簾(すだれ)越しに入ってくる朝陽を受けて、観葉植物の葉に簾の縞模様が映っていた。
手前の葉には、奥の葉の影が落ちて、葉の濃淡がくっきり。これもなかなかおもしろい図柄である。
むかし、さる「生け花展」に行ったときのことを思い出した。
その展覧会の案内をくれた知人の作品は、部屋のすみに、白壁にいまにも接するような位置に置かれていた。
部屋の照明の加減で、その白壁には知人の生け花の影が映っていた。葉と枝の多いその作品は、壁のシルエットとともに微妙なハーモニー効果を醸し出していたのである。
「あれは影も含めて鑑賞するという演出だったの?」
と、後日その知人に会ったとき、わたしはほめるつもりで聞いた。
ところが知人はめんくらった表情を浮かべ、首をわずかに横にふりながら口をつぐんでしまった。彼女は生け花本体だけをほめてほしかったのだ。
考えてみれば一つの生け花展で、一つの作品だけそんな演出をするわけないではないか。
茶化すつもりはなくとも、無知と早とちりは人間関係を台無しにする。