池田信夫氏が彼の「池田信夫blog」に「所有と言う幻想」と言う記事を掲載していた。これを受けて、小飼弾氏も彼の「404 Blog Not Found」に「所有欲のパラドックス」と言う記事を掲載していたが、これらについて少し思うところを述べてみよう。
まず、池田氏の記事。将来は、情報資源は、所有権という枠組みが崩れ、必要な時に必要なだけレンタルする仕組みに変わっていくだろうということを主張したいのだと思う。このことは、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」などでも指摘されているように、WEB2.0の基本的な流れであろう。池田氏の論旨が良く分からないのは、これがバーチャルな情報資源だけでなく、記事の中に、リアルな、いわゆる「モノ」と呼ばれる資源のことが混在して書かれていることだ。
たとえば、<必要なときだけ借りて使えばよい。そんなことは普通の資本財では不可能だが>と言っているにも関わらず、その後では<物的な資源も、クラウドのように事前に予約せずに自由に使うことができれば所有権で囲い込む必要はない。>と書かれており、いったい「モノ」についてどう考えているのかが分かりにくい。
言うまでもなく、情報資源には、無限大にコピーが可能で、しかも瞬時に通信回線を使って伝送できるという、リアルな「モノ」とは根本的に異なる特性がある。「モノ」をそのまま情報資源からのアナロジーで語ることは、危険ではないだろうか。
一方小飼弾氏の方の記事であるが、こちらは、「所有が幻想」だということは、以前自分の本で指摘していた通りだと言っている。彼の著書には<根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。>と書かれているようだが、これは、弾氏がよく行うように、自分で勝手な言葉の定義を下しているにすぎないだろう。ここで使われている「所有」とか「レンタル」と言う言葉は、通常使われている言葉の定義をはみ出しているのではないか。そして、こちらは、完全に情報資源からのアナロジーを「モノ」にまで安易に拡張している。
しかし、お二方とも、自分の書いたことには、著作権の主張をしないのだろうか。そちらの方が気になるのだが。
(応援クリックお願いします。) ⇒
「読書と時折の旅(風と雲の郷 本館)」はこちら
「本の宇宙(そら)」(風と雲の郷 貴賓館)はこちら
まず、池田氏の記事。将来は、情報資源は、所有権という枠組みが崩れ、必要な時に必要なだけレンタルする仕組みに変わっていくだろうということを主張したいのだと思う。このことは、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」などでも指摘されているように、WEB2.0の基本的な流れであろう。池田氏の論旨が良く分からないのは、これがバーチャルな情報資源だけでなく、記事の中に、リアルな、いわゆる「モノ」と呼ばれる資源のことが混在して書かれていることだ。
たとえば、<必要なときだけ借りて使えばよい。そんなことは普通の資本財では不可能だが>と言っているにも関わらず、その後では<物的な資源も、クラウドのように事前に予約せずに自由に使うことができれば所有権で囲い込む必要はない。>と書かれており、いったい「モノ」についてどう考えているのかが分かりにくい。
言うまでもなく、情報資源には、無限大にコピーが可能で、しかも瞬時に通信回線を使って伝送できるという、リアルな「モノ」とは根本的に異なる特性がある。「モノ」をそのまま情報資源からのアナロジーで語ることは、危険ではないだろうか。
一方小飼弾氏の方の記事であるが、こちらは、「所有が幻想」だということは、以前自分の本で指摘していた通りだと言っている。彼の著書には<根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。>と書かれているようだが、これは、弾氏がよく行うように、自分で勝手な言葉の定義を下しているにすぎないだろう。ここで使われている「所有」とか「レンタル」と言う言葉は、通常使われている言葉の定義をはみ出しているのではないか。そして、こちらは、完全に情報資源からのアナロジーを「モノ」にまで安易に拡張している。
しかし、お二方とも、自分の書いたことには、著作権の主張をしないのだろうか。そちらの方が気になるのだが。
(応援クリックお願いします。) ⇒
「読書と時折の旅(風と雲の郷 本館)」はこちら
「本の宇宙(そら)」(風と雲の郷 貴賓館)はこちら