まきという、いくぶん心華やぐ行事に託して伝えてきたのは、いわば日本人の知恵だと思うし、自分でも実際やってきている。しかし、米原万里さんのお母さんの(わたしの想像する)考え方もわからないではない。
フランク・シナトラが歌ってヒットした「MY WAY」という歌の中に、my share of losing というフレーズが出てくる。「失うことの分け前」とでもいうのだろうか。楽しいこと、得することのある一方、悲しいこと、失うことも、人生には分け前としてすでに織り込まれているのだよという意味にとれる。
福だけを選んで鬼を避けて通ることができない、という考え方に通ずるものがあると思う。
この考え方に立てば、悲しいことや辛いこと、さらには苦しいことを「逃げずに受けとめよう」という覚悟も生まれてきそうだ。
ところで、このMY WAYは、カラオケでおじさんたちがよく歌うが、聞き手の若い女性には、古い歌をまたかと嫌われる曲なのだそうだ。
「おとうさん、若い人のまえで、この歌うたっちゃだめだよ」
と、わたしも何年か前に息子にアドバイスをもらったことがある。
「うん、わかった」
などといいながら、レパートリーの少ないわたしは、かまわず歌っていたものだ。もっとも、わたしが歌うときには、まわりに若い女性などめったにいなかったが……。
それはともかく、米原万里さんの話を聞いて、このMY WAYを思い出したわたしは、その歌詞カードを見ようと、しまいこんでいた古いEP盤を引っぱり出してきた。
(失うことの分け前などと、なかなか奥深いことを言ってたな。じっくり見てみよう)
と思ったからである。
黄ばんであちこち破れた歌詞カードにならぶ英単語は、さしてむずかしいものではなかったが、一読してさっと意味がとれない。比喩を使い、韻をふみ、単純化し説明を省いた表現は、英語に達者でない者にとっては実は手ごわい相手なのであった。
それでもなんとか訳してみると、要するにこういう内容だった。
♪わたしは今、人生の終幕を迎えている。わたしはわたしの人生を懸命に、注意深く生きてきたと自信を持って言える。後悔もほとんどない。わたしは愛し、笑い、泣きもした。失うことの分け前も引受けた。涙がおさまってみると、すべてがとてもいとおしい。わたしはまさに、わたし自身の道を歩んできたのだ。♪
MY WAYの歌詞は、このように大変味わい深いものなのだが、わたしは長年、意味も良くわからずこの歌をカラオケで歌ってきたのである。
2003.2.16
(2008.3.4 写真追加)
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