prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

3月24日(土)のつぶやき

2018年03月25日 | Weblog

「シェイプ・オブ・ウォーター」

2018年03月24日 | 映画
細大もらさず完璧に作られた世界観。
冷戦の時代っていう設定が効いていて、映画館には豪華なミュージカル映画がかかって、テレビではショー番組がかかっているエスケーピズムの裏に貼り付けた緊張感を出した。

かなりあちこちグロテスクな描写やそれは行き過ぎだろうと思うような行為が描かれるのもこの時代設定だと通ってしまう感じ。

半魚人の眼の透明な膜みたいなものがかぶさっている作りの細かさに感心する。先日アカデミー賞をとった辻一弘の作品らしい。
登場して動き出した時の驚きから、終盤嵐の中立ち上がる場面のほとんど見栄を切るような決まり具合から圧巻。

登場人物たちが口をきけないヒロインをはじめ同性愛者、黒人女性とマイノリティたちが揃った感がある。
彼らと対立するマイケル・シャノンが白人のエスタブリッシュメントの塊みたいで、実はかなりその座が揺るがされる不安感を常に感じているのを出した。最初の方で切断される指というのは端的にいってペニスの象徴だろうが、それを取り戻そうとしたり失敗したりするのがいかにも象徴的。
自己啓発本を読んでたりするのがあまりにそれらしくて何だかおかしい。

彼と上司との会話で朝鮮戦争で戦った相手の事をgook(現在公では使えない主に朝鮮兵に対する侮辱語)と呼んでるのが背景を端的に表している。
彼が今の地位にいるのは上司が朝鮮戦争で上官部下の関係だったから引き立てられただけというのが、地位が盤石のようで実は案外もろいものだとわかる。

随分大きい映画館の二階がアパートになってたりとか、アパートの部屋いっぱいに水を満たしているなど画から先に発想してかなり無理な感じがするのも押し切ってしまっている。
(☆☆☆★★★)

「シェイプ・オブ・ウォーター」 公式ホームページ

「シェイプ・オブ・ウォーター」 - 映画.com



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3月23日(金)のつぶやき その2

2018年03月24日 | Weblog

3月23日(金)のつぶやき その1

2018年03月24日 | Weblog

「バーニング・オーシャン」

2018年03月23日 | 映画
最近多い実際にあった事件の映画化だけれど、ジョン・マルコヴィッチの役柄など「タワーリング・インフェルノ」のリチャード・チェンバレンのような仕事上の手抜きで致命的な大事故を招くキャラクターのまあ同類で、70年代のパニック映画(英語でいうディザスター・ムービー)を思わせる。

しかし大きく隔たっているのは炎と水というかつて特撮の鬼門と言われた物質の猛威の表現のリアルさで、どういう技術でこれだけリアルに映像化できるのかと今更ながら技術の進歩に驚く。大量の泥水に吹き飛ばされるスタントなどもどうやっているのかと思わせる。

音響も凄く、ブルーレイとはいえ家庭用の別に高価でもない5.1chシステムでこれだけ生々しい音場を表現できるのかと思う一方で、映画館で見逃したのが悔やまれる。

ドラマとして結構を組むのではなく、ヒロイックな見せ場もあることはあるが、辛うじて生き残りが脱出できただけで終わってしまう、一種投げ出したみたいな作りは実話ネタというエクスキューズの上で成り立ったものと言える。

昔のディザスター・ムービーはオールスター映画でもあったのでキャラクターを描きこんで芝居の上での見せ場を用意していたのだけれど、ここではもともとキャラクターが否定的な意味でなしに仕事上の役割以上のものがほとんどないのも思い切りがいい。

「バーニング・オーシャン」 公式ホームページ

「バーニング・オーシャン」 - 映画.com



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3月22日(木)のつぶやき その2

2018年03月23日 | Weblog

3月22日(木)のつぶやき その1

2018年03月23日 | Weblog

「ELECTRiC DRAGON 80000V」「DEAD END RUN」

2018年03月22日 | 映画
フィルムセンターでPAをセットしての爆音上映というのは初めてではないか。
(この名称での近代美術館の付属組織としての位置づけは今月いっぱいで、来月から国立映画アーカイブとして独立した国立機関になる)

石井岳龍監督が挨拶でこれは音の調整のためにアメリカで作業して、画面より費用がかかっているくらい、5.1chとしては最高の仕上げになっていると自負すると語る。

実際、まあ大音響というだけでなくてエレキ(笑)のエッジに立った音の質感がよく出ていて、画面がラフというかなまじ中途半端に金かけるよりロケでカメラをぶん回して編集でチューンナップしてむしろ画面の方が音の一部になっているような扱い。

上映前に気分が悪くなったら出てもらって構いませんとセンターの人がアナウンスしていたが、実際ひとつ前に座っていた年配の男性が途中で出た。

思い切りデカい音だけれど聞き疲れしたり生理的にもたれたりしないのはそれだけ音の出し方に気を使っていたのだろう。

二本とも一時間弱だけれど、後者は三つのエピソードをつないだ構成で、基本的に短編作家だなという感は強い。
ストーリーがどうというのではなくて、視聴覚の奔流に飲み込まれる体験といった感じ。DVDで見るのとは本質的に違うだろう。

