マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

懐かしい友人

2005年07月13日 | 日記
hana050713

懐かしい友人二人から連絡があった。
一人は電話、一人はメール。
日ごろのご無沙汰を詫びながら・・・
気持ちは懐かしさでいっぱいになる。

電話があったのは福岡に住む友人。
心ばかりのお中元を送っていたら届いたらしい。
そのお礼の電話だった。

今から20年以上前に一人の女性に出会った。
お互い友人を介しての紹介だったけれど
初対面で彼女とは意気投合した。
これが男女だと一目惚れということなのだと思う。

学年は違ったが
その頃彼女の息子さんとうちの息子は同じ幼稚園だった。
共通の話題もいっぱいで
下の子がやっと幼稚園に入って解放された時
娘の小学校ではPTAの委員をしたり
私の友人の輪が広がっていった時だった。

彼女は私が出会って付き合った友人の中では一番の美人。
OL時代は資生堂の美容部員をしていたそうだ。
そこでご主人に見初められて結婚した。
昔の資生堂の美容部員は飛び切りの美人なのかと思った。

その頃私は思いっきりポジティブに色々なことがしたかった。
今までどこへ行くのも何をするにも子供と一緒。
それが手が離れて、あの時の開放感は今でも忘れられない。

先ずはたくさんのお稽古事に興じた。
そして友人作りの積極性も半端じゃなかった。
どこへでも首を突っ込んでいった。
純粋でひたむきで一途なあの頃の自分が懐かしい。

彼女と一緒に作ったキルトやクリスマスリースの数々は
今でも私の大切な思い出だ。
彼女が転勤していくまで、蝋のお花も一緒に習った。
宿題はいつも彼女と一緒にした。

週に3~4日は彼女と会っていた。
その頃は今のようなリッチなランチが出来る余裕もなく
それが週に3~4日もだからお互いの家で昼食を作って食べた。
家事が片付いた10時頃から子供が帰宅する午後3時までを
彼女と過ごした。

昼食はたいてい昨夜の残り物に何か一品作って・・・
焼きそばやお好み焼きもよく焼いた。
時には手作りピザや残り物での手巻き寿司・・・。
あの頃は彼女と何を食べても美味しかった。
人を持て成す喜びは彼女から教わったような気がする。

時にはショッピングに出かけた。
二人はお買い物も好きだったし、たまに外で食べるランチに
あの頃はとてもワクワクした。

彼女との付き合いは5年で終わった。
福岡へ転勤になったのだ。
毎日、毎日引越しの手伝いに行った。
とっても仲がよかっただけに、別れの朝はお互い涙が止まらなかった。

それから横浜に転勤して7年、3年前地元の福岡に戻った。
福岡に行くね・・・ 横浜に行くね・・・ そんなことを言いながら
未だに彼女には会うことが出来ない。

ここまで深く付き合ったのは彼女が転勤族だったから。
もし地元でずっといるなら、もっと距離を置いたはず。
期間限定だからお互い燃え上がったのだと思う。
5年間一度も喧嘩することなく、お互いを尊重しあった。
私の若かりし時代の思い出の人だ。

メールが来たのは息子の中学時代のグループの一人。
その頃、息子の友人とは7人のグループで仲良くしていた。
7人もいるからお出かけやランチの時は日にち調整が大変だった。
それでも7人は誰も欠席せずに月に1~2度ランチやお茶した。

息子は地元の中学だったから、高校受験という最大の課題があった。
私たち7人は一喜一憂しながら、悩みを相談しあった。
そしてそれぞれに希望の高校へ進学した。
今でも彼女たちとは戦友だと思っている。
すっかり疎遠になったグループだけれど、バッタリ会えば
「一度集まろう」と言い合う。

彼女からのメールは
先ず私の母へのお見舞いの言葉から始まり・・・
久しぶりに私のHPを観て、時間の経つのを忘れて
忙しくしていると聞いていたのに、毎日の更新に驚いたとのこと。
そして私へのねぎらいの言葉。

私のHPを観て、よくあれだけの「元気」があったものだと
感心したらしい。
そして自分も何かをしなきゃと反省したとあった。
一度お会いしたいと結ばれていた。

人に「元気」を与えられたのは嬉しい。
人に「少し生き方を変えてみよう」と思わせたのは嬉しい。
地元の人にHPを訪問されるのは気恥ずかしい。
特に友人はリアルな世界の私とネットの世界の私のギャップに
言葉も出ないようだ。

一度福岡に会いに行って、昔のようにおしゃべりがしたい。
7人のグループでひとときを共有したい。

久しぶりの友人との接点は私に爽やかな初夏の風を運んでくれた。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする