懐かしい友人二人から連絡があった。
一人は電話、一人はメール。
日ごろのご無沙汰を詫びながら・・・
気持ちは懐かしさでいっぱいになる。
電話があったのは福岡に住む友人。
心ばかりのお中元を送っていたら届いたらしい。
そのお礼の電話だった。
今から20年以上前に一人の女性に出会った。
お互い友人を介しての紹介だったけれど
初対面で彼女とは意気投合した。
これが男女だと一目惚れということなのだと思う。
学年は違ったが
その頃彼女の息子さんとうちの息子は同じ幼稚園だった。
共通の話題もいっぱいで
下の子がやっと幼稚園に入って解放された時
娘の小学校ではPTAの委員をしたり
私の友人の輪が広がっていった時だった。
彼女は私が出会って付き合った友人の中では一番の美人。
OL時代は資生堂の美容部員をしていたそうだ。
そこでご主人に見初められて結婚した。
昔の資生堂の美容部員は飛び切りの美人なのかと思った。
その頃私は思いっきりポジティブに色々なことがしたかった。
今までどこへ行くのも何をするにも子供と一緒。
それが手が離れて、あの時の開放感は今でも忘れられない。
先ずはたくさんのお稽古事に興じた。
そして友人作りの積極性も半端じゃなかった。
どこへでも首を突っ込んでいった。
純粋でひたむきで一途なあの頃の自分が懐かしい。
彼女と一緒に作ったキルトやクリスマスリースの数々は
今でも私の大切な思い出だ。
彼女が転勤していくまで、蝋のお花も一緒に習った。
宿題はいつも彼女と一緒にした。
週に3~4日は彼女と会っていた。
その頃は今のようなリッチなランチが出来る余裕もなく
それが週に3~4日もだからお互いの家で昼食を作って食べた。
家事が片付いた10時頃から子供が帰宅する午後3時までを
彼女と過ごした。
昼食はたいてい昨夜の残り物に何か一品作って・・・
焼きそばやお好み焼きもよく焼いた。
時には手作りピザや残り物での手巻き寿司・・・。
あの頃は彼女と何を食べても美味しかった。
人を持て成す喜びは彼女から教わったような気がする。
時にはショッピングに出かけた。
二人はお買い物も好きだったし、たまに外で食べるランチに
あの頃はとてもワクワクした。
彼女との付き合いは5年で終わった。
福岡へ転勤になったのだ。
毎日、毎日引越しの手伝いに行った。
とっても仲がよかっただけに、別れの朝はお互い涙が止まらなかった。
それから横浜に転勤して7年、3年前地元の福岡に戻った。
福岡に行くね・・・ 横浜に行くね・・・ そんなことを言いながら
未だに彼女には会うことが出来ない。
ここまで深く付き合ったのは彼女が転勤族だったから。
もし地元でずっといるなら、もっと距離を置いたはず。
期間限定だからお互い燃え上がったのだと思う。
5年間一度も喧嘩することなく、お互いを尊重しあった。
私の若かりし時代の思い出の人だ。
メールが来たのは息子の中学時代のグループの一人。
その頃、息子の友人とは7人のグループで仲良くしていた。
7人もいるからお出かけやランチの時は日にち調整が大変だった。
それでも7人は誰も欠席せずに月に1~2度ランチやお茶した。
息子は地元の中学だったから、高校受験という最大の課題があった。
私たち7人は一喜一憂しながら、悩みを相談しあった。
そしてそれぞれに希望の高校へ進学した。
今でも彼女たちとは戦友だと思っている。
すっかり疎遠になったグループだけれど、バッタリ会えば
「一度集まろう」と言い合う。
彼女からのメールは
先ず私の母へのお見舞いの言葉から始まり・・・
久しぶりに私のHPを観て、時間の経つのを忘れて
忙しくしていると聞いていたのに、毎日の更新に驚いたとのこと。
そして私へのねぎらいの言葉。
私のHPを観て、よくあれだけの「元気」があったものだと
感心したらしい。
そして自分も何かをしなきゃと反省したとあった。
一度お会いしたいと結ばれていた。
人に「元気」を与えられたのは嬉しい。
人に「少し生き方を変えてみよう」と思わせたのは嬉しい。
地元の人にHPを訪問されるのは気恥ずかしい。
特に友人はリアルな世界の私とネットの世界の私のギャップに
言葉も出ないようだ。
一度福岡に会いに行って、昔のようにおしゃべりがしたい。
7人のグループでひとときを共有したい。
久しぶりの友人との接点は私に爽やかな初夏の風を運んでくれた。