浅野忠信、永瀬正敏が若いのは当然だけれど市川実日子が割と丸い。
この2本が作られた2004~5年だと携帯がみんなガラケー、というよりアンテナを生やした型で今見るとすごいレトロに見える。yupitel=ユピテル製なんて使われていたけれど、今は生産していないのではないか。

なお七階ではSF映画ポスター展を開催中。「2001年宇宙の旅」のホログラムポスターとか「モスラ」の超大判ポスターなどが目を引く。

ELECTRiC DRAGON 80000V - 映画.com

ELECTRiC DRAGON 80000V">「DEAD END RUN」 - 映画.com




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3月21日(水)のつぶやき

2018年03月22日 | Weblog

「ハッピーエンド」

2018年03月21日 | 映画
冒頭の携帯で撮った縦長の映像はハネケの旧作「隠された記憶」を思わせ、ずうっと引きっぱなしの突き放したような視点がハネケらしいといえばいえるけれど、同時にわざとかどうなのか全体にかなりゆるい感じで、ラストなどちょっと先読みできてしまうくらい。

役者たちの芝居の上手さはわかるけれど、ほとんどお馴染みといっていいような人間の見方の意地の悪さが割りとフラットで、笑っていいのか不快に思っていいのか、あまり感じるところが薄い。
(☆☆☆)

「ハッピーエンド」 公式ホームページ

「ハッピーエンド」 - 映画.com



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3月20日(火)のつぶやき

2018年03月21日 | Weblog

「哭声 コクソン」

2018年03月20日 | 映画
女の子に謎の病気のような症状が現れたり、頭を潰してもなかなか死なない男が襲ってきたりと、「エクソシスト」や「ゾンビ」のようなおどろおどろしい場面が次々と現れるのだが、はっきりとオカルトとかゾンビものの設定の枠組みを援用しているわけではないので、ジャンルムービーとして見るのは難しい。

夢やイメージシーンが交錯するもので、どこまで本当にあったことなのか、ただの思い込みなのか区別がつきにくく、ただ不安感やどろどろして迫力はずうっと続く。正直いささか当惑して見終えた。解説や解釈を読んでもまだ得心はいっていない。

キリスト教的なモチーフが見え隠れというかむしろ丸見えなのだが、泥臭いアジアの田舎の風景の絵面との混淆がまたおどろおどろしい。

異種混淆といったら國村隼がまさにそのもので、謎の「日本人」が何者なのか、神とも悪魔ともつかない、釣りをしているところから登場するあたり考えると何と人間を釣りに来たような存在なのだが、日本というのが韓国にとって何とも喉に刺さった骨のようなある種ひっかかる存在だからかとか想像したりした。

主演のクァク・ドウォンはダチョウ倶楽部の上島竜兵になんか似ているなーと思った。




3月19日(月)のつぶやき

2018年03月20日 | Weblog

「フェンス」

2018年03月19日 | 映画
アカデミー賞のノミネートや受賞はじめ高い評価を受けた作品だが日本では劇場では上映されず、ビデオおよび配信スルーになったデンゼル・ワシントン製作監督主演作。

Box Office Mojoで検索すると、製作費2400万ドルに対して現在までの興収はアメリカ国内で5768万2904ドルで89.5%、それ以外が673万1857ドルで10.5%。と興行は圧倒的にアメリカ国内で終始しているのがわかる。
確かにアメリカ黒人以外でわかりやすい内容ではないだろう。

オーガスト・ウィルソンの戯曲が原作で、映画化にあたっての脚色も原作者自身だが、冒頭のごみ収集車がごみを集めて回るシーン以外はほとんど家の中と裏庭周辺で終始している。
ただセットの質感や照明の質、メイクなどすこぶるリアルで、演技の質もセリフもリアリズムなので舞台臭からは離れている。

自分がスポーツ選手として大成できなかったから息子のチャンスまで潰してしまう毒親であり、公民権運動の高まりにも耳をふさいで自分を解放するのに背反する態度をとってしまう相当にネガティヴな主人公をワシントン自身が演じ、今更スターイメージ壊すのを恐れる立場でもないにせよ、演技者としての腕を見せる。
アカデミー賞助演女優賞をとったヴィオラ・デイビスをはじめ、他の出演者もみっちり芝居を見せ、今更ながらアメリカの役者の層の厚さを感じさせる。

それにしても、演劇の映画化というのは日本にもあるが、おおむねセットなどの背景も演技の質も作り物っぽくなって、リアリズムのまま行き来することはなかなかないのはどういうわけだろう。

フェンスという言葉をコトバの範疇で扱い、モノそのものとしては見せないのにコトバの喚起力と映画の表現との兼ね合いを知った演出家としての見識がうかがえる。


3月18日(日)のつぶやき

2018年03月19日 | Weblog