其中日記は、現在の山口市小郡に山頭火が「其中庵」という庵を結んでいたときの日記である。この7巻は、1934年(昭和9)7月26日~同年12月31日までの出来事が記されている。この作品には樹明と言う人が良く出てくるのだが、樹明君と書いたり、呼び捨てにしたりと何かあるのだろうか。山頭火は彼の日記に登場する人物には大抵敬称をつけているのだが。この樹明という人が気になったので調べてみると、国森樹明(くにもりじゃみょう)という人で、彼の俳友だったようだ。でもこの日記を読む限りは、俳友というよりはアル中仲間と言った方がぴったりする気がする。やたら二人で酔いつぶれている場面が多いのだ。
相変わらず山頭火は酒を飲んでいる。こんな調子だ。
<心臓いよ/\弱り、酒がます/\飲める、――飲みたい、まことに困つたことである。>(七月廿六日)
と書かれているが、いや心臓が弱っていると自覚しているのなら酒を止めろよと思うのだが、止められないのが酒飲みの業(ごう)とでも言うのだろうか。
しかし、飲んだくれていても、心の奥底には「死」と言うものを意識していたのだろう。このような記述からそのことがうかがえる。
<人の世に、死のさびしさ、生のなやみはなくなりません。>(七月廿六日)
<或る時は死にたい人生、或る時は死ねない人生。(中略)今日も身辺整理、いつ死んでもよい用意をして置かなければならない、遺書も書きかへなければならない。……(中略)・死ねる薬をまへにしてつく/\ぼうし>(八月二日)
<・つくつくぼうしよ死ぬるばかりの私となつて
・死ねる薬が身ぬちをめぐるつくつくぼうし>(九月六日)
<・いつでも死ねる草の枯るゝや>(九月十日)
<酒――句――死、この三つが私の昨日までの生活を織り成してゐた。>(十一月十五日)
小さなことだが、この部分は山口弁ネイティブの人とそうでない人の違いを表していると思う。
<なつめは誰にもかもわれなくて、>(九月六日)
の「かもわれなくて」の「も」のところに「マゝ」と書かれている。おそらく入力者(もしくは校正者)(以下入力者等と記す)は、これ「かまわれなくて」の間違いじゃないかと思ったんだろう。確かに標準語ではそうだが、山頭火は山口県防府の人である。そして山口弁には「かもう」という言い方があるのだ。「からかう」と言ったような意味だが、「かまう」と言う意味でつかっていても、そうおかしい感じはしない。これは山口弁ネイティブの山頭火や私とそうでないと思われる入力者等との差か(入力者等の出身県は知りませんが)。それとも、知っていたけど知らない人のために「確かに山頭火はこう書いていますよ」と読者に注意を促しているのだろうか。
